笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

一人ひとりの出会いを大切に

2014-10-19 20:09:02 | 日記
昨日は横浜の教会の集まりで薬害のお話をさせていただきました。自分自身もお話されていただく中で今まで行ってきたこと中での反省にもなり、また新たな気づきもいただきました。夕方は学生時代に横浜で教会の活動に関わった仲間と久しぶりに夕食を共にして楽しいひと時を過ごさせていただきました。人それぞれに様々な人生がありそれぞれに出会いがあります。私もこれまでの人生で様々な出会いがあり多くの気づきをいただきました。
今日も地元赤羽の教会でがん患者の集いがありました。二人だけの会合になりましたが、病気を持つ人の悩みや生き方などをお聞きしていろいろ考えさせられました。その一つ一つの出会い出来事を大切にこれからも活動を続けていきたいと思います。
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医療産業はどうなっていくのだろうかーバイオジャパン

2014-10-17 20:29:06 | 日記
今週水曜日から今日まで3日間、横浜のパシフィコ横浜で医療産業が集まってバイオジャパンというアジア最大級のイベントが行われました。私も本日、医療産業の今後がどうなっていくのか、セミナーとブース展示を見て回りました。セミナーでは来年に立ち上がる独立行政法人日本医療研究開発機構について内閣府の担当者と研究者そして製薬企業の役員がそれぞれ期待と課題を話しました。展示ブースではバイオベンチャー、製薬企業、理系大学研究者、公共団体のブースがたくさん出ていました。イベントだけ参加していると注目されている成長産業という雰囲気になりますが、患者さんのために医療産業がどうあるべきなのか、しっかりと考えていかなければならないと思います。バイオジャパン:http://www.ics-expo.jp/biojapan/main/index.html
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勝海舟の親爺・勝小吉

2014-10-16 21:19:36 | 日記
「幸いに息子がよくって孝道してくれ、また娘がよくつかえて女房がおれにそむかないゆえに、まんぞくで、この年まで無難に過ぎたのだ。四十二になってはじめて人倫の道かつは君父へつかえること、諸親へむつみまたは妻子下人の仁愛の道を少ししったら、これまでの所行がおそしくなった。よくよく読んであじおうべし。子々孫々まであなかしこ」(勝小吉「夢酔独言」より)
勝海舟の親爺・勝小吉の「夢酔独言」の最後の言葉です。勝小吉はそうとう悪行の数々、自分は悪い見本で見習うなと言っています。こんな親爺ですが、女房のお信、娘のお順に息子の勝海舟をほめています。生粋の江戸っ子・勝小吉あって勝海舟があったのでしょう。
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再び神谷美恵子の「生きがいについて」を読み始めて

2014-10-14 20:34:12 | 日記
再び神谷美恵子の「生きがいについて」を読み始めました。本の裏表紙を見ると1978年12月5日第26刷発行となっているから私が25歳くらいのときですか・・・。もう35年前。たぶん自分が生きがいを求めて悩んでいたときでしょう。ずいぶんといろいろなところに線が引いてあります。やはり今と昔では関心を示す箇所が違います。最後まで読んでみれば、また味わいも違うでしょう。まずはじめに「人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない、・・・それゆえに人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない」に線を引き始めました。昔は線を引いていませんでした。
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がん哲学外来カフェの心得と勝海舟

2014-10-13 20:08:23 | 日記
がん哲学外来カフェの心得というものがあります。これが実に勝海舟の行動パターンに通じているものがあります。ちょっと考えてみました。

がん哲学外来カフェの心得
~立居振舞い3ヶ条~
*がん哲学外来カフェの方針の3ヶ条*
・他人の必要に共感すること(自分を押し付けない)→蘭学塾を開いた勝海舟は自分の考えを押し付けず塾頭・杉亨二を信頼して無条件に受け入れる。
・暇げな風貌(忙しすぎてはならない)→1868年の正月、鳥羽伏見の戦が始まり慌しい維新をむかえようとも、無役の勝海舟は氷川の自宅にこもりながら悠々と古書を読み、日本の将来を考える。
・速効性と英断(いいと思ったらすぐ実行)→徳川幕府神戸海軍操練所と海軍塾を即決開設して脱藩浪士坂本龍馬を採用する勝海舟
*カフェスタッフの要件の3ヶ条*
・品性(人生の目的は品性の完成である)→勝海舟の晩年、賊軍の将であった徳川慶喜を明治天皇との和解に奔走し、自分の最後の仕事として徳川慶喜の明治天皇謁見を成し遂げる。明治に入り幕臣としての主従関係は無くなっても人間として徳川慶喜を復権させ人生を終わる。
・使命感(偉大なるお節介)→徳川慶喜が鳥羽伏見の戦に敗れ江戸に帰って呼び出されると、幕臣や自分の地位名誉のためでなく、日本の将来のため江戸庶民の暮らしのため、難しい状況でも役割を引き受ける。
・犠牲を払う(自らは犠牲となっても、心は豊になる)→無役の貧乏旗本の御家人からやっと蘭書翻訳勤務を命じられ無役を脱すると長崎行かされ、長崎海軍伝習所でも他の伝習生が1年のところ居残りを命じられるが、このことが後に咸臨丸を動かし薩摩に行くと藩主島津斉彬に出会い勝海舟の存在が西郷隆盛にも知れ渡り人脈が広がる。
*がん哲学外来カフェの役割の3ヶ条*
・個人面談→徳川慶喜であろうと西郷隆盛であろうと町火消しの新門辰五郎であろうとどんな人物にも地位名誉に関係なくじっくり目を向けて対談する勝海舟
・場作り(来訪者にお茶を出す)→明治に入ってから天璋院篤姫と皇女和宮をお芝居に誘う勝海舟のオモテナシ。
・研鑽(30分間の沈黙にも、お互いが苦痛にならない存在となる)→江戸城無血開城の談判でお互いに相対立する立場にありながらも信頼関係が保てる西郷隆盛と勝海舟。
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