脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

昭和40年代・・小学校低学年の頃(苦い思い出)

2015年04月14日 09時50分39秒 | わが半生
小学校も新校舎が建築されプレハブ教室から校舎へと移ったのですが。。新校舎は高学年に新一年生が入り、それ以外の学年は旧校舎。でもプレハブに比べると快適でした。そんな小学校生活。いろいろあります。私も未だ低学年のころですが、いるんですね・・授業中に、オシッコを漏らす女の子。なかには大きい方を漏らす男の子・・今でもなぜか名前を覚えていますが・・授業中はなかなか『先生!オシッコ!』とはいいずらいもので静かなところで、おもむろに手を上げる勇気・・そしてトイレに行くため教室を出て誰も居ない廊下。我慢するんですね。特に女の子はデリケートでし特に内気な子は・・私の隣に座っていた女の子、Yさん。ふと横を見るとベソかいて泣いているんです。椅子の下を見ると・・・水たまりのようなものが・・思わず私は声を出して言ってしまったんです。『先生!!Y!オシッコ漏らしてる~!!』それも御叮嚀に大きな声で・・何とも思いやりのない私です。当時の小学校の椅子も机も100%木製で・・NHKの朝ドラ【花子とアン】の安東はなさんの幼少期の頃の机・椅子をイメージして頂ければ幸いです。椅子のお尻を置く部分はかまぼこ板のような細い木の板を何枚か横に並べたものを平面にしてあるので板と板の隙間からオシッコが床に落ちてしまうのです。先生は授業を一旦、中断しYさんの側に行って優しくなだめながら『みなさん!少し自習!国語の教科書を出して、朗読しておくように!』泣き崩れているYさんを抱えながら保健室へと行きました。その後、Yさんは教室には戻らず自宅ぶに帰ったのです・・そんな事件から暫く経った、ある日のことです。私も、丁度4時限目の授業中に【うんこ】がしたくなったことがあります。なぜか学校で大きい方をするのが恥ずかしく授業が終わるなり給食も食べず一目散に自宅へ帰りました。もう、お尻の穴からは、いつ顔が出るかわからずピクピクしちて手で押さえながら、ぎごちない走り方で帰っていくのですが・・どれほど学校から自宅までの距離を長く感じたことでしょう。『あ”===ッ!!で・・出そうっ!!』声にならない声を出しながら、やっとの思いで自宅に帰ると『え?学校は?・どうしたの?・・・うんこ?そんなもの学校にトイレがあるでしょ!!』ま、当然ですよね♪母の言葉をよそにトイレに駆け込みスッキリして出ると『バカじゃなにの?こんな時間ということは給食は??もうッ・・早く学校に戻りなさい!!本当、おかしな子だね!!』母に叱られ学校に戻ると・・クラスメートから集中攻撃!!『おいY!!!お前、給食当番やろ!!何さぼってんねんッ!!』そうなのです・・私は給食当番。給食室まで牛乳やパン、おかずを取りにいってクラスメートの給食を準備しなければならなかったのです。言い訳も出来ず。。とにかく『ごめん・・』の連発でした。そのうちの一人が当番をサボった事を担任の先生にチクったのです。凄く叱られ放課後に居残りし暫く正座をさせられました。今の時代なら正座など生徒にさせたら問題になりますが当時は体罰は普通でしたよ。正座とかビンタもされたり廊下に1時間立たされたり・・話は」それましたが、私は正座をさせられながら一人ポツンと教室の窓をみておると綺麗な夕焼けを今でも覚えています。何時間ほど正座してたでしょうね・・校内の下校アナウンスが流れてから担任の先生が戻ってきて『少しは反省した??もうサボっっては、いけませんよ!もう今日は帰っていいから。』漸く解放!この日のことは今でも鮮明に覚えていますが私の苦い思い出なのです。
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