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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

四畳半のアパート暮らし5(幼少期)

2015年04月09日 09時36分09秒 | わが半生
母は父の仕送りだけでは生活が出来ませんので【内職】をしていました。当時の日本は女性の社会進出は殆どなく既婚で子持ちに外での仕事は皆無でした。母の内職はツマ用事入れや割りばし入れの袋を糊付けしツマ用事は袋に入れるという作業でした。そのため母が内職を始めると丸いちゃぶ台いっぱいにツマ用事に袋、そして洗濯糊が広げられて内職の間は私をちっとも構ってくれません。多い時は午前から夕方まで黙々と内職仕事・・私は近所の女の子・・(トモちゃん)か畳屋の姉弟と遊んでいました。夕方、遊んで帰ってくると四畳半の部屋には所せましと内職の山です。『やっと終わったぁ~』背伸びをする母が『A君!これからお買い物行こうか?明日は、この内職、持っていかないとね♪』内職が終わって、やっと、自分だけのおかあちゃんになるんです。夕方、母と二人、鴫野駅近くの商店街や市場へ行く途中のことでした。今でも忘れられません・・鴫野駅を越えた向こうに白い中型犬(たぶん日本スピッツ)がいたのです。母が『見ちゃダメよ!追っかけてくるからね。』そう注意されながらも、その白い犬はジッと私を見ているので思わず目を合わせてしまいました。すると犬が急に吠えながら私の方に走って向かってきたのです。『あ!A君!走ったらだめ!!』私は母の手を振りほどき逃げてしまったのです。当然・・犬の習性から追っかけてきました・・必死で逃げながら、もしかしたら噛まれるかも?そんな恐怖感も覚え・・幼い私は泣き叫んで逃げていると母が走ってきて私を抱きかかえてくれました。近くのオジサンが犬を追いやってくれて漸く安心したものの私は暫くヒクヒク泣きながら母にすがっていたのを覚えています。当時は【野良犬】も多く時々、人に噛みついてくることもありました。現在では道端で犬がウロついている光景はまずありませんね(+o+)その日を境に暫く私は犬嫌いになってしまたのです。(現在は自宅にトイプードルが居ますけどね♪)市場や商店街は人の活気があって私は大好きでした。電柱の柱にはスピーカーがあって当時の流行歌や季節に応じた音楽が流れ・・時々、『○○のことなら○△商店へどうぞ♪』など宣伝も流れていました。今のスーパーのような買い物の方法でなく魚屋さん・お肉屋さん・八百屋さんetcと1軒1軒のお店が連なり、その都度、勘定をしていたのです。とにかく活気がありました。特に魚屋さんに八百屋さん『いらっしゃい!いらっしゃいい!今日はサンマの良いモン入ったよ===♪』などとアチコチのお店から声が飛び交って『さぁ~!今からはお買い得やでぇ!!』おまけタイムで値段が下がったりサンマなら1尾おまけにしてくれたり・・夕方はお買い得!今でいうなら【割引シール】でしょうか。市場の各商店には商品の上にハエ避けのものがありました。細い布を付けたものがぐるぐる扇風機のように回っているんです。今のようにレジスターが無く、各お店は上からゴムでザルを弦利下げザルの中にお金を入れていて買い物をしお金を渡すと店の人がザルを”グイッ!と引き下げてお金を入れ、つり銭もそこから出すんです。まぁ本当にどんぶり勘定とは、このことですね。母と買い物に行くと市場の出入り口付近にあった果物屋さんのジュースを必ず飲ませてくれました。ミキサーに果物を入れて少し氷もあって夏場の楽しみでした。今でも大阪の病院の帰り・・阿倍野Qズモールに似たようなジュースショップがあって妻と時々、行くのですが当時のことをふと思い出します。
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