「しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。」(ピリピ1:24新改訳)
パウロのほんとうの願いは、この世を去り、一刻も早くキリストのみもとに行くことであった。彼はあまりにも天の世界を知り、主のご愛を間近に感じていたので、地上のことにはなんの魅力もおぼえていなかった。だが、諸教会はパウロの宣教と牧会指導、その深遠さに満ちた書簡を切に求めていたから、羊たちへの愛からこの世にとどまらなければと感じていたのである。▼この世の人たちは、自分の死期が迫るとあわてふためく。なんとかして病気や危険から逃れ、一日でも長く生きたいと、いかなる犠牲でも払う。それを思うと、パウロの死生観は、一般人となんとかけ離れていたことかと、あらためて心がゆさぶられる。はたしてキリスト者を自認する私たちはどうであろう。▼パウロのように、またエノクやモーセのように神の御霊によって歩み、天と地の区別がないほど主の臨在をおぼえながら日々を生きたいものだ。それが地上に残る人々にとって、永遠の希望となるにちがいないから。「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私にはわかりません。私は、その二つのことの間で板ばさみになっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。」(ピリピ1:21~23同)