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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

2DKの団地住まい・・(小学生低学年)

2015年04月11日 09時40分29秒 | わが半生
城東区から同じ大阪市内の団地へ引っ越しました。初の転校生。私が生まれた世代はベビーブームで、とにかく子供が多かったですね。学校も新校舎建築をしていて、それまでは仮の教室としてプレハブ教室が幾つか建てられ、そこで勉強するのですが、とにかく夏が暑くて暑くて(+o+)冬もストーブの周辺だけが暖かく席替えのときは・・もめるので先生はクジを作っていました。当時のストーブは石炭ストーブで毎朝、日直係りの男の子と女の子が所定の場所まで石炭と新聞紙を取りに行ってストーブに火をつけるのです。1年生は5・6年生の高学年が火をつけに来てくれていました。また当時の学校給食は正直、美味しくありませんでしたが私達にとっては学校での楽しみでもあったのです。牛乳といいながらも今でいう低脂肪牛乳を更に水で薄めたようなもので冬は脱脂粉乳の粉にお湯を入れたもので匂いもきつく私は、とにかく苦手で・・この味が牛乳と思いこんでたので暫くは飲めませんでしたが給食を残すと先生に叱られるので鼻をつまんで飲んでいました。コッペパンに人気のおかずは、やっぱりカレーとかクリームシチュー・・焼きそばですかね。おかわりは早い者勝ちで男の子は競うように早食いしてました♪そう思うと現代の給食って美味しくなりました。まずパンが違います。牛乳もホンマモンの牛乳です。何より驚いたのは横浜在住の時でした。娘が『今日。給食でハーゲンダッツが出たよ♪』私は耳を疑いましたが娘はニコニコしながら神戸でも出なかったのに・・さすが横浜だね♪・・関西弁が全くなくなった娘に少々、戸惑いながらも学校給食の質の良さに驚くばかりでした。私達の世代では考えられない・・・また病気とかで学校を休むとクラスメートが給食のコッペパンを自宅に届けてくれるのですが・・これが固いのなんの・・熱でうなされ寝ているのに食べられるわけもなく・・でも母は『もったいない!』と言いながら食べてました。大阪は日本で第二の大都市・・でも戦後20年、まだまだ貧乏でした。
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