脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

徒然なるままに(^^)義兄夫婦への思い

2017年04月28日 18時10分08秒 | 魂のステージ
物とお金(^^)
贅沢できる事は本当に幸せですか?
ブランド物に囲まれ豪邸に住み
たくさんのお金(^^)

誰でも一度は思う事です。
これを全部、自分のために使うと幸せは一転、不幸になるのかなぁ。

話は変わりますが。
魂の成長のプロセスで大切な事は欲望のコントロールではないか?
と何度か申し上げているのには私自身が、それに気づき今は、そのトレーニング中なのであります。

お金は生活できるだけあればいい。
今ある物や家に感謝し家族が居てくれてる事に感謝し、『ありがとう😊』を心がけています。

病気になり仕事ができなくなってから
有難いと思う事が今までなら当たり前の事ばかり。
心を磨くこと。

今の生活ができるのも家族のお陰。
年金も今、働いている方々から頂いていると思うと贅沢なんか出来ません。
自分のために使うお金は減りました。
義母のため
娘のため
妻も節約家なので
妻には誕生日とか?にプレゼント。
家電製品も、壊れるまで買いません。
冷蔵庫は、もう15年も使ってます。

お金はあります。(^^)
全く不自由していません。
でも、義兄夫婦が認知症の義母の預貯金を引き出したので、弁護士費用が。
これも義母の財産を健全に守るために数十万円使いました。

娘の矯正歯科の費用
義母の施設入居費用
まぁ、この2、3年、大きな出費ばかり。
でもお金は使うときに使わないと幸せが遠のきます。
有意義に、自分達夫婦の為に使うのではなく使うのは良い使い方なのです。
あ、損害賠償請求訴訟の費用も結構、高額でした。え?それって自分のためにに使ったん違うのって?
そう言われても仕方ありません。
仮に裁判で勝ち多額なお金を頂いても私達夫婦は、決して贅沢するつもりはありません。

ちゃんと私なりに考えています(^^)
あの世に行くとき持っていけるのは、この世の思い出。どれだけ愛を与えたか?人に優しくしたか?苦難困難を活かして。その実績だけを持っていけるのです。
若い頃の私は欲の塊みたいな人間でした。
でも病気になったお陰で目が覚めたのです。
身体は不自由になりましたが
心は楽になり自由です。
生きる意味を知った喜び。

そして今、義兄夫婦の行いが判明した時は憤りがありましたが今では反面教師として。
義兄夫婦は私の魂を鍛えてくれていると思えば憤りは不思議と収まりました。
弁護士を通じてこの世のルールに従った進めるだけ。
さらに魂を磨くには義兄夫婦に感謝することなのかも知れません。
残念ながら未だ、その域には私の魂は成長はしてないようです。
認知症の義母の貯金箱を奪い、施設から連れ出し預金を引き出し自分の口座へ入金した義兄の嫁の行動は驚きと怒りと呆れ返る気持ちと複雑に私達夫婦の心をかき乱しました。
その時は本当に((((;゚Д゚)))))))
しかし日にち薬💊
心を平常心に保ち弁護士の冷静なアドバイスは私達夫婦の心を少しづつ鎮めてくれたのです。

私も気持ちを整理し、この世で生きている意味。
因果の法則を考えると
私のこれまでの行き方の中で知らず知らず人を傷つけたり、お金や時間も間接的にでも奪ってきたから?かも知れません。
人を使い、頼り、甘えてきた何かが。
であれば
ここは義母のために。
その事を心に刻み行動しようと思ったら心が軽くなってきました。
すると
義兄夫婦に未だ感謝の念はないですが
ますます義母に優しく出来るから
ありがとう。
私の過去の反省をさせてくれてありがとう。
そう考えるようになれたのです。
考えと思いは違います。
考えから
思いに変化した時
感謝になるのかなぁ。

そう思う今日この頃です(^^)
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働く(^^)

2017年04月28日 13時24分45秒 | 過重労働
過労死(TT)
単に残業時間だけとはかぎりません。
セクハラ、パワハラ、モラハラなど。
また職種によっては緊張を伴う度合いが高い場合や過度にストレスを受ける職種もあります。

過重労働による過労死には身体的疲労、精神的な疲労、そして、それプラス何らかの圧が掛かったときに鬱病、脳や心臓疾患で労災となると思うのです。
今、残業代を含めた給料で生活をしている人からは残業をさせてくれと、でなけらば住宅ローンや子供の教育費が払えなくなる!と残業時間が少ないことに不満を持っている人もいるとか。

中には記事を見ると某アパレル社員は服にプライスを営業中に付けることは出来ないから残業してやる。というのです。その理由が営業中は接客が優先だから。と。
は?私が家電量販店や靴店にいたときは営業中にプライスや商品レイアウトを行いました。
お客様が四六時中店内にいるわけでもなし、仮に居たとしてもバイトに値札付を任せればよいだけのこと。
仕事の効率を上げる方法を考えで時間内におえる。残業ありきでするから、おかしくなるんです。また残業代を生活費用として当て込んで働いてる人の多くは30分で出来る仕事を60分かけてやってる。過労死するような人は60分の仕事を40分にするように努力してやってるのに浮いた20分は違う仕事を任せられ結局、仕事量が増える。
この差ではないかな?

だから電通の社員が亡くなった時、某大学教授が100時間くらいで!みたいな事をいってのです。

仕事の質、内容、量そして時間。
これを総合的に見て過重労働か?否かを判断してもらいたい!
労災認定を受けた私は今、会社の安全配慮義務違反で損害賠償請求していますが、会社の答弁書を読むと本当に心のない反省もない会社は悪くないとしか陳述されていません。

私が倒れた事で会社は私の健康、将来、家族の笑顔、娘の将来も奪っているのです。

本当ならお金なんかで済む問題ではないのに。会社は、如何にお金を払わなくて済むかしか考えてない、その陳述。
中小企業なので会社でありながら、その陳述は人間なんです。経営者!

金、金、カネ!!!
ここしか見てない経営者。
私は裁判で和解をするつもりは全くありません。
今の政府がやろうとする働き方改革は
企業は生産性を上げ効率化を推進し利益を上げて、その利恵還元を従業員へ。
従業員は健康を維持し家族との時間を大切にできるように。
日本が天国のような国に早くなれればと思う今日この頃です(^^)
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人生ドラマは生まれる前に脚本を作る(^^)50代のプロローグ

2017年04月28日 09時25分47秒 | スピリチュアル
50代の私の人生(^^)の脚本。
人生の構成は幼少期から熟年期、そして老年期まであると思いますが、その中の一部を抜粋します。45歳で部長クラスまで登ったのに私は我儘を言ったため二階級降格。その後リストラとなり会社を辞めることに。この退職は、それまでの傲慢さを悔い改めるキッカケなのかもしれません。転職もスムーズ(^^)給料は半分以下になりましたがヒラ社員から頑張り課長まで昇進したのに?職場で脳出血。これも私自身が生まれる前に決めたシナリオなのか?
まだまだ魂の目は盲目だった?から倒れた。
もし?リストラの時点で目覚めれば倒れなかったのかも知れない?そうも思いたいのも事実ですが、おそらく私の脳出血は絶対的な人生ドラマの山場なのでしょう。転職先の専務や社長にもカルマがあり互いにカルマ解消のために?必然的な出会いであるような気がしてなりません。
とにかく守られてる。そう思います。
シナリオ通りに歩むことで気づくことに気づけば魂は磨かれる道筋に乗ったのかも?
脳出血で倒れた場所が職場であったことで素直に労災申請を思いついたこと。
会社から救急搬送された病院が近かったことで出血も少なく済んだこと。
そして労災担当者の人柄もよく、この担当者も私の人生ドラマのワンシーンで重要な方であったのは労災報告書に明らかに労災と断定できると記述がされていました。お陰様で私の脳出血は労災と認定され死ぬまで生活補償を受けられることに。
労災は会社に安全配慮義務に違反があれば慰謝料など民事訴訟する権利があると知り約6年間の勤務を振り返ると(これは?ひょっとして会社は義務違反しているのではないか?〕退院後、パソコンの、前でネット検索すると、何となく今、お願いしている法律事務所が浮き上がって見えたのです。
何気なくサイトに入るとご相談フォームがあり何気なく私は事の経緯を入力したら翌日、返信があり『是非、事務所まで起こし願えませんか?』とのこと。私は本当に自分のイカダが素直に川の流れに乗った感覚で事務所へ伺いますと回答したのです。この時はまだスピリチャルな事に、そんなに深くは関心は持ってなく導かれるように妻と2人、事務所へといったのでした。
これは50代の章のほんのプロローグだったのかも知れません。
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徒然なるままに(^^)勇気を持てなかった後悔。

2017年04月28日 06時51分39秒 | 日記
一昨日、病院へ行く途中の出来事です(^^)
私は天王寺からバスに乗り病院へ向かいます。

いつもの時間に予約を入れてます。
昨日は午前から☂️
天王寺駅前のバス停から乗り窓の外を眺めていました。
すると途中のバス停からベビーカーに赤ちゃんを乗せて更に、もう1人の赤ちゃんを抱っこしているお母さんが乗って来たのです。

雨の日☂️傘を畳みベビーカーには雨よけシートもありました。

ノンステップバス(^^)
お母さんは、強いです。
『うんしょっと!』赤ちゃんを抱っこしベビーカーをバス🚌の中に乗せ車内へ。

私の左前方に席が、空いていましたので座られるのかなぁ。と思ったのですが座りません。
そこは優先座席なのに。

バスは進みました。
そのお母さん、なんと、私が座っている横の手摺につかまりながらベビーカーにはストッパーをかけ立っているのです。

え?まじなん?
私は考え込んでしまいました。
あ、俺が席を譲ろうかなぁ。
で、でも、俺も身体障害者やし。
杖を持っている俺が
席を譲流のも、なんかなぁ。
返ってお母さんに気を使わせるかなぁ。

でも今の現状を見たら、なぁ。
私の前に座ってる、オッさんを見ると?
スマホを弄ってる。
左前方が空いていたけど、気がついたら
オバハンが座ってる。
(お前ら、席を譲ったら?どうなんや?〕
やっぱり俺が立とうか?
と思ったその時
そのお母さん
次降りますのボタンを押したのです。

病院に着いてから
もっと早めに俺が席を譲るべきやったんや。
オッさんも、オバハンも悪くない。
俺の横に立ってた
お母さん。
まだ30歳前後かなぁ

なんか、後ろめたい気持ちというか
勇気の無かった自分が複雑な1日でした。
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