9月20日・21日1泊2日の「ヨーガ合宿」に参加してきました。
何故瞑想するのが良いことなのか。
日常茶飯事、いろいろな悩みが現れます。
また、何か物事に反応してイライラしている私がいます。
心がいつも平穏で円満な状態でいたと思うのは皆さんの願いでしょう。
何かに反応したとき、常識や今までの経験で判断します。
その判断は好き嫌い、善悪で判断しています。
例えば
・誰かに何か傷つくことを言われたとします。
・反論したいけれど私の性格が悪いから言われたと判断してしまい。そして心におくに閉じ込めてしまいます。
・心は納得したわけではない。いつも奥では不満があり顔にも陰りが現れています。
・押し殺したつもりが寝る前に現れる事があります。直ぐに現れないが一致する条件が現れたとき同じように反応しています。
私たちは、押し殺さず、何故反応したのかを確かめると本当に自分が何に反応したのか気がつくです。
何に・・・自分の中にある思いです。
反応したのは言った人ではなく、その言葉に反応した自分の思いなのです。
その思いを取り除くことです。
しかし、その人を恨んだり、ねたんだりします。そしてその恨んだりしている自分をまた善悪で判断して自分を否定します。
このように、次々起こる事柄に心は右往左往してイライラの原因を作ります。
その原因を根こそぎ取り除くのが瞑想です。
私は時折、心が何を掴み、掴んだ事柄に対して「つぶやく」かを見続けることがあります。
いろいろな評価をしています。そして自分と他と比べています。
時には、優越感や自己否定をしています。
忙しい日々に動き続けている傾向があることに気がつきました。
そして習慣性に心を野放しにしていることにも気がつきます。
野放しはいろいろなものを拾い集めるです。
心が動くと自律神経系も動きます。するといつも緊張状態なのです。
このような繰り返しが身体に痛みや病巣を作ります。
だって、常に神経は休むことなく心に付き合っているのですからね。
私が「心のつぶやき」も観察を始めてから、
何日かして「心を観察する癖」が付きました。
そして心が動き始めると動きを止めことができるようになったのです。
しかし、止められないときもあります。そんな時は心の動きの「ハートに集中」するようにしました。
すると、いろいろなものや言葉に反応しなくなりました。
これを識別瞑想と言います。
根こそぎ取り除くまでの過程だとも気がつきました。
この作業して、日々、心のゴミを少なくしておくことも必要な気がします。
そして心を止めることと同時に集中する練習も必要ですね。それがアーサナ

です。そして呼吸法です。
だんだん心は軽やかで快活になっていきます…そんな心に気づくことになります。Happyですよ