アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

640   アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 93番  粟島堂 宗徳寺

2019-06-21 08:55:01 | 日記

93番 粟島堂宗徳寺

 

宗徳寺

京都市下京区三軒替地町124

宗派  西山浄土宗

本尊  阿弥陀如来

開基  行阿

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

京都駅のすぐ近くのリーガロイヤルホテルすぐ裏に、粟島堂はある。

京都のお寺は、○○寺 ○○院 ○○庵 ○○堂の4種類ある。院と寺は特に区別はない。寺の方が大きいような気がするが、知恩院という巨大寺院もある。庵はさすがに庵(いおり)とも言うべき小さなお寺のような気がする。堂はどうだろう。六角堂や革堂・因幡堂などの町堂のイメージがする。従って、それぞれ頂法寺・行願寺・平等寺とちゃんと寺名がついている。

しかし粟島堂は、宗徳寺内にある別のお堂という位置づけだ。神仏混合の時代の流れであろう。阿弥陀如来を本尊とする西山浄土宗のお寺の境内に、粟島大明神を祀っている。祭神は少彦名命でその本地佛である虚空蔵菩薩を安置している。

江戸時代後半、光格天皇とその皇后たちの度々の行幸があり、女人守護にご利益ありとされ庶民の人気を得る。安産祈願に限らず、子宮筋腫・内膜症や更年期障害など具体的な病名を挙げて効果ありとしている。また、人形供養を行う事から境内のあらゆるところに奉納された人形が安置されている。和洋様々な人形の展示は微笑ましいけれど、使い込んだ市松人形などは何か魂を持った女の子に見えてぞっとする。

また、境内には、

蕪村の句碑 娘の病気平癒祈願に訪れた 与謝蕪村が詠んだ句
「粟嶋へ はだしまゐりや 春の雨」の歌碑がある。狭い敷地だが巡るポイントはたくさんある。

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639  アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 91番  法金剛院

2019-06-20 08:57:55 | 日記

 

91番 法金剛院

 

京都市右京区花園扇野町49

山号  五位山

宗派  律宗

本尊  阿弥陀如来

開基  待賢門院

 「法金剛院 京都」の画像検索結果

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

JR花園駅のすぐ前、妙心寺三門の西南へ数分のところにある。

待賢門院はこのブログの主役と言っても良い。第74代鳥羽天皇の中宮でありながら、第72代白河天皇の子を宿し第75代崇徳天皇の母となり、さらに鳥羽天皇との間に第77代後白河天皇を産み国母と呼ばれた歴史上稀な女性である。法金剛院はその待賢門院の創建となっているが、平安初期の高級貴族清原夏野の別荘を文徳天皇の発願により天安寺としたものを、待賢門院がさらに法金剛院としたものだ。

国の特別名勝庭園には蓮の花が咲き、日本最古の人口滝の跡である「青女の滝」がある。現在は奥の五位山からの水脈は尽きていて滝とは言えない。さらに浄土式庭園は見事なものだが、池の背景にはマンションが建設されていてややガッカリする。

「法金剛院 京都」の画像検索結果青女の滝

しかし、見事なのは本尊の阿弥陀如来坐像である。丈六仏(立てば5m以上)なので座像でも存在感があり、慈悲深く眼差しを向けてくれる。平等院の国宝阿弥陀如来坐像と同様典型的な定朝様仏像である。直系弟子の仏師院覚作である。この阿弥陀様の前で晩年の待賢門院が、どのような気持ちで過ごしたのか。まだ女性としての兆しが訪れる前から白河天皇と同衾し、白河の孫の鳥羽天皇に差し渡された後も白河と逢瀬を繰り返し、月経の周期まで調べて後の崇徳天皇をはらんだ。その間、鳥羽天皇には添い寝はしても交合は許さなかった。小説「天上紅蓮」にはその間の描写が生々しい。手淫により処理された鳥羽天皇はどんな気持ちであっただろうか。本堂から庭園など一周しても20分ほどの境内なので、椅子に腰かけて異常な宮廷事情を想像して見た。なんだかそれも良いか、と思えた。

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637 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 90番 赤山禅院

2019-06-19 08:35:39 | 日記

90番 赤山禅院

 

京都市左京区修学院開根坊町18

宗派 天台宗

本尊 泰山府君

 SekizanZen'in Main Hall.jpg

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

東山三十六峰第3番の「赤山」のふもと修学院離宮の近くに赤山禅院はある。白川通りから修学院道を15分ほど歩く。中国道教の神様である「泰山府君」を本尊にしているので境内の雰囲気はやや唐風だ。僧円仁が中国から帰国後、泰山府君に因んだ禅院を発願したが果たせず、その後弟子がこの地に赤山大明神として勧請し創建した。寺のパンフレットには、①都の表鬼門を守護する方除けのお寺。②日本最古の都七福神のお寺。③比叡山千日回峰行のうち「赤山苦行(800日)」のお寺。④中秋の名月のへちま加持(喘息封じ)のお寺。⑤数珠供養のお寺。と書いている。

 

鬼門封じとしての役割は重要で、御所の東北角の「猿が辻」の延長線上にあるこのお寺の拝殿の屋根の上にも猿が安置されている。丑寅の方向である鬼門封じの為に、その裏方向(裏鬼門の未申)の猿を置くのである。また、都七福神では泰山府君が寿命をつかさどる神様である事からか、福禄寿をまつる。因みにその他は、東山区の恵比寿神社が恵比寿さま・左京区の松ヶ崎では大黒さま・南区東寺では毘沙門天・六波羅蜜寺には弁財天・中京の革堂には寿老人・そして宇治萬福寺に布袋尊がまつられる。因みに申の日の5日にお参りすると金運に恵まれるとして「5日講」と称して今でも商売人がお詣りに来る。五十払い(ごとばらい)の風習はこれに由来する。

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636 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  89番  蘆山寺

2019-06-18 09:03:24 | 日記

89番  蘆山寺

 

京都市上京区寺町通広小路上がる

山号 日本廬山

宗派 天台宗単立

創建 良源

本尊 阿弥陀三尊像

正式 廬山天台講寺

 

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

現在の京都御所の東側の寺町通には、同志社会館(新島襄邸跡)や梨木神社、清浄華院、清荒神など重要スポットが多い。廬山寺の「蘆」は、臚、蘆、盧、櫨いずれか迷うところだ。芦でも良いのだと思うが、寺名は固有名詞と考えるとここは、廬山寺と書く。宝厳院の厳は、巌なのか迷う。冷泉は冷然とも書くが、冷泉が正しい。京都検定は難しいのだ。

さて、廬山寺は「源氏の庭」が有名だ。紫式部の邸宅跡とされ源氏物語執筆の場でもある。また境内奥の墓地には秀吉の京都改造政策の一つ、御土居跡を見る事が出来る。

創建は平安初期で比叡山中興の祖、良源(元三大師)が作った与願金剛院と、鎌倉時代に法然の弟子が宋の廬山に因み作った廬山天台講寺が合併したものである。従って、天台宗と密教、律宗、浄土教が合わさり四宗兼学の道場として発展した。現在地には秀吉の寺町政策に伴って移転して来た。観光寺ではないが「源氏の庭」は公開している。また節分には境内で行われる追儺式鬼法楽(通称鬼おどり)に多くの人が見物に訪れる。当日は普段非公開である元三大師ゆかりの「鬼切の独鈷・三鈷」が公開される。アオオニ・アカオニが本堂から出て来るユーモラスだが厳かな行事である。京都では、季節を分ける節分には魔物を追い払う様々な行事が行われその日一日中市内を駆け巡るのも面白い。壬生寺の節分会、吉田神社や石清水八幡の鬼やらい神事、須賀神社の「懸想文」などが面白い。また、祇園花街では「おばけ」と称して芸子・舞妓たちが様々に扮装して練り歩き魔物を払う。ハロウィンのようなものだ。

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
    雲がくれにし夜半の月影

この紫式部の歌碑はいつでも見る事が出来る。

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635 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  88番  観智院

2019-06-17 08:47:19 | 日記

88番 観智院

 

宗派  真言宗別格本山

開基  杲宝・後宇多天皇

本尊  五大虚空蔵菩薩

 イメージ 2

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

東寺(教王護国寺)を訪ねると、季節によっては塔頭観智院の拝観チケットとセットで売っている。しかし東寺の賑わいと比べると観智院に訪れる人が少ないのが気になる。大寺院には必ず有力な塔頭寺があり必ず訪ねておきたい。

観智院は、東寺の北門から北総門に通じる櫛笥小路の東にある。因みに西には京都洛南高校があり近年短距離100m日本記録保持者の桐生選手の出身校だ。(執筆時点では元日本記録保持者)さらに重要なのは、この櫛笥小路だ。平安京の建設当寺の痕跡を現わす通りはほぼ衰退し今は存在しない。しかしこの櫛笥小路は東寺の敷地内にあった為奇跡的に創建の時代のまま残った。わずか100mほどの通りで桐生君なら10秒ほどで駆け抜ける道だが、道幅から創建当時の平安京の全体規模を推察するには貴重な遺跡である。

さて、観智院だが、室町時代初期に宋からの帰国僧杲宝により創建された。東寺の勧学院として修行・学習の寺として出来た。その後は真言宗全体の勧学院になっている。見どころは、国宝の客殿とその庭園そして宮本武蔵作の絵画だ。まず、「五大の庭」と命名された庭園は、空海が唐の長安に学僧として学んだ後に、日本に帰る時嵐に遭遇するものの五大虚空蔵菩薩に導かれ無事帰国した様子を現わしている。

 イメージ 5

 

また、方丈内には宮本武蔵筆の「竹林図」「鷲図」が見れる。武蔵は一時期ここで剣と絵画の修行をしていたのだろう。本尊の五大虚空蔵菩薩は修復中の為、現在は見られないが、修復後は東寺と共に必ず訪れたい。そして櫛笥通を歩き平安京の創建当時の趣きを味わいたい。

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