脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

四畳半のアパート暮らし・・古き良き時代

2015年04月06日 10時43分25秒 | わが半生
昭和30年代後半から40年にかけて洗濯機・冷蔵庫・テレビは三種の神器とも言われ庶民にはなかなか手の届かない家電製品です。なのに??四畳半のアパートの部屋にはテレビに冷蔵庫がなぜかありました。洗濯機はアパートなので置くにおけなかったのでしょうね。母は〚タライに洗濯板〛を使って冬でも水で洗濯していました。当時は今のような洗剤は売っていたのかどうかも記憶にありませんが【洗濯石鹸】という少し大きめで大変、固い石鹸であらっていたのを覚えています。洗い終えた洗濯物はアパートの共同物干し場で屋根もありません。もちろん他の部屋の家族と同じ場所で干しているのです。今では考えられませんね♪雨など降ったら大急ぎで母は取り込みにいくのですが御近所さんが既に取り込んでくれたりお互いに助け合っていました。アパートは部屋以外、洗面にトイレ・物干し全て共同・・どっかの寮みたいなところです。窓は部屋の台所にある窓くらいしかありませんでしたが不思議と日当たりは良くて昼間でも大丈夫でした・・たぶん窓は南向きだったのでしょう。そんな小さな部屋でも私が小学校に進学したときは小さな机にスタンドは父が買ってくれました・・が??とても勉強などできる環境ではなく毎日、外に出ては遊んでばかりでした。特に私は電車や車が好きで・・路上に駐車している車・・1台1台のドアを開くかどうか確認し開いていると?友達と中に乗り込んでハンドルを回したりして遊んでいたのです。時には車の持ち主にみつかって大変、叱られることもありましたが・・そこは子供です。全く懲りずに何度も繰り返しては遊んでいました。当時は結構、車のドアをロックせずに路上駐車している車は多くありましたね。あ・・今、思うと本当に危なかった遊びは線路の上に石を置いたり10円玉を置いたり・・城東小学校から近くに国鉄(現在のJR)の線路が土手を上っていくとあったので友達と石を・・勿論、小さな石です。置いて電車が通ると砕ける石を見て喜んだり10円玉はペッタンコになるのをキャッキャッ♪言っては遊んでいました。でも・・ある日、学校の先生に見つかってしまい、それはそれは物凄く叱られ母は学校に呼び出され校長先生からも説教をもらいましたが学校の帰り・・母が『男の子だからさ。仕方ないよ』私を叱ることなく言いつつ『でもね。A君が電車にひかれたら死んでしまう。・・おかあちゃん・・』母の目に涙が見えたのです。幼い私は母に心配はかけまいと二度と線路で遊ぶことはやめました。
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