病は自分が患うことで魂を磨ける機会です(^。^)
また病は家族や身内が患うことでも魂を磨ける機会なんだなぁ(^。^)
振り返ると母が癌になったとき私は遠い札幌にいました。
父から聞いた時は既に入院をしていて、おそらく癌の告知を受けたときは私に心配をかけまいと。
当時を思い出すと、冷たい心だったと思います。
たとえ北海道と関西でも見舞いに何度か行くのが親子です。
私は一度だけ。
次に病院に行ったとき、母は既に亡くなっていました。
それでも、涙が何故か出ない。
私の心には本当の優しさ、愛というものが
曇りまくり影となっていたのだ。と。
そして、数年後、父が他界。
私の心は曇り。
その曇りを少し磨けたのが自らの脳出血。
そのときになって
やっと両親の死と向き合い両親への感謝、そして、ごめんなさいと素直に言えたのです。
そして義母の認知症
私の心の中で昔の自分との違いを発見出来るとは。それが嬉しくて。
義母の認知症という病が私に何かを語りかけてきたり、とにかく、魂が感謝しているのです。
義母の認知症で数多くの心の葛藤とも向き合い
それは、それは多くの学びを義母からプレゼントされました。
今では義兄夫婦までが複雑に絡みつき
私だけでなく妻も多くの学びを味わっています。
50歳後半になり
私は人生の味わい深さ。
苦難困難あってこそ
穏やかな生活が、どれだけ幸せなことか。
普通の事
当たり前の事
それが
どれだけ幸せなことか。
贅沢は決して幸せには繋がらないこと。
その瞬間は気分良く満たされます。
でも、その瞬間だけ。
幸せって、苦難困難を味わうこと。
なのかなぁ(^。^)
魂の成長には
病が魂の一番の薬なのかも知れません。
また病は家族や身内が患うことでも魂を磨ける機会なんだなぁ(^。^)
振り返ると母が癌になったとき私は遠い札幌にいました。
父から聞いた時は既に入院をしていて、おそらく癌の告知を受けたときは私に心配をかけまいと。
当時を思い出すと、冷たい心だったと思います。
たとえ北海道と関西でも見舞いに何度か行くのが親子です。
私は一度だけ。
次に病院に行ったとき、母は既に亡くなっていました。
それでも、涙が何故か出ない。
私の心には本当の優しさ、愛というものが
曇りまくり影となっていたのだ。と。
そして、数年後、父が他界。
私の心は曇り。
その曇りを少し磨けたのが自らの脳出血。
そのときになって
やっと両親の死と向き合い両親への感謝、そして、ごめんなさいと素直に言えたのです。
そして義母の認知症
私の心の中で昔の自分との違いを発見出来るとは。それが嬉しくて。
義母の認知症という病が私に何かを語りかけてきたり、とにかく、魂が感謝しているのです。
義母の認知症で数多くの心の葛藤とも向き合い
それは、それは多くの学びを義母からプレゼントされました。
今では義兄夫婦までが複雑に絡みつき
私だけでなく妻も多くの学びを味わっています。
50歳後半になり
私は人生の味わい深さ。
苦難困難あってこそ
穏やかな生活が、どれだけ幸せなことか。
普通の事
当たり前の事
それが
どれだけ幸せなことか。
贅沢は決して幸せには繋がらないこと。
その瞬間は気分良く満たされます。
でも、その瞬間だけ。
幸せって、苦難困難を味わうこと。
なのかなぁ(^。^)
魂の成長には
病が魂の一番の薬なのかも知れません。