「六日間は仕事をする。しかし、七日目は主の聖なる全(まった)き安息(あんそく)である。安息日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。」(出エジプト記31:15新改訳)
この戒(いまし)めはとてもきびしく見えるが、主イエスは「安息日は人のために設(もう)けられたものである」(→マルコ2:27)と仰(おお)せられた。もし安息日がなかったら、人間は死ぬまで働かされ、苦しみの奴隷(どれい)となっていたにちがいない。神は私たちに対する愛とあわれみから、休息(きゅうそく)のときを設(もう)けてくださったというのがほんとうである。▼このように、人は安息日があるため、労働から解放(かいほう)され、息をつけるのだが、ユダヤ人指導者たちは逆に、安息日(あんそくにち)を厳守(げんしゅ)せよといって民衆(みんしゅう)をさばき、苦しめた。彼らは安息日を守っているかどうか、目をひからせ、人々の心を窒息(ちっそく)せんばかりにしばりつけた。なんという律法のはき違(ちが)えであろう。▼主イエスは神ご自身だから「安息日の主」であり、守る、守らないは全く自由なのに、パリサイ人たちから「お前は人々の病気を癒(い)やした(すなわち仕事をした)」といって非難(ひなん)されたのであった。