アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

634 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  87番  寿宝寺

2019-06-14 09:17:23 | 日記

87番 寿宝寺

京田辺市三山木塔の島20

山号  開運山

宗派  高野山真言宗

開基  

本尊  十一面千手千眼観音菩薩

別称  山本の大寺

 「寿宝寺 千手観...」の画像検索結果

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

京田辺の同志社大学校舎のすぐ近くにあるのが寿宝寺である。うっかりすると見逃がすように町中にひっそり建つ。残念ながら住居兼寺院という一般的な檀家寺の趣きである。しかしここには、大阪藤井寺の葛井寺と奈良の唐招提寺と並ぶ千手観音の傑作がある。南都と平安京を繋ぐこの辺りには多くの歴史的寺院が多くあったようだが、歴史の経緯からいくつかの寺院が合併して出来たのが寿宝寺である。

狭い境内の中に5m四方くらいのお堂がありその中に安置されている。従ってごく間近に拝むことが出来るのだ。しかも寺の方の演出でお堂の扉を閉めて暗闇からわずかの光の中でまず拝む。昔、月光の中でひざまずき観音様の慈悲の視線を感じる。そして扉を開けてまぶしいような太陽の光の中で拝む。その眼差しの違いを感じる。なかなか粋な演出ではないか。

「寿宝寺 千手観...」の画像検索結果

凄いのは、実際に千本の手を持っていると言う事だ。数える気力はないが、普通千手観音の手は実際は42本の手であり、前で2本の手を合わせて印を結んでいる。そして残り40本の手がそれぞれ25の世界を救うとされ25✖40で1000本となる。しかし寿宝寺の観音様は実際に1000本の手を有し数々の珠宝を持ち何も持たない手には眼がある千手千眼観音という事なのだ。

製作は平安時代というので重要文化財指定だが、先年蓮華王院の千手観音がすべて国宝指定されたのならば、こちらが重文では十分?ではないと考える。

一般的に制作の都合上、千手観音は上半身に比重がかかるので下半身が短く短足になりがちだが、こちらはすらりとしたお姿が良い。ただただこの仏様を見る為のみ訪れるお寺である。

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633 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  86番  蟹満寺

2019-06-13 08:53:45 | 日記

86番 蟹満寺

木津川市山城町綺田36

山号  普門山

宗派  真言宗智山派

開基  伝 秦和賀

本尊  国宝釈迦如来

 Kanimanji Kyoto JPN 001.JPG

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

蟹満寺は木津川沿いの24号線からJR棚倉駅と玉水駅の間を東に曲がる。木津川の支流沿いにその寺はある。こちらの目的は国宝釈迦如来像を見る事だ。

しかしまず、寺名の由来になっている「蟹の恩返し」(今昔物語集)を紹介する。昔、この里に慈悲深い父と娘がいた。娘は子供たちが蟹を捕まえるのを見てその蟹を逃がしてやりました。一方、父はカエルがまさに大蛇に飲み込まれようとするのを見て、カエルに成り代わり蛇に許しを乞うた。蛇はそなたの娘を嫁にくれるのなら許すと言う。仕方なくそうすると言ってカエルを逃がしてもらった。その夜、早速大男に姿を変えた蛇がやってきて娘をもらいに来たと言う。困った父は、三日だけ待ってくれと言うと一旦帰った蛇は、三日目の夜に家の周りで大暴れした。明け方、静かになったので外に出ると、大量の蟹の死骸と蟹に切り刻まれ息絶えた蛇が横たわっていた。二人は蟹と蛇の供養のために観音堂を建てたのが、蟹満寺の始まりである。という話だ。

従って、当初は観音様が本尊であったようだが詳しい事は分からない。現在の本堂は9年前に建て替えたものなので白木や着色の鮮やかな建造物である。周囲の設えも新しく門や手水に至るまで新しい。そのような中に奈良時代作成の国宝仏があるとは思えない。拝観料500円を払い本堂に入ると、中心に丈六の釈迦如来坐像が堂々と配されている。銅像の黒光りが時代を感じる。内部周辺の壁には先ほどの蟹の恩返しを絵巻物にした数枚の額が掲げてある。ボタンを押せば自動的に解説の音声が流れる。親切だ。

周辺は木津川沿いの典型的な田園風景が広がる。住宅地は遠く田辺地域までない。素朴な小さな寺だが、新しすぎて歴史をかみしめる事は出来なかった。

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632 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  85番  乙訓寺

2019-06-12 09:09:36 | 日記

85番 乙訓寺

 

長岡京市今里3-14-7

山号  大慈山

宗派  真言宗豊山派

開基  推古天皇

本尊  合体大師 (空海・八幡神)

別称  牡丹寺

 OtokuniDera.JPG

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

乙訓寺は阪急長岡京駅から車で10分ほどだが、街並みに囲まれた古刹である。筆者はカーナビ見ながらでも迷った。乙訓地域では格別古い歴史を誇る。推古天皇の時代に聖徳太子の創建と言うが詳しくは不明だ。ただ、桓武天皇の長岡京遷都の時には、都最大の寺院として壮大な寺域に立派な伽藍が配置されていたという。歴史に名をとどめるのは、その長岡京建設時、責任者である藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕された早良親王がここに幽閉された事だ。無実をうったえる親王は、自ら食を絶ち死ぬ。そして平安初期最強の怨霊となる。なぜ怨霊となったか。怨霊になる条件は、高貴な人が、理不尽に、殺されるか自殺せざるを得なくなるかで、死ぬ、そしてその後おとしめた人間に不幸が訪れるとたちまち「怨霊」に昇格する。生きたまま恨みを晴らすのは「生霊」、単にこの世に未練を残し出るのは「幽霊」である。筆者の知る限り怨霊は地位の高さと理不尽さで霊力が決まる。日本最高の怨霊である菅原道真は右大臣クラスなので、理不尽さが半端ではなかったのであろう。さて、早良親王だが、地位も理不尽さも兼ね備えた本流の怨霊になった。桓武天皇の弟であり次期天皇とされた。しかし桓武天皇の第一子で後の平城天皇が成長すると不要の存在となる可能性があった。さらに親王は出家して東大寺別当の地位を約束されていた、それを父光仁天皇の命で還俗して皇太弟になっていた。従って奈良仏教界がバックについていたのだろう。平城京での仏教界との関係を絶つ目的で遷都を思いついた桓武天皇からは警戒されたのだろう。真実は分からないが、その後「崇道天皇」という追号を贈っている事からして冤罪であった事は明白だ。

寺のHPより

その早良親王幽閉の寺として訪ねて見たが、その印象は全く違って、今は、牡丹の寺として有名になっている。普段は訪ねる人もなく、拝観料は受付で払うが筆者が行ったときは人もいなかった。狭い境内を本堂など外から拝み、すでに散った牡丹の葉を眺めながら平安直前の大事件を考えていた。

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631 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼  84番  安祥寺

2019-06-10 11:10:41 | 日記

84番 安祥寺

 

京都市山科区御陵平林町22

山号  吉祥山

宗派  高野山真言宗

開基  藤原順子・恵運

別称  高野堂

本尊  十一面観音

 

 

京都のお寺が大好きだ。おすすめ一番はここだ。

 

安祥寺は毘沙門堂の隣にある。毘沙門堂は元々この地にあった安祥寺の敷地を譲られたものであるので、毘沙門堂敷地内から行けるかも知れない。筆者は普段拝観していないので、日をかえて特別拝観の日にうかがった。山科駅の西側の参道斜面を登り山門に至る。

安祥寺は、醍醐寺の上醍醐・下醍醐と同様に上安祥寺・下安祥寺に分かれて発足した。筆者は上醍醐にも行ったがハイヒールでは行けない。安祥寺も山岳修行の場としての上寺の方が広大な敷地と伽藍を有し大いに栄えていた。創建は平安初期、文徳天皇母の藤原順子(じゅんし)の発願によるものとなっているが、すでに上寺が存在していて順子によって下寺が建立されたと考えられる。もちろん上寺・下寺とは後日言われるようになったのだが・・・・。しかし平安後期にはすでに荒廃し応仁の乱で焼失し完全に廃寺となった。江戸時代になって残った宝物をもとに再建するが、上寺は再建されず幕府の命令により寺領の多くを毘沙門堂に譲った。明治初期までは多宝塔があったが火事で焼け、現在は、本堂・地蔵堂・大師堂のみで建造物を囲む境内は残念ながら整備されていず往年の勢いは感じない。

ただ、解説によると焼けた多宝塔内にあった木像五智如来像(現在は京都国立博物館所蔵)は安祥寺創建時の作品で今年国宝指定の予定との事、また東寺の塔頭観智院所蔵の五大虚空蔵菩薩像は元安祥寺にあったもので唐からの招来仏である事を聞いた。このように安祥寺は現在の佇まいからは想像できないが、歴史上大変重要な寺院であったのだ。普段は非公開寺で、今回拝見した本尊十一面観音立像も初めての公開だった。山門横の事務所には長蛇の列、令和の御朱印を頂く行列だった。滅多に入れない寺院の令和元年の御朱印は貴重なのだ。

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番外  長く生きていると、面白くない事が多い。

2019-06-10 11:10:41 | 日記

長く生きていると、面白くない事が多い。

可愛い幼児を犠牲にするな!


幼児虐待、無差別殺人事件は特に気が滅入る。少子化の一方でこの様な事件をどう考えるか?

児童相談所などが批判されているが、彼ら公務員で転勤族に期待は出来ない。社会の修羅場は仕事上見ていても企業戦士の様に実体験はしていない。モンスターな人間には全く無力のようだ。問題の本質は、教育問題なのだ。

何故それをもっと議論しないのか。「人を殺してはならない、年寄りは大切にしなさい、他人に迷惑をかけてはならない、そして、働かねばならない。」何故、この様な当たり前の事をちゃんと教えて来なかったのか。日本の地域性や居住区域の問題もあるが、公立学校の現場がますます荒れているらしい。モンスターな親達が様々なクレームをつける。ひ弱な先生方では対応出来ない。更に荒れる。

結果、富裕層は私学に子供をやる。そして、今や普通の家庭でも、共働きなど無理してでも私学を目指す。子育て問題が経済問題なのはここにある。子供を作っても相当な教育資金をつぎ込まないと真っ当な教育環境は確保できないのだ。元々裕福な人達はすでに対応済である。ややこしい地域には関わらない様にする。高レベルな国立・私立難関校の子供たちは親がその道を歩んだ親なのだ。結果、公立学校にはますますリテラシーの低い人達が集まる。先生たちも教育の質より「無事」に送り出す事が主な目的となる。格差社会の究極の状態になりつつある。貧乏人は絶対に出世できない現実が待っている。このような中で、女性一人に3人は産めと言われれば反発されるのも当たり前だ。たった一人の子供に一点豪華主義に金をつぎ込んで行くのも大変なのだ。

公立学校で道徳教育など、できるはずもない。その様な中から、極めて希だが幼児殺人が発生する。金持ちでも、殺人事件はある。しかしあえて言えば、その様な教育退廃が主な原因だ。当たり前の常識を当たり前に教える事をお願いしたい。

大切な子供たちに貧富の差があってはならない。誰でもが平等に生まれて来るのだ。いずれ格差は襲って来るが幼児に犠牲者が出てはならない。(涙)至急提案したい。教師の民間交流を一層進めてもらいたい。民間企業の優秀社員を高給で教師に着かせて欲しい。企業での経験がない人に教員免許を与えないで欲しい。

暴論でしょうか?筆者自身も立ちあがりたい。

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