皆さん本当に一生懸命に生きておれるようですね。
慈愛を持って子どもを育て上げることは、どんな事業よりも素晴らしい社会貢献だと思います。
だって次世代を担う人つくりですからね。
皆さんが人つくりである子育てを外註される(他者に子育てを任せる行為)のはもったいないことだと思います。
もちろん子育ては「群れて育てる」ことが善いと感じている私です。
保育園にあずけることがいけないとは思いませんが、
あずける思い、動機です。
ご両親の心根でしょうね。
深い心の内は児は感じるものです。
小さな子ほど、計らいがないぶん感受性が鋭く、母達の心根を感じ取ります。
児に対して、あずけるて働く自らの思いに嘘はいけません。
母や父が気付かないうちに児の心を傷つけます・・・。
本当の心を明らかにして子育てをされるといいと思います。
ということは、自宅で子育てをしているお母さんも同じことがいえます。
真実は、一つしかありません。
私はヨーガをベースに生きています。
「ヨーガにはバクティ・ヨーガというヨーガあります。愛のヨーガと言います」
愛というのは私たちに備わっている根本的な性質の一つです。
エゴを主体とした愛は、奴隷的な愛になりますが、
エゴを無くした無心な愛は普遍的な真実の愛に近づきます・・・神を感じるようになります。
同じ愛でも自我を愛する愛と他者を愛する愛とでは大いに違います。
そこには、心の平安と満ち足りた状態が生まれ、すべてのものが愛おしくなることでしょう。
そして「すべては平等なる尊い命」を感じ取ることでしょう。
児のことが感じられるか非かで、人としての生き方が違ってきます。
愛は無心・・・。
故に尊い。
慈愛を持って子どもを育て上げることは、どんな事業よりも素晴らしい社会貢献だと思います。
だって次世代を担う人つくりですからね。
皆さんが人つくりである子育てを外註される(他者に子育てを任せる行為)のはもったいないことだと思います。
もちろん子育ては「群れて育てる」ことが善いと感じている私です。
保育園にあずけることがいけないとは思いませんが、
あずける思い、動機です。
ご両親の心根でしょうね。
深い心の内は児は感じるものです。
小さな子ほど、計らいがないぶん感受性が鋭く、母達の心根を感じ取ります。
児に対して、あずけるて働く自らの思いに嘘はいけません。
母や父が気付かないうちに児の心を傷つけます・・・。
本当の心を明らかにして子育てをされるといいと思います。
ということは、自宅で子育てをしているお母さんも同じことがいえます。
真実は、一つしかありません。
私はヨーガをベースに生きています。
「ヨーガにはバクティ・ヨーガというヨーガあります。愛のヨーガと言います」
愛というのは私たちに備わっている根本的な性質の一つです。
エゴを主体とした愛は、奴隷的な愛になりますが、
エゴを無くした無心な愛は普遍的な真実の愛に近づきます・・・神を感じるようになります。
同じ愛でも自我を愛する愛と他者を愛する愛とでは大いに違います。
そこには、心の平安と満ち足りた状態が生まれ、すべてのものが愛おしくなることでしょう。
そして「すべては平等なる尊い命」を感じ取ることでしょう。
児のことが感じられるか非かで、人としての生き方が違ってきます。
「悟り」よりP193をご覧ください。
素晴らしい愛が記されています。
それは神を子どもに見立てる愛の姿です。
ちょうど母親が何もできない赤子の面倒を見るように乳を飲ませ、
子どもが望むものを与えてやるという無条件の献身がそこに見られます。
それがこの世における尊い母の幼児に対する行い、愛の姿です。
母親は子どもから何の見返りも求めることなく、
ただその児が健やかに育ってくれることだけを祈って、慈しみます。慈愛です。
この慈愛はヴァーッツァリヤという名称で呼ばれます。
愛は無心・・・。
故に尊い。