南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

精霊流し

2006-08-15 23:37:37 | Weblog
今日は終戦記念日、そして長崎では精霊流し。 
今年も県内では3400隻もの精霊船が流されたそうである。 
昔はよく友人たちと街に出かけ見物したものだった。
今は浜の町の雑踏を避け、矢上地区のを見ることにしているし、我が家の仏壇の精霊様を収集場所に持って行くのが恒例になっている。 
長崎ではこの精霊流しが終わると今年の夏も終わったなという感じがする。
盆が過ぎたって確かにまだ暑いんだけど、15日以降の夏はあくまで残りもんの夏でしかない。 
だから派手で賑やかなのに何故か妙な寂しさもあるのがこの精霊流しである。 
とはいえ明日からも30度を超す猛暑がまだまだ続きそう。

盆ジュールな墓参り

2006-08-15 23:23:33 | Weblog
お盆ということでお墓参りに行ってきた。 
家のお墓はやたら遠くて車で往復6時間はかかってしまう。 
それでも先祖供養は大事と年に2回、正月前と盆には欠かさず参っている。 
墓参りは我が家の年中行事になっており、この日は一日がかりで家族で出かける。
運転はもちろん僕で、他の家族は行きも帰りもグーグー、特に帰り道は僕も疲れが出て猛烈な睡魔が容赦なく襲いかかるが嫁さんは代わってくれそうな気配も無く爆水状態。 
お盆の帰省ラッシュで渋滞の高速道路では僕と同じ思いでハンドル握っている多くの世帯主がいるのだろうね。 

知る人ぞ知る深夜放送逸話

2006-08-13 15:01:25 | Weblog
昨日は高校の同窓会話だったついでに僕の高校時代のとっておきの話をしたい。

僕が学生をやっていた時代、特に受験生と呼ばれた頃は「ながら族」なんて言葉が流行り、多くの高校生たちはラジオの深夜放送を聴きながら勉強していた。
あの頃は今みたいにFMラジオじゃなくAMラジオが主流で、しかも長崎ではまともに聴けない局の周波数をなんとか合わせながら文化放送の「セイヤング」やTBSラジオの「パックインミュージック」を聴くのがひとつの優越感にもなっていた。
今でこそテレビ界の著名人になってしまった久米宏さえも深夜放送の中ではここまでやるかという馬鹿さ加減を目いっぱい披露してくれていた。
 特に衝撃的デビューを飾ったのは今でも続いている「オールナイトニッポン」であった。
最初はミュージシャンやタレントがパーソナリティーを務める現在の方式じゃなくて、カメさんこと現ニッポン放送相談役の亀淵氏を始めとする局アナがDJを務めるという金のかからない、それでいて支持率の高い番組を作り上げていた。
「オールナイトニッポン」だけは僕も欠かさず聴き続け、後に吉田拓郎や加藤和彦などの大物アーチストが担当するようになって益々のめり込んでいった。
 その加藤和彦大先生が担当するある日、長崎県の五島列島の奈留島から届いた1通の手紙が紹介された。
差出人は僕と同じ年の高校生で、自分らの学校には校歌がないのでどうか作って欲しいという純粋なお願いであった。
よくもまたそんな手紙を出すもんだと感心して聴いていたら、お願い事は何でも言ってみるものである。
なんと放送の中で加藤和彦は歌を作る事を約束してしまったのである。
それから1週間後加藤和彦が作曲した幻のデモテープ紛失事件をきっかけに、改めて校歌制作の白羽の矢が当時はまだ無名だった荒井由実に立てられる事になった。
僕としては加藤和彦の作ったやつがどうしても聴きたかったけど、今となってはあの事件のお陰で『瞳を閉じて』という名曲が生まれたのだからそれはそれで良かったのかもしれない。
奈留高校では卒業式の時は必ずこの歌が歌われるそうだが、たった一人の高校生が深夜放送に送った1通の手紙が後に日本の音楽シーンに偉大な足跡を残すユーミンを引っ張り出させるとは、なんて素晴らしい話であろうか。

 実は時を同じくして「オールナイトニッポン」にはもう1通の手紙が長崎の高校生から送られてきていた。
内容は校歌を作って下さいなんて話ではなく、全国放送のラジオを通じて真夜中にギター弾きながら歌わせてくれという無茶なお願い事であった。
しかし例によってお願い事は言ってみるものである。
「じゃ、やってもらおうじゃないの」と彼のもとへパーソナリティーは本当に電話をかけ始めた。
次の瞬間!
「まさか・・・」と思った僕の予感は的中し、夜中の2時という時間にもかかわらず我が家の電話は鳴り出したのである。
結果として僕は全国にラジオを通じて大恥をさらしたのであるが、それはそれで青春の思い出として決して後悔はしていない。
奈留島の高校生が成し遂げた偉業の陰で密かに伝えられている深夜放送逸話と自分の中では位置付けているのであります。

同窓会でタイムスリップ

2006-08-13 01:44:01 | Weblog
高校の同窓会に出席してきた。 
我が母校の13回卒業生の同窓会がなんと30年ぶりに開催されるということで行ってきましたが、みんな変わっていたというか、面影がそのままだったりとか予想以上に楽しいひと時が過ごせました。 
頭が見事に禿げてしまい先生だっけと間違われそうな男子、すっかりおばさんになってしまい長時間見つめるにはちと酷な女子とか人間の老け方にも個人差があり様々であることがよく分かった。 
中には何で!と思うくらいに若々しく女子もいたりしてその若さの秘訣を聞き出したいくらいであった。 
多くの友人と名刺交換をしたが、結構みんなこの年になると会社でも出世している奴が多く、中には独立して代表取締役という肩書きも多かった。 
僕の場合、個人名しか書いていない名刺なもんだから、「何やってるの?」と必ず聞かれてしまい、詳しく聞きたいなら「後日電話してよ」ともったいぶってかわした。 
僕の学校は進学校だったから、成績の競争はとにかく激しかった。 
もちろん僕はついて行けない派に属していたが、今になって思うと成績がいいとかいい学校へ行ったからとか関係ないように思えてならない。 
要は人間、いかに自分の人生を楽しく強く生きているかである。 
次みんなに会えるのは何年後になるかわからないが、その時も僕はどんな生き方をしていると胸を張って言える人間で在りたいと思っている。 
同窓生っていいもんだとしみじみ思った今回の同窓会であった。 

ペットのいる風景

2006-08-10 11:06:29 | Weblog
僕の住んでいる街では、夕方ともなると多くのお犬様たちが飼い主に連れられて散歩を始める。
その際に飼い主は愛犬が垂れこぼす糞を拾い上げるためのビニール袋を必ず持って歩いているのであるが、あれを見る度にいつも感心してしまう。
いくらかわいいペットとはいえど、できたてホヤホヤの糞をよくもまあビニール越とはいえ素手で掴めるものである。
その上散歩の間中糞を拾い続けなければならないなんてペット飼うのもけっこう勇気がいるものだ。

 昔は犬を散歩させる時にいちいち糞を拾い集める飼い主なんていなかったようなのに、近年ペットに対する人間の態度は大きく変わった。
ペットに関する法律(動物管理法)も改正され、保護なんて言い方はせず、ちゃんと愛護といわなければ引っ叩かれかねない。
ペットは単なるモノから「命あるもの」と定義そのものが変更された。
だから彼らが散歩中に脱する糞は従来の「インノクソ」から「命あるものの証の品」として格上げされて当然なのである。
今までの常識ではマンションやアパートではペットは飼えなかったが、今やマンションを売るひとつの戦略としてペット居住権付マンションが出現した。
正に徳川時代のお犬様じゃないけれど、ペットもれっきとした扶養家族の一員として見なされる時代になってしまった。

 ペットと飼い主の関係はこうありたいと思う見本は「忠犬ハチ公」。
雨の日も風の日もそして雪の日もご主人様の帰りを待って待って待ち続け、いつの間にか自分自身が待ち合わせの場所になってしまったという話は本当に凄い。
どっかの会社の中間管理職が慣れないファックスの送受信に心配でジーッとファックスの前で動かずに待つという「忠犬ファックス公」現象とはわけが違う。

 長崎の端島には多くの野良猫が住んでいるが、彼らも好きで野良猫になったのではない。
もともとはちゃんとペットとして飼われていたはずなのに、炭鉱の閉山によってそれを余儀なくされたのである。
今後は飼い主の身勝手さだけでなく、失業やリストラまたは倒産によって扶養契約を解除されるペットもますます増えるに違いない。
突然のホームレス生活は良質のペットフードしか口にしたことのないペットにとっては大問題である。
長崎でもハローワークは連日満員で混み合っているが、ペットにとっても事態は同じなのだから、新しい引き受け先を紹介してくれる国の出先機関があってもおかしくない。
今や犬もインターネットのホームページを持つ時代であるが、もしかしたら万一の場合に備えてのことなんだろうか。
これからは犬だってジーッと待っている時代じゃないみたい。

泣くな長崎

2006-08-09 19:10:28 | Weblog
長崎は今日61回目の原爆の日を迎えた。 
11時2分には黙祷をし、犠牲者の冥福を祈った。 
長崎からや広島からもこのように平和の願いを発信しているのに世界中の戦争は止むことはない。 
原爆に対して今まで「怒りの広島」「祈りの長崎」という表現が度々なされてきたが、今日の長崎からの平和宣言はまさに「怒りの長崎」であった。 
一日も早く全世界からの核廃絶と恒久平和を望む気持ちは誰も同じとは思うが、我々に何が出来るかと考えた時、まずは出来ることから始めるのが大事だ。 

黙祷の後、毎年恒例で僕が作った平和の歌3部作「土用干し」「泣くな長崎」「平和の詩」を新しいギターを弾きながら心を込めて歌った。 
せめてもの僕の慰霊の気持ちだが、もう20年以上続けている。 
語り継ぐこと、歌い続けることが大事である。 

イパネマの息子

2006-08-09 02:15:29 | Weblog
晴れた夏の日、海辺の木陰で冷たいビールを飲みながらボサノバを聴く。  
もしそこがイパネマ海岸だったら最高だろうね。 
僕の夢はイパネマ海岸に行ってテラスに腰かけてカンパリソーダを飲みながら『イパネマの娘』を聴くことだ。 
ニューヨークのティファニーの前に行って朝飯を食べる、いわゆる『ティファニーで朝食を』は昨年実現させたから次はブラジルまで飛ぶしかない。 

ボサノバの生みの親、アントニオ・カルロス・ジョビンは僕が尊敬する音楽家のひとりだ。 
デサフィナード、ワンノートサンバ、メディテーション、WAVE(波)、など彼が世に贈り出したボサノバの名曲の数々は正に世界遺産である。 
もし彼がいなかったらこんな素晴らしい音楽はこの世に生まれなかったと思うと彼の功績の大きさははかり知れない。 
ジョビンの重要なパートナーであるジョアン・ジルベルトは今年来日する予定があるが、おそらく最後の来日になるかとも言われている。 
彼の囁くような歌声と独特なギターはジョビンの曲には欠かせない。 
ジョビンもまだ健在ならもっともっと多くの曲を残してくれたはずだ。
今年で没12年になるが彼が残したボサノバの名曲と心は世界中の多くの人たちに受け継がれ愛され続けるにちがいない。 
ブラジルにはアントニオカルロスジョビン空港まであるらしい。 
イパネマ海岸に行く時にはその空港経由で行ってみるべきだろうか。
 

幻の苦渋登山

2006-08-08 14:56:43 | Weblog
明日から久住登山に出かける予定だったのに。
友人から誘われて初めての体験ができるとはりきっていた矢先突然の中止連絡が入った。 
理由は日本列島に近づいている台風7号のせい。 
登山靴も買い、備品の準備もし、毎日足ならしにと歩行訓練までやっていたんだけど、台風が来たんじゃしょうがない。 
最初の予定よりかは東へずれそうで九州には直接の影響はなさそうだが、山小屋から今回の企画(9・10いわゆる久住の日登山しかもビール(苦渋)飲み放題)の中止依頼がきたものだからしょうがなかった。 
夏登山はあきらめて紅葉の頃に再度挑戦しようということになった。 
 
最近は中高年の登山者がかなり増えたそうでひとつのブームにもなっているらしい。 
ブームはいいんだけど、一方で山にゴミが増え過ぎて困った問題も発生している。
自然を愛する人たちのする行動だから信じられない。 
僕は山登りに関してはビギナーかもしれないが、そこらへんの一番大切なことだけはよく分っているつもりだ。
 
 
 
 

なんとなく

2006-08-07 01:10:08 | Weblog
田中康夫が落ちた。 
落ちたと言っても階段からじゃなく長野県知事の選挙のこと。 
県知事としては異色の存在で常にその存在は注目を集めていた彼だった。 
新知事はさぞや新進気鋭の若手政治家の・・・とおもいきや、テレビに映っていたのはどこからみても枯葉マークの翁。 
あれだったら康夫ちゃんでよくないの?と他人事ながら思ってしまった。 

田中康夫といえば『なんとなくクリスタル』、通称「なんクリ」で一世を風靡した新進気鋭の小説家でもある。 
100万部以上も売り上げ、当時はちょっとした社会現象まで巻き起こした。 
カシオペアの野呂一生がモデルだったとか、映画はこけちゃったとかいろいろ話題も多かった。 
その彼が後々長野県知事になろうなんて想像もしなかった。 
しかし、ダムをなくす環境問題、財政問題、福祉問題とかにおいては結構仕事したんじゃないのかな。
一番に覚えているのは「名刺破られ事件」。 
知事にはなったものの賛否両論が多かった点では「なんとなくクリスタル」と同じだったのかもしれない。 
長野県が康夫ちゃんをもう要らないって言うのならうちの県にでも来てもらいたいものだ。 
康夫ちゃんだったら市民の憩いの場である美しい「水辺の森公園」にガイシの保険会社のビルだけを特別に建てさせたりはしなかったはずだ。 
だって自然を破壊してダムを建設する以上に市民の心を踏みにじる建物だものねあれは。
 
田中康夫氏の敗戦の弁をテレビで見ていてふと思った。 
それこそ「なんとなく」 
 

もうすぐ原爆祈念日

2006-08-04 22:53:07 | Weblog
あと5日で長崎も61回目の原爆の日を迎える。 
僕自身も被爆2世であり原爆への意識は高い方だ。 
僕の歌の中にも原爆と平和をテーマにした歌が3曲ある。 
高浪藤夫さん作詞の「泣くな長崎」、つだけいこさん作詞の「土用干し」そして作詞も自分でやった「平和の詩」。 
この3曲は毎年9日の日には追悼の気持ちで歌っている。 
毎年被爆者が少なくなって語り告ぐ者がいなくなっている今、こういう歌を歌い続けることで平和を守って行きたいと思っている。 

毎年8月6日に長崎で平和コンサートを続けてきたさだまさし氏も、20回目を迎える今年を区切りにこのコンサートを終了するらしい。 
来年からはさだまさし氏に代わって平和の大切さを音楽を通じて語り継ぐアーチストの出現を望むところだ。  
しかし誰がいるんだろう?福山?んーやれないことはないだろうけど、そのためには平和をアピールする強烈な作品が必要になってくる。 
僕の歌でよければいつでも協力するんだけど。