「私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。」(ガラテヤ1:6新改訳)
パウロは、イエス・キリストの福音を信じて救われ、大きな喜びの中にあったガラテヤ諸教会が、もとのユダヤ教の教えに心惹(ひ)かれ、そちらに移っていくことに深い悲しみと憤り(いきどおり)をおぼえている。▼律法的な儀式を守ることにより、救いに到達できないことは、その中を通って苦しんで来たパウロには痛いほどよくわかる事実であった。そこからキリストのあがないによって救われた喜びを語ったパウロに、あれだけ共感(きょうかん)し、救いにあずかり、御霊による喜びを体験したガラテヤの人々、その彼らが簡単にユダヤ教の教師たちに洗脳(せんのう)され、そちらに鞍替え(くらがえ)するとは、なんと悲しむべき錯誤(さくご)であろう。使徒の悲しみはそこにあった。▼いったい人は霊的に深い真理を理解するより、具体的(ぐたいてき)で目に見える儀式や教えに弱い者である。律法の教師たちはそこにつけ入り、パウロの教えでは救いにあずかれないと人々を説得し、だました。使徒の悲憤慷慨(ひふんこうがい)が伝わって来るようだ。