~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

真実を観る!

2020-03-31 21:20:10 | Saranyaのひとり言

人は自分にも嘘をつく、そして本当の心を気がつかず言葉や行為として表している。実は心の奥に本音がある。その本音を知ること、そして識別することが大事なのだと思う。

この門をくぐれば、心の奥が見えたらどんなに生きやすのだろう。素直に生きたい、暮らしたい、過ごしたい、本当のところ皆さん同じ思いのはず。

人とはその様な思いで日々を過ごしている。したいなりたいという思いがいろいろな苦しみを生み出し、その思いに惑わされているのです。しかし、その思いに気が付けない私がいます。その私に気がつくには「生きる目的」を本当によくよく考え、「私・私の物」という意識から離れたところで、何度も何度も考えていくのです。迷うでしょう。分からなくなるでしょう。でも、諦めないで、日々考え続けるのです。迷いそうになれば、今しなければいけないことに一生懸命になることです。分からなくなったり、どうしたらいいのか不安になれば、本当の目的につかめる様に祈るのです。その祈りから心を離さず、集中していくのです。神様は本当の目的・この世に生まれて来た意味・目的に気付かせてくれるでしょう。

ただ、淡々と黙々と今の義務を果たすことです。


蜘蛛の糸より

2020-03-27 09:21:37 | Saranyaのひとり言
蜘蛛の糸  芥川龍之介、学生の頃の印象は自己的な思いは不幸になるのだと思ったものです。
 
 
お話のあらすじ
ある日の事でございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちより地獄の底を覗かれた。・・・ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛くもが一匹、路ばたをって行くのが見えました。そこで※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗むやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。・・・極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮しらはすの間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御おろしなさいました。・・・※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多かんだたは、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。
 まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。すると、・・・ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限かずかぎりもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるでありの行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。・・・自分一人でさえれそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数にんずの重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中でれたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎かんじんな自分までも、元の地獄へ逆落さかおとしに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよとい上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
 そこで※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。お前たちは一体誰にいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」とわめきました。
 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立ててれました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着とんじゃく致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足おみあしのまわりに、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色のずいからは、何とも云えないい匂が、絶間たえまなくあたりへあふれて居ります。極楽ももうひるに近くなったのでございましょう。

新型コロナウイルスの感染は世界中の人々が不安になり、自粛をよそに買い溜めに走ったり、不安から繁華街で若者たち多勢で騒いだり、本当のところは不安からでしょうね。

カンダタのように『私が助かりたい。良い思いがしたいなどなど』と思ったばかりに自らも闇の中へ・・・。

〜 今を生きる 〜 ヨーガの福音より引用

人生は一瞬一瞬が分かれ目なのです。

だからあなたは過去でも未来でもなく、

「今」を生きなければならない。

あなたが神に救われたいのなら、

神を求めなければならない。

思いは言葉、行為、そして性格として生活習慣になります。神と聞けば、宗教じみて無視する人もいるでしょう。しかし、都合により神頼み、祈願もするではありませんか、矛盾していませんか。今の私は誰によって導かれているのでしょうか。予想外のことが起こったり、この道を行こうと思ったけれど、回り道したら事故に巻き込まれなかった。偶然でしょうか?いいえ、縁だと私は思います。だからこそ、人知れず、良い行いをして徳を積むことが「今」を生きることになると思います。

 


人は、今、トイレットペーパーを買いに走る?

2020-03-16 14:46:30 | Saranyaのひとり言

 

世界中が新型コロナウイルスの蔓延に怯えています。私自身も仕方がないと思いつつ、不安がっている心を感じています。

私はヨーガと共に生きてきた。そして、乳癌の時も救われた・・・。今、何か釈然としない心を分析する。

誰もの内側に本当の私があるにもかかわらず、そのことに気付いていないのが私たちなのです。経験の中でさまざまな苦労を背負い込んでいます。心が私という第一人称を名乗っているばっかりに、本当の私を見えなくしているのです。

心を透明のようにすることができれば、その奥に在る本当の私は、自ら顕れてくると師は話されます。その邪魔をしている無知、煩悩といわれるものであり、日常生活の中で執着したり、私を認めて欲しいと思ったり、心の計らいそのものです。

それには本当の私と心の関係を正しく学ぶこと、さらに具体的に、実際的に心の邪魔物をなくしていくために心の調教を行なわなければなりません。それが「道」といわれるものです。しかし「道」もいうほど簡単ではない。長年にわたって経験した記憶は深層心理に潜在印象として記憶しています。その根の部分、種の部分まで、そっくりなくさなければいけないわけです。並大抵の努力では根こそぎなくすことはできません。なかなか手強い存在です。その為に日々の生活、習慣を見直し暮していくことです。

求められるのは日々、心と向き合い、真剣に無知煩悩をなくしたいと行為することでしょう。真剣さと情熱です。淡々と心の調教に努め暮らすことです。

怒りっぽい性格であったり、何かに執着していたり、故に不安が全身を覆う…。さまざまなものは日常の中で現れてきます。その時こそがチャンスです。それはまた一日の間の一時間、二時間という時間内で行なえるものではなくて、二十四時間、全時間の体制を調えておくことです。

どういう状況がやってこようとも、それに反応するのは心でしょう。

ヨーガというのは、まさしく自らの本当の私を悟るための一大事業でもあるわけです。 そのひとコマがママ達にとっては、妊娠、分娩、子育て、育児にすぎません。

思うようにならない状況こそがチャンスなのです。

真剣に心と向き合ってみてください。

世の中の嘘、まやかし…トイレットペーパー騒動も、心の動揺、全て同じです。

正しく観る(正見)…。養っていきましょう。

 


和歌山市 yoga circle lotus にて  partⅡ

2020-03-05 08:48:07 | Saranyaのひとり言

  和歌山市 yoga circle lotus  part2

私の思いが原因だということに気がつきました。

10人集まれば、一つの事情に対して、似通った思いの方もいらっしゃいますが、微妙に違うと気づくことがありませんか。何で、違いが起こるのでしょうか。

これはウパニシャッドという今からおよそ三千年以上前の聖典に書かれているものです。

私たちは誰もが幸せや喜びを求めていますが、私たち一人一人が幸せと感じることや喜びの対象は 異なっています。それは過去の経験の印象から得た好みを知識体が知識として持っているからです。幸せや喜びが何から得られるのかを各々が知識体の中に持っていて、その知識がその外側の想念体に影響を与えていきます。そして、過去の記憶からどうすればそれを手に入れられるか、どこへ行けばよいのかや何が必要かなどを導きだし、それがわかればプラーナが体を動かして実行へと移していくのです。五蔵説と言います。

人は五つの鞘(さや)で構成されています。

  • 食物鞘(肉体)...最も外側にある粗大な物質で 構成されている肉体。これは食物によって維持 されている。
  • 生気鞘(プラーナ体)...この肉体を内側から支えるプラーナと呼ばれるエネルギー体。肉体に 動きを与えている。
  • 想念鞘(想念体)...生気鞘の内側にあるのが想念体。過去の記憶が思いとしてここに存在し、想念体がプラーナを動かす。
  • 知識鞘(知識体)...さらに内側にある知識体。 知識が存在し、想念を支える(影響する)
  • 福楽鞘(福楽体)...その内側にある福楽体。至福、喜び、楽の概念が存在し、知識体に影響を 与える。

福楽体において、誰もが幸せや喜びを求めて、私たち一人一人が幸せと感じることや喜びの対象は 異なっています。例えば:お金がいっぱいあるのが幸せと思う人もいれば、お金ではなく、名誉、他者に認められると幸せだと思う人もいます。いえいえ、他者の喜びこそが私の幸せと思う人もいます。幸せ感は知識体に影響します。そして想いに影響を与えます。想いは言葉、行為となります。各々の思いが考え方になり微妙な差が生じます。それが人と人が調和できない原因です。

では、あなたの思いが醸し出すイライラは、福楽体から生じた思いの積み重ねです。 したがって、内側の福楽体の幸せ、喜びの内容により他者と違いが生じ、イライラする。その種は自分自身です。自業自得ですね。

皆さんは、納得され、明日から生活に生かそうと確かめあいました。

次回は六月・・・お合いするのが楽しみです。

 


和歌山市 yoga circle lotus にて

2020-03-02 15:31:04 | Saranyaのひとり言

お友達の皆様

お久しぶりです。

世の中は「新型コロナウイルス」の蔓延により

幼稚園から高校までもが三月いっぱい休校…。

誰がこのような状況になるか想像ができたでしょうか。

想定外のことが起こりすぎると思いませんか。

昨日はこのような状況でも何人かが集まり、ヨーガの学びを行ないました。

アーサナの意義

何故?毎日に続ける必要があるのか。

呼吸を調え、集中力を高め、心を静めることにより、自然に純粋で軽やかになります。

勿論、疲れをとり、強ばった身体をほぐして、柔軟になります。これは継続した結果です。

花ひらく寸前のあ・な・たです。

心を静めるには、日々の生活を正さなければなりません。

日々の生活を正す為に「真理」を学びます。

そして真理が理解できるようにアーサナを毎日実践します。

参加のママのお話を苦・集・滅・道にあてがえて学びました。

実母はあれこれと心配性であり、しかし、片付けができない。

その様子を見て、イライラすると言います。

では、イライラは誰が作ったのか?実母ではない、娘である私です。

では、何故イライラするのか。私の思いと実母の思いが違う、結果、言葉や行為も異なり、その様子を見るとイライラする。

したがって、イライラの原因は私の思いであることが理解できる。

苦しみの原因は「私」と「私のもの」への執着や誤ったものの見方である。

だから、私の思いを変えればよいことになります。

正しく物事を見ることが大事になります(正見)

正しく見る為に真理があります。

真理とは「諸行無常」といわれるこの世の一切は世界も心も常ではなく永遠ではないということ、「諸法無我」というこの現象の世界の中に本当の私はないということです。そうして、「一切皆苦」というすべては苦しみに終わるということを理解し、この世界や心を超えたところに「涅槃寂静」という真実の境地があるということがいわれています。このことを知り、正しく理解することが最初の始まり(正見)となります。

味方が調えば、心の中の思いも正しくなり(正思)正しい思いが言葉になり(正語)行為(正業)

そして、日常生活は調い正しくなります(正命)正しい努力(正精進)、そして心の中が調和された正しい思いでいっぱいになる(正念)。正しく集中できる(正定)私は誰か。目的が明らかになります。

参加されたママは、原因は私なんやと‥。いい感じに軽やかな心を取り戻されました。

どんどん話は、続いていきます。

明日へのお楽しみに!!

一切皆苦の根本的原因をお知らせします。