足尾鉱毒問題を追及した田中正造が亡くなって百年、その後、公害、薬害が繰り返されてきています。足尾鉱毒被害民は明治33年2月渡良瀬川岸の雲龍寺に千人もの人々を集め東京に向かって請願行動を起こします。途中警官隊と衝突ー世に言う「川俣事件」が起こります。被害民は鉱毒悲歌を唄いながら行進します。「鉱毒被害は人のわざ・・・人の命を仆し行く」 鉱毒は人災と訴え続けます。百年たった今も原発問題、公害問題、薬害問題の人災は続き、多くの被害者が訴え続けています。百年前の鉱毒悲歌が叫び続け聞こえてくるようです。
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