アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

205 アチャコの京都日誌 再びの京都 離宮八幡宮  相撲界への提言②

2017-11-16 18:34:11 | 日記

大相撲界が大変な事になった。

「日馬富士」の画像検索結果

日馬富士の問題は、彼の人格問題にとどまらず、モンゴル勢への批判になりかねない。

加えて、貴乃花親方へのバッシングになることも避けられない。

一方、稀勢の里や豪栄道などの日本人勢が、ここぞと奮起すべきだけどこれも不安が多い。

特に、横綱稀勢の里の序盤は、不安がいっぱいだ。今場所途中休場となれば引退危機だ。

むしろそれの方が問題だ。

やはり、外国人力士については、入門制限を設けるしかないかも知れない。

せめて、日本国籍を有する者に限ると、するのはどうか?国技なので、一定の国粋化は仕方ないと考える。

「土俵入り」の画像検索結果

賛同を得るのは、難しいのは承知の上、申し上げるが、相撲は神事であってスポーツではない。

所作の一つ一つが、神への神聖な儀式なのだ。従って、国粋的な方向性は必要だと考える。

現に、土俵上に女性は登れない。(これを男女差別とは言わない。)

土俵の土を踏み固めて、荒ぶる神を鎮めるのだ。飛んだり跳ねたりする場所ではない。


さて、大山崎の旅。

次は、離宮八幡を訪ねた。

石清水八幡宮の元社というから、

石清水八幡は元はここにあったのか。離宮とは、ここが嵯峨天皇の河陽離宮があった事による。

 

離宮八幡の重要なのは、えごまの製造がここで始まったことである。日本における製油発祥地とされている。

その為、近世まで栄えて、幕末まで、町自体も含め、ほぼ無傷で存在し続けた。

ところが、残念な事に禁門の変でここを拠点にした長州勢への攻撃を受けて焼失した。

薩長連合以前の話だ。

さらに境内北側を国鉄東海道線の線路敷地となり、大幅に境内

敷地が縮小した。

確かに、列車の音が常に聞こえる場所だ。

悠久の歴史の神社に、1200年近く平和なこの地に、維新後大変な変遷を経る事になった訳だ。

 次は、宝寺、宝積寺へ


 

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204 アチャコの京都日誌  再びの京都 大山崎付近  その前に激怒!!

2017-11-16 06:35:05 | 日記

朝から、あるオバちゃんの評論家の発言に激怒した。

「大阪のおばちゃ...」の画像検索結果

朝のワイドショー(暇なので全部チェックしている)で、特集していたことが、金髪を禁止する為に、

大阪の高校では、「地毛証明書」を取る高校が半数以上あるという、

染めていないのに自然な茶髪の子は、元々茶色の髪の毛である事を証明するのだ。

その後、感想を求められ、

「そもそも制服にも問題があるのに、髪の毛まで規制するのは、人権侵害であり憲法違反だ。」

と、宣った。(のたまった。)

ええっ!憲法違反?

私は、人権や意見(言論)の自由とか、平和主義とかを標榜する人たちを信用しない。

人権も平和も、言わずとも当たり前だ。ことさら大言するのは、むしろ怪しい。

「茶髪」の画像検索結果

そもそも教育とは、集団で行動するための社会の一定のルールや常識を教えるところと思っている。

その上で、一定のルールのもとに自由に個性を発揮する場と考える。

入り口のところから「自由・自由」では、成り立たない。

評論家の言うように、すべて自由にすればどうなるだろう?

教室で、金髪・茶髪・アフロ、服装もまちまちで、

女子なんかは裸同然のフアッションの子も出て来たら、先生はどうするだろう。

昨今、色々な家庭の事情があって、家庭教育が十分でない子もいて、先生も大変らしい。

その様な事で、授業の秩序が保てるだろうか。

 

世の中に「ドレスコード」のようなものがあって当たり前だ。

その事を教育の場で教える事になんの違和感もない。

このように、あたかも自分が全体を代表しているような発言は、聞き捨てならない。

朝から気分が悪かった。

因みに、私は自分の娘が、初めて茶髪にしたのが大学生の時だったが、親とすれば複雑だった。

因みに、息子が「三つ編み」で、帰宅した時は、卒倒した。

「三つ編み男子」の画像検索結果

昨日、図書館が休館で、ワイドショーのネタも尽きたので、大山崎に出かけた。

天王山のふもとには、重要な寺院が多い。

 

写真は、妙喜庵。

お寺もさることながら、国宝の茶室「待庵」が有名だ。門前には「事前予約者のみ」となっている。

日本最古の茶室建造物である。利休作と信じうる唯一の現存茶室である。数寄屋造り建築の原型とされる。

山崎の合戦の時、千利休により建てられたものを移築したらしい。

また、当時の絵図には利休がこの付近に住んでいたらしく、待庵はこの利休屋敷から移築されたとも言われる。

JR大山崎駅の真ん前にある。今までも何度も通っていたのに、気が付かなかった。

近くには阪急京都線の山崎駅もあり便利なところだが、

天王山がすぐ迫っていて、坂道が多く、ちょっと歩くとこのような景色が広がる。

宇治川や桂川が合流し、淀川に一本化する場所だ。この場で、秀吉は光秀を待ち構えていたのだ。

なるほど、よく見える。まさに天王山だ。

この後、宝積寺・山崎聖天へと巡る。


 

 

 

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