おばあちゃん(妻の母)と電話を切った妻が2階から下りてきて悲しい表情で一言・・ボソっと『私が悪いんや・・』そう自分を責める言葉を言ったかと思うと突然、泣き出したのです。話の内容を知らない私は、ただただ妻を見守るしかありませんでした。『A香・・おばあちゃんに暴力振るってる・・それにバイト先のコンビニから食べ物を買ってきて”食べろ!食べろ!って責めてるみたい・・年よりやん?シュークリームとか揚げ物とか、いっぱい買ってくるんやて・・朝からパンに牛乳に唐揚げに・・・もう、そんなに食べられるわけないやん・・泣いてた・・』長女は祖母に、やたら食べ物を食べることを強制しているようでした。そう言えば、以前、長女が家にいたとき・・次女に向かっても似たようなことがあったのを思い出しました。次女の食事を、じっとにらみつけ、御飯を残すと次女に『E香!!食べッ!!もったいないやろ?』長女自身が食べられないのを棚にあげ次女に責めていたことがありました。『お姉ちゃん!ウチの事はほおっておいて!!今日は食欲ないの!!』そう反抗する妹に『それぐらい食べられるやろ!!』と言うと『いつもいつも・・ウチが御飯食べるの見張ってるみたいに睨んで!!食欲なんか出るわけあらへん!!』当時、次女も食べ盛りの中学生でした・・当時、次女の食欲は減退し妻が『E香まで拒食症になったら・・どないしよ!!』そんな不安にかられた頃でした・・それと同じように祖母に対し食べることを強要し祖母が食べられないと・・暴力を振るうと言うのです・・衣類を持って引きずり回された・・そんな事を娘である妻に言ってきたのです。祖母も長女の病気のことは知っていました。そして妻に言ったそうです。『私が受ける・・孫は病気や。何か心にあるんやろ?せやから、このまま私の家で暮らさせる。本人も他に行くとこないんやし・・』祖母の言葉は私の心も痛めました。親が娘を病気にし親が治すことができなく・・義理の母まで巻き込んでしまった・・そんな思いが心を痛めました。『私が、あの子が中学の時・・愛せない・・と言ったから拒食症になったんや・・私のセイで・・』長女は高校を卒業し大学に入り平成26年1月まで祖母の自宅で暮らすことになったのです。
長女が高校3年生の2月・・卒業を目前に家を出ました。『ウチの居場所あらへん』泣きながら荷物を持って出て行ってしまったのです。大阪府豊中市に妻の実家があり、長女は妻の母(おばあちゃん)と暮らすことになりましたが・・そこから一波乱が始まるのでした。高校は私学のため3学期は殆ど出席せず大学の入学を待つばかり。入学予定の大学も阪急沿線なのでアクセスも良いのです。高校に行かない日は大阪でコンビニや飲食店でバイトを始めたそうで『あの子。。大丈夫なんやろか?』妻がときおり私に言うのです・・一時期は体重35キロくらいで朝から起きることも立ち上がることすら出来ない時もあったのですが高校3年の秋ごろからすこし体力を回復したようでした。しかしながら朝食はメロンかマンゴーしか食べません。昼は食べず夕食はサラダか総菜等、野菜しか食べません。そんな、ある日の夜・・"Rrrrr♪"電話のベルが鳴りました・・『●●さん?・・居る?』電話の声はお義母さんでした。妻に変わると・・『どうしたん??・・・・え?・・・うん・・』妻の表情が曇ると同時に一旦、保留にして妻は2階に上がりました。2階の子機で話をしているようで・・私も当然、気になったのですが・・ひとまず話が終わるまでリビングにいることにしたのです。1時間?いや2時間は過ぎたでしょう・・漸く電話を切った妻が涙目で『私・・辛い・・』長女が拒食症になってから家族の笑顔は消え妻や次女の涙ばかりを見るようになりました・・しかし一番、悲しくて寂しくて孤独感がイッパイだったのは長女かもしれません。そんな家族の心の状態を本当の意味で私は、わかっていなかったのです。そして妻の母まで悲しみの渦に巻き込んでしまったのです・・・・
ありがとう・・最近、よく使う言葉ですが、ふと?さて人様から【ありがとう】と言われたことは、どれくらいあるだろうか?飲食店とか行って食べて帰るときの【ありがとう】ではなく。本当に人様から感謝されて言ってもらえたのは・・本当に"少ない"のです。人にやさしくしたり、助けてあげたり、手伝ってあげたり・・それだけ人様の役にたつことをしていないからだろうと思います。では・・これまでの人生、どれほど人様から【ありがとう】と言われたのだろう・・【ありがとう】という言葉、感謝の気持ちの言葉ですが私は病気になって、この【ありがとう】という言葉を多く言うことはあっても人様から言われることは・・殆ど、なくなりました。寂しさを感じます。ありがとう・・と言える事も大切ですが人様から言って貰えればもっと輝く言葉と強く思えてなりません。そして人に、この言葉を促すことはもちろん、期待する言葉ではないような気がします。人に促したり期待した瞬間、せっかく素晴らしい言葉が曇ってしまうような・・心から発する言葉だからでしょうね。少なくとも、人様に対し素直に言える自分でありたいと・・そう思います。最近、8つの天国言葉に加え【よかったね】を言うようにしてから次女の表情もそうですが最近『ウチって●●っていわれるけど・・お父さんから見て、ウチってどう?』よく聞かれるようになりました。また『こんな場合、どうしたらいい?』とか意見を聞いてくることも。これまで私が意見したら鬱陶しいと思われていたのですが娘から意見を求めてくるようになってきました。すこしづつですが家の中に光が入ってきてるような気がします。
毎日、天国言葉を使うように意識してると、多い言葉は【ありがとう】です。自分から『ありがとう』を言うようにすると感謝の心が自然に芽生えますね。いつも通院している病院・・私、たくさんあるんです。脳外科・耳鼻咽喉科・内科・歯科・リハビリ科に精神科・・もう大変です。見てもらってる先生、周囲の看護師の方やリハビリの方・・会う方、会う方に『ありがとう』を言ってます。すると先日、ケアマネージャが自宅に来たときも、いつもいつも気にかけてくれてありがとうございますって言ったら『最近、顔の表情がいいですね。退院された直後にくらべると断然にいいです♪』と言われたり昨日、妻と一緒に買い物に言った先のスーパーでも・・買い物の時は車椅子に乗り妻に押してもらっているのですが・・妻が『すこし、ここで待っててね。野菜を取ってくるから♪』そう言われ肉の売り場の隅に車椅子を寄せられ待っていた私に見ず知らずの初老の男性から『お身体が悪いのですか?足?ですか?お顔は、とても健康そうでいらっしゃる・・私もすこし不自由なので・・』笑顔で話しかけてきた初老の男性は杖をついておられました。『ありがとうございます。すこし長患いをしまして・・』と答えると『そうですか・・どうぞお大事に。』たった2~3分の会話でしたが見ず知らずの人に気遣って頂いたのは退院して初めてでした。それに『お顔は健康そう・・』とも。天国言葉を意識すると表情も穏やかになって人が声をかけやすい顔になってくるのかな?すこしづつ変化がおきてきて気持ちも嬉しくなってきています。そう思うと長いサラリーマン生活の間、業績や評価を気にし競争の渦に巻き込まれていたころは全く人様の心の痛みを感じ取ろうともせず、奪うことばかり考えていて『ありがとう』という言葉を心から発したことはあっただろうか・・人から協力や支援をして貰っておきながら当り前としか感じず周囲を振り回していたことを思い返すと心がキューッと痛みチクチクしたり・・若かった頃、傲慢で・・でも当時は困ってないから学習もしなかったんだろうなと。以前の会社を退職し現在の会社に転職した翌年の年賀状の数が半分以下になっていました。当時は、そんなモンだと何も感じなかったのですが今は、"徳"を積んでいなかったからだと思っています。天国言葉は"徳"を積んでいくための初歩であることを齢50も半ばにして、やっと爪の垢ほどですが分かったと実感した昨日でした。
とにかく掃除と整理整頓。物置や押入れから出るワ出るワ 不要なもの・・ゴミ??古い酒・・・今、捨てたり、リサイクルショップに売ったりしてます。結構、かたづいてきました。不要物が占拠してたスペースを活かしてます。すると・・最近ですが本当に必要なものを買う気持ちに変わってきたのです。以前は安いから・・とか買い置きしとこう・・とか・・止めました♪ 例えば、今はLED照明器具の時代ですよね?昔、買っていた蛍光灯シャンデリアの球が出てきたのです。『もしも球が切れたら!』と思って買い置きしていた球でしたが、既に、もう蛍光灯シャンデリアはありません。本体が無いのに球だけ残っていたのです。これぞ無駄の極み。整理整頓・掃除は心や考え方の整理整頓にもなりますね♪そういう小さな積み重ねが気持ちのゆとりに変わってきました。確かに使えなくなった球はもったいないのですが、そんな無駄遣いした自分自身を『許す』のです。""あーー!もったいない、なんで俺は・・""なんて思うとイライラが溜まってしまうし自分を責めることになりますよね?やめました♪『人間だもの・・こんなこともあるし今度から気をつけよう』と言って自分を許すと何故か【ホッ】として心に穏やかなユトリが出てきたような気持ちになったのです。そうやって自分自身に穏やかな気持ちを少しでも多くして・・次女の愚痴を聞く準備をしていました。そうすると・・すこしづつですが次女の愚痴も減ってきたような気がします。愚痴って周囲に許す気持ちがないのかな??自分が正しいというスタンスから入ると"シンドイ"し愚痴ることにもなるような・・かと言って次女に愚痴っても解決せえへんやろ?と正論を言ったところで次女の心はおさまらないのも分かるようになりました。まず私から・・そんな気持ちから掃除を始めてみました。