⑯ 暗殺と殺人
暗殺直前のケネディー大統領
暗殺は、対象が政治家などの権力者の場合が多く、被害者は必ず要人である。しかも、多くは暗殺者と個人的な繋がりはないはなく黒幕という指示者がいる。従って、手を下した者は逃亡を前提としている。その場で殺すことが目的であり、拷問し証言を取るなどはしない。まれに行為者自身の判断で行うこともあるが、その場合多くの支持者がいる事が前提だ。個人的な恨みや仕返しではない。
一方、殺人は、殺人対象と殺人者の関係は複雑になって来る、殺人者個人の動機による場合が多い訳だが、最近は殺すほどの動機が見当たらないケースが増えて来ていて、無差別殺人事件という。これについては別項で書くことにする。さらに必ずしも逃亡を前提としないことも多い。これも最近の傾向で、そのまま立てこもったり、自死することも多い。恐ろしいのは、殺すまでの過程を楽しむケースも多く、その後死に至らしめることもある。結果としての未必の故意を含む。過失は殺人とは言わない。なお、やくざが雇うヒットマンは殺人者である。組どうしの抗争は単に殺し合いである。しかし、その過程でかたぎ(一般人)の有力者を殺害したら暗殺と言うかも知れないが、英雄視すべきではない。
閲覧注意
ここまで書いて、安倍元首相の暗殺は、単に殺人というべきではないか。被害者が要人中の要人であることは間違いないが、容疑者に対して多くの支持者がいるかのような報道は厳に慎むべきである。暗殺には、殺された要人に対抗する勢力からすれば、犯人は英雄視されかねない。例えば、今、ロシアや北の指導者が暗殺されれば英雄とされるかもしれない。決して、決して安倍氏への行為者は英雄ではない。一片の同情すらしてはならない。