「サムエルは民に言った。『さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。』民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。」(Ⅰサムエル11:14,15新改訳)
このときは、サウルにとっていちばん幸福なときであったろう。なにしろアンモン人に対する大勝利を得たのであるから。しかし、この勝利はサウル自身によるものではなく、あくまでも神の霊によるものだ、ということをサウルは心に留めなかった。「サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った」(6)とあり、「主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た」(7)とも記されている。▼後のダビデはサウルとちがっていた。彼はいつでも神にまず戦いの勝利をうかがい、詩篇にみられるように祈りをささげ、いっしょに戦いに行ってくださいと懇願(こんがん)したのである。神に愛されることなくして勝利はない。これはいわば万古不変(ばんこふへん)ともいうべき真理である。