~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

アーサナの大切さ

2008-08-31 22:58:41 | Saranyaのひとり言
毎日、いろいろな出来事が一瞬一瞬に現れてくる。
その出来事に反応しているのは心です。


私たちの(呼吸・心・体)はつながっています。呼吸は体や心を支配しています。

アーサナを行うことにより、体を制御します、そして、呼吸を整え心も制御するのです。
心が変化することで無頓着になれます。そして、それぞれの出来事に反応しなくなります。

だから、アーサナは大切です。

アーサナ中は目を開き行うようにする。
目は開いているが見ていない状態、それは、内なるものを見ているから。

アーサナは、形ではない。
呼吸を感じて、制御する。そこに、静寂が現れ心の働きは止まる。

心の乱れに振り回されている人たちに。
アーサナ終了後トラタカを行い集中の訓練をしましょう。
その後、瞑想です。

あなたは、いつの日か何かを見つけ、軽やかに生きることできるようになります。


イライラする心

2008-08-30 03:34:02 | いるかこもれび助産院
時として、児の成長段階でイライラしていませんか?

首も据わらない児をこわごわ抱いていた頃、
児があくびをすればびっくりしたり。
泣けば何故泣くのか分からなくておどおどしたり、不安でいっぱいだった頃もありました。

少し慣れてくれば、可愛く感じられるようになります。
いろいろな仕草が愛しくなり、世界で一番可愛い児になりますね。
そんな中でも、これでいいのかと育児に悩みます。
成長すればする度、理解できないことを繰り返し行う児を見て、心がいらだちます。
「何故こんなに、振り回されるのか?こんなことしていては時代に取り残される?自由な頃が懐かしく自由になりたい」等々。
焦りといらだちは、日々つのるばかりです。

しかし、いったい誰が、不自由にしているのですか?
あなたの心を誰が束縛しているのでしょうか?

すべては、自分自身の内側に原因があり、答えもあります。
少し、気が落ち着くと、いつもあなたは気づいているはずです。
この児は私の太陽であり、命だということにも気づいているはずです。

それなら、イライラしないで、楽しい育児に変えては如何でしょうか。

いるかくらぶでは【はぐはぐ】を

毎週月曜日・水曜日
10:30から15:00まで
500円で自由に出入りができます。

みんなで、イライラしてしまう時期を寄り添い、励まし合い、協力して育ちあうことが目的で開催しています。

近所にお友達がいない母子の方もお友達捜しにもなります。
子育てコーディネーターが2人でお世話します。


今日も、一日好い日でありますように!


赤ちゃんの頭

2008-08-29 08:15:49 | いるかこもれび助産院
赤ちゃんの頭を観察されたことありますか!

Jpg_2

歪みのない頭ですが、あなたの赤ちゃん大丈夫ですか!

医師によっては、大きくなれば直りますと言われますが
大きくなるまでには、成長過程があります。

寝返り、うつ伏せ(腹ばい)、うつ伏せ状態での維持、ハイハイ、お座り、つかまり立ち、歩行。1年6ヶ月くらいでほど完了します。
個人差があり、寝返りは早くできる児、遅い児で6ヶ月頃の児もいますが、成長過程は変わりません。
寝返りしないで、いきなりつかまり立ちはしません。
頭の歪みは、寝返りが困難になります。うつぶせを嫌がる、ハイハイができないなど、
大きくなる過程で、やはり必要な動作は大人になってからも影響するようです。

お母さんの意識が少し変わるだけで防げることがあります。

お母さんの気配りは、新生児からです。
情報に振り回されないで、赤ちゃん自身の成長に合わせてあげてください。
耳を澄まして、赤ちゃんの心からのメッセージを受け止めてあげてください。

お母さんの【愛】尊く、どのような情報よりも優れています。


赤ちゃんは神様ですよ。
いっぱい、お母さんに幸せくれます!

心を静めて、耳を澄ませば、
聞こえてきます。

赤ちゃんの願いが!

大丈夫!愛があれば。
育まれる愛。

いるか広場の【無償の愛】をご参考にしてください。





Dsc01107_3


自分の悪い習慣を知り、変えていくこと

2008-08-28 08:06:25 | いるかこもれび助産院
今月のいるか広場のテーマ

自分の悪い習慣を知り、変えていくこと

周囲に影響されずに、いつも同じ自分でありたい、と思っています。
その気持ちは、ヨーガを続けるきっかけのひとつでもあります。
私は、いつも、他人の目が、周囲の目が、気になっています。
つい、自分がどう思うかよりも、他人にどう思われるかを考えてしまいます。
自分が何か話すとき、相手・周囲の反応を常に考えます。そして反応がないと、落ち込み、または反応によって、落ち込みます。自分次第でなく、相手・周囲次第で、一喜一憂しています。



何をするにも、
「フツウはどうなのか?」
「みんなはどうしているのか?」がまず気になって、
「本当は私はどうしたいのか?」がわからなくなっている気がします。




私の集中力の無さは、こう言うことに起因しているのかもしれません。
こうして自分の状況がわかっていないのに、周囲の人がどういう状況であるか、とても気になります。
そして、周囲の人と自分を比較して、また落ち込みます。
他人に対して、羨む気持ちが大きいと、それをまた自己嫌悪して落ち込みます。
このような心の動きに、大変疲れています。
こんな無駄なことをしている時間と労力を他に活かせたら、とよく思います。



いるか広場で聴いたお話を思い出すと、これが私の癖なのだと思います。
アーサナをほぼ毎日するようになってから、約半年になります。
2~3ヶ月前から、この癖が特に気になりだした気がします。
「気づくことが大切。何ごとも気づきから始まる。」と教わりましたが、やっと気づくことができたのかもしれない。では、これからどうしていくか?





アーサナは、この1~2ヶ月ほどで、少し体型が変わってきたようで、以前に比べてやり易くなった。また、「やらなくてはならない」と言う義務感のようなものがなくなってきた。アーサナはこのまま継続する。瞑想・プラーナヤーマは全くできていないので、ちゃんと実践していく。








以前のいるか広場の原稿やまとめを読んでみると、同じようなことで悩んでいることが分かる。
それこそが自分の癖であり、繰り返していることを理解し、その習慣を変えて行く。
今までのいるか広場でお聴きしたことで実行していないことがたくさんある。
教えていただいたことを振り返り、実行していくようにしたい。






毎日、日常の生活に追われて、じっくり考える時間を持っていません。しかし、アーサナの時間を取ると同時に、瞑想や、本を読んだり、自分の気持ちを書き出したり、今までのいるか広場を振り返ったりして、考える・心の整理をする時間を取ることも、大切だと思いました。毎日は難しいかもしれないが、1週間に1度でも、時間を決めて行って行きたいと思います。







08.0825 自分の悪い習慣を知り、変えていくこと
今回のまとめ



・ 周囲の問題(周囲のせいだ)と思っていることは、殆ど自分の問題である。

・ アーサナを毎日するようになって、振り回されなくなって来た。
  ぶれなくなって来た。
  1本の道のようなものが、はっきりと見えるようになった。

・ 「フツウ」とは何か、具体化してみる。言葉に左右されていることもある。

・ 心はいつも何かを追いかけて満足を得ている。
  追いかける対象はエゴ的なものである。

・ 「心は思い通りになる」と、錯覚している。

・ 小芋を一緒にたくさん洗うと、小芋同士がぶつかり合い、綺麗になっていく。
  ヨーガもみんなで行うことで、みんなが綺麗になれる(心が浄化されていく)。

・ こわがらずに行為していき、自分の中にある何か(エゴや煩悩)を引き出していく。
  行為しないとわからない。
  そういう作業をするために今生まれてきている。
・ アーサナによって、呼吸が整っていくと、心も整っていく。
  呼吸(肉体)と心は密接な関係にある。
  これは、ヨーガが発見した知恵。誰もがそれを実践することができる。

・ 献身奉仕することで、自分自身を調教する。
  献身奉仕とは、汗水流してやることばかりでなく、
  「常に笑顔でいる」を毎日継続すること等でも行える。

・ 自分を責める、落ち込むことは、
  「自分を落ち込ませる自分」さえも、自分が作り出している。
  落ち込んでいたら、
  周りが可哀相だと思ってくれる、とか、
  優しくしてくれる、とか、思っていないか?
  それなら、落ち込むより、楽しく、したいことをした方が良い。

・ 10年前も、1分前も過去。反省は必要だが、どうありたいかに目を向けるようにする。

・ 正しい知恵とは何なのかを学ぶこと。
  非煩悩性の正しい教え。
  識別は、エゴを軸にして行うのではなく、
  どこにいても正しいこと、普遍的ことを軸にすること。これを学んでいく。


※ 自分の頭の中ばかりで考えていても、難しい。
  何か軸になる、普遍的な書物
 (聖典・インテグラルヨーガ・プラナヴァサーラ等)を読むことも良い。
※ 掃除をする。落ち込んだら、とりあえず「動く」。
  散歩でも良い。
  掃除は、体を動かすと同時に、心の整理もできる。

※ 自分自身を演じていく。
  どうせ演じるなら美しく。
  今日はやるけど明日はしない、ではなく、○○役に徹する。
※ ヨーガを毎日続けていくことで、心の入れ替えをしていく。
  できない日があることも認める。
  全部でなくても、少しづつでも、やる。
  「やるか、やらないか?」ではなく、少しづつでもやる。
  それを繰り返していく。





原動力は愛

2008-08-27 19:42:33 | Saranyaのひとり言
私は、ある出来事で、自分自身が、このくらぶを支えてきたのだと、傲慢になっていたことに気づきました。
ある出来事は、降ってわいたわけでもない。
そして、偶然に現れたわけでもない。
原因があって、結果として現れただけである。
自業自得である。

かなり、へこんみました・・・・・!

自己嫌悪に陥りそうにもなった、
しかし、そこに仲間がいた、見守り支えてくれる仲間がいたのです。
私の傲慢さも責めず、快く手助けをしてくれ仲間たち・・・・・。
ヨーガのクラスを終えてから、私の頼みを疲れているにもかかわらず、すぐに行ない返事をくれた。

私は、その献身的な行為に勇気と希望をいただいた気がする。

めそめそなんてしていられない!
へこんでなんかいられない!

このブログを読んでいるあなたにも、いっぱいの仲間たちがいることを忘れないで欲しい!

親愛なる友より、
聖者・ラーマクリシュナは【神がしている神の仕事、人はワタシがするという】
私も、人なのである。
神が与えてくれた生き甲斐なる仕事を、傲慢にもワタシがしてきたと思い込んでいた。

友・仲間たちの親切・愛は。
【我々のすべての行動の原動力は愛である】

長い長い一日でした・・・・・・!

みんな、ありがとう