笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

懐かしくあらたに生きる

2012-09-18 22:02:49 | 日記

学生の頃からお世話になったカトリック教会の神父さんが先日なくなり、今日お通夜の儀に参列してきました。40年にはなりませんが、もう40年近く前になります。友人の誘いで行った教会で友人は教会を去っていったのに最初はまさか洗礼を受けるとは思わなかった私が、これもご縁かと懐かしく神父さんのことを想いました。私は不真面目な信者ではありますが、神父さんにはいろいろ教えていただきました。懐かしく想い、また教えを基に新たに生きるこの大切さを感じた日でした。神に感謝して。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の毎日新聞に田中正造のことが載っていました

2012-09-17 19:00:08 | 日記

本日の毎日新聞朝刊の22面環境欄に「再び注目される田中正造の思想」と題して足尾鉱毒事件の解決に奔走した田中正造のことが載っていました。記事では足尾鉱毒事件と福島原発事故の類似性も追及していて原発の構造的な問題が足尾鉱毒事件と同じであること述べられています。この構造的な問題は文明発展の中で被害民の生活が置き去りにされた実態があります。足尾鉱毒事件でも渡良瀬川の鉱毒流水から政府が治水事業として谷中村廃村でに追い込み村民を遠くは北海道にまで移住を余儀なくされたことは、今、福島原発事故で放射能の影響で福島から移住を余儀なくされている現状にも似ています。足尾鉱毒事件をはじめ公害、薬害、原発問題と常に弱い立場の現地の住民が被害を受けている現実があります。

毎日新聞記事:http://mainichi.jp/feature/news/20120917ddm016040164000c.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆境に生き楽しむ勝海舟

2012-09-16 14:38:18 | 日記

「維新のころには、妻子までもおれに不平だったよ。広い天下におれに賛成するものは一人もいなかったけれども、おれは常に世の中には道というものがあると思って、楽しんでいたよ。また一事を断行している中途でおれが死んだら、だれがおれに代わるものがあるかということも、ずいぶん心配ではあったけれど、そんなことはいっさいかまわず、おれはただ行うべきことを行おうと大決心をして、自分で自分を殺すようなことさえなければ、それでよいと確信していたのさ。」(勝海舟「氷川清話」より)

回りの自分の評価を気にせず、ただ自分ひとりの信じるところを突き進んだ勝海舟の生き方にあらためて感動しました。現代の永田町にも、いや現代人にも一番必要とされる生き方かもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地の国立がん研究センターに行ってきました

2012-09-13 20:20:31 | 日記

薬害防止のための監視活動を続ける市民団体である薬害オンブズパースン・タイアップグループでは現在、国立の研究機関と民間企業との金銭的関係を調査しています。その調査の一環として今日は築地にある国立がん研究センターに情報公開請求の手続きに行ってきました。タイアップグループは全国各地にあり、それぞれの地元の国立研究機関に受託研究費などの情報公開請求を行って調査しています。タイアップ東京では東京大学医学部をはじめ国立国際医療センターや感染症研究所、国立がん研究センターに情報公開請求を行っています。既に各研究機関とも情報公開開示決定が出され後は受託研究費などのリストをもとに分析作業にに入ります。作業はなかなか大変ですがいろいろと勉強になります。

薬害オンブズパースン会議のホームページ:http://www.yakugai.gr.jp

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝海舟の養生法

2012-09-11 20:25:42 | 日記

「人間、長寿の法というも、ほかにはない。俗物には飲食を摂して適度の運動を務めなさいといえばそれでよいが、しかし大人物にはそうはいかない。見なさい、おれなどはいくら寒くっても、こんな薄っぺらな着物を着て、こんな煎餅のような布団の上に坐っているばかりで、別段運動ということをするわけでもないが、それでも気血はちゃんと規則正しく循環して、若い者も及ばないほど達者ではないか。

 さあ、ここがいわゆる思慮の転換法というもので、すなわち養生の第一義である。つまり綽々たる余裕を存して、物事に執着せず、円転豁達の妙境に入りさえすれば、運動も食物もあったものではないのサ」(勝海舟「氷川清話」より)

薄着に煎餅布団には親近感がわく私ですが、勝海舟の養生法こそ混沌として現代を生き抜くすべを教えてくれているような気がします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする