消費者金融に就職すると収入は年齢の割に高く賞与もいいです(^-^)会社も当時は5億円従業員650名、支店は105店舗これから拡大するぞ〜って感じでドンドン出店していきました。
そんな頃、店長になるには梅田支店に異動することが1つの登竜門。なんせ消費者金融会社全体でA社梅田支店は日本一の規模を誇っていました。
フロアーが2階と3階に別れ私は2階フロアの班長として配属。ここで融資残高を伸ばさないといけないのです。ところが( ̄∀ ̄)与信判断の厳しい私には貸付決済を出さない事が少なくなく2階フロアの融資残高が伸びません。店長からは毎日のように叱られ、班長から1督促担当に下げられました。日本一の支店です。延滞も半端なく多く、レンタカーを借り徹夜で回収に翻弄する日も多くなり私は精神を壊し、退職しました。
ここで店長になろうの決めたのに。挫折。
まだ22歳の私は気持ちをリセット。とにかく、一人前の社会人になって家族を持って家の一軒でも買いたい!
関西基盤の家電量販店へ転職しましたが給料は激減。残業しても残業手当も出ない。土日祝日も仕事。僅か半年ソコソコで結局、消費者金融会社へ転職。L社でした。業界トップのT社は仕事がキツイとは知ってましたしA社にいた頃、もし?同じ消費者金融会社に転職するならL社がいいよ。と聞いた事もあったのです。
私は転職の時に提出する履歴書は靴屋さんと家電量販店しか記載しませんでした。正直に書くと不採用となることが何となくわかっていたのでL社へ提出した時は靴屋に新卒、そしてその後家電量販店。その方がキャリア的に良いので( ̄∀ ̄)A社にいた事書いたら?速攻不採用になると。思ったのです。何が何でもL社に入り出世してたくさんの収入を得るんだと強く思ったから。昭和58年3月わたしはL社へ、無事入社。またしても新店舗の、それも、なんで?ここに支店を出すのかな?という場所でした。大阪環状線玉造駅。L社も当時、出店ラッシュ。玉造以外に9店舗同時オープンを私が入社する少し前にあったのでした。でも出せばいいって問題??なんで玉造なの?とほ思ってましたが、ほんとヒマ。新規貸付は少なく新店舗なので督促もない。だから残業もないのです。
すると店長が『心斎橋支店の督促やってみる?もう1年近い延滞ばっかりやから勉強なるよ。』と言われ翌週、店長自ら100名ばかりの延滞している顧客台帳を心斎橋支店から持ってきてくれました。私もA社で培った回収ノウハウを使いながら知っていても、わざと知らない素ぶりを見せ店長から指導を仰ぐカタチを作りながら取り組んでいると、のんとも行方知れずになっていて心斎橋支店では管理部移管予定債権を三名回収したのです。
これが私のL社での出世の足がかりとなったのです。
そんな頃、店長になるには梅田支店に異動することが1つの登竜門。なんせ消費者金融会社全体でA社梅田支店は日本一の規模を誇っていました。
フロアーが2階と3階に別れ私は2階フロアの班長として配属。ここで融資残高を伸ばさないといけないのです。ところが( ̄∀ ̄)与信判断の厳しい私には貸付決済を出さない事が少なくなく2階フロアの融資残高が伸びません。店長からは毎日のように叱られ、班長から1督促担当に下げられました。日本一の支店です。延滞も半端なく多く、レンタカーを借り徹夜で回収に翻弄する日も多くなり私は精神を壊し、退職しました。
ここで店長になろうの決めたのに。挫折。
まだ22歳の私は気持ちをリセット。とにかく、一人前の社会人になって家族を持って家の一軒でも買いたい!
関西基盤の家電量販店へ転職しましたが給料は激減。残業しても残業手当も出ない。土日祝日も仕事。僅か半年ソコソコで結局、消費者金融会社へ転職。L社でした。業界トップのT社は仕事がキツイとは知ってましたしA社にいた頃、もし?同じ消費者金融会社に転職するならL社がいいよ。と聞いた事もあったのです。
私は転職の時に提出する履歴書は靴屋さんと家電量販店しか記載しませんでした。正直に書くと不採用となることが何となくわかっていたのでL社へ提出した時は靴屋に新卒、そしてその後家電量販店。その方がキャリア的に良いので( ̄∀ ̄)A社にいた事書いたら?速攻不採用になると。思ったのです。何が何でもL社に入り出世してたくさんの収入を得るんだと強く思ったから。昭和58年3月わたしはL社へ、無事入社。またしても新店舗の、それも、なんで?ここに支店を出すのかな?という場所でした。大阪環状線玉造駅。L社も当時、出店ラッシュ。玉造以外に9店舗同時オープンを私が入社する少し前にあったのでした。でも出せばいいって問題??なんで玉造なの?とほ思ってましたが、ほんとヒマ。新規貸付は少なく新店舗なので督促もない。だから残業もないのです。
すると店長が『心斎橋支店の督促やってみる?もう1年近い延滞ばっかりやから勉強なるよ。』と言われ翌週、店長自ら100名ばかりの延滞している顧客台帳を心斎橋支店から持ってきてくれました。私もA社で培った回収ノウハウを使いながら知っていても、わざと知らない素ぶりを見せ店長から指導を仰ぐカタチを作りながら取り組んでいると、のんとも行方知れずになっていて心斎橋支店では管理部移管予定債権を三名回収したのです。
これが私のL社での出世の足がかりとなったのです。