明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

フォーエバーヤング

2011年01月29日 21時32分27秒 | 日常
♪BGM♪
フォーエバーヤング/寺岡呼人 & Golden Circle of Friends

「"裏切り"も"失望"も"孤独"も"不安"もなく
美しい未来を信じてるよ
恨めしいまでの無邪気さで今日に手を振ってる」

「誰かに恋したり 夢を追いかけたり
息切らして君も僕も生きてる
この町ですれ違うよく似た人よ
君に明日が輝いて見えるように

勇気を振り絞ったり 自信をなくしたり
繰り返して今日もみんな生きてる
いつかきっと僕らはまた出会える
このメロディーに代えて今エールを送るよ」

今日は小5~中3まで通学していた特別支援学校中学部の同窓会(成人の祝い)だった。約5年ぶりに同級生みんなと再会したことになるのか。やっぱり久々に同級生と会うのは楽しいね。3年間も共に歩んできたのだから。

みんなから「大人の顔になったね」と言われたけど、そうなのかなぁ。自分では全く分からないんだけど。

特別支援学校というのは障害を持った子どもたちが通うところ。クラスメイトはみな重い障害を抱えている。中には20歳まで生きることは難しいと医者から言われた人もいる。3年前には、Fくんというクラスメイトがこの世から旅立った。

でもみんなと一緒に成人を迎えることができたのは、まさに奇跡なんだなと改めて思った。
健康な人間だったら成人することは当たり前のことだけど、障害を持つ僕らにとっては奇跡的なことなんだよね。今日は大きな幸せを感じたよ。

重荷を背負っている人ほど、幸せをたくさん実感できるんだろうね。呼吸すること、食事すること、話すこと、寝ること、学ぶこと、笑うこと、この地球で生きていることなど。クリスチャンの僕にとっては、天国の入り口である死ぬことも幸せになるんだけども。どれも大きな幸せだ。

もし戦争から帰ってきたある人がいたと考えると、自宅で家族がご飯を食べている姿や寝ている姿を見るだけで、その人は涙ぐむんだろうね。何の変哲もない日常でさえも、二度と戻れない瞬間だ。ひとつひとつの光景を胸に刻んでいきたい。

この世界に当たり前のことなどひとつも存在しないと思う。偶然もない。誕生、生きること、死ぬこと、全てが神の創造による奇跡。それは健康な人も障害を持つ人も変わらないことだよ。毎日が輝きで満ちあふれているんだ。

今日は同窓会に参加することができて、本当に良かった。生きる上で一番大事なことに気が付いたんだ。

Fくんのこともいつまでも忘れない。Fくんに再会できるときまで、頑張って生きていこう。「僕らはFくんの分も頑張って生きてきたよ」と胸を張って報告したいから。

そして、過去に僕が作った詩を載せてみます。今日の僕の気持ちを代弁しているので。ちなみにBGMの「フォーエバーヤング」も気持ちを代弁してくれています♪

「ちいさな幸せ」

さめざめと泣いていたら
気が付いたら朝になっていた

窓から見える茜色の朝焼けが綺麗で
無力感に縛られていた僕の心に 光が差し込んだ気持ちになったんだ

人と争い 人と騙し合う
そんな汚い世界に疲れてしまった
そしていつの間にか僕の心も汚くなっていたよ

でも僕を包んでくれているこの光は なんて優しいのだろう

人はきっと心の在り方で生まれ変われるんだ

たとえ無力でも
誰でも大事な人を幸せに出来る 一人分の幸せを持っている

そして一滴の雫が湖に波紋を広げるように
誰かの幸せは 他の誰かを幸せにしていくんだ

このちょっとした幸せが
明日の僕を 明日の君を 創ってゆく

苦難があるとすぐ忘れてしまう
泡沫(うたかた)の幸せだとしても 僕らの人生の糧となる

生きているのではなく 生かされている
それがこの世界の理(ことわり)だと知ったよ


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散髪

2011年01月27日 21時36分49秒 | 日常
今日は髪を切りに、美容室へ行って来た。ロン毛になっていたから、さっぱり短くしてもらった。

ん~でも思っていた仕上がりとは違っていたからショック。
前回は自分に似合う髪型になったんだけどな。
同じ人が散髪したのに。。

なんだか中学生の坊ちゃんみたいだ。(笑
これでは学生帽子がピッタリじゃないかww

それにしてもここの美容室の方は、よう喋る喋るw
僕は話し上手ではないから、相手が喋ってくれた方が嬉しいんだけどね♪
美容師は普段からお客と喋っているから、自然と話し上手になるのだろうか。
やっぱり何事も毎日の積み重ねなんだなぁ。

短髪になったら、余計に寒く感じる。。
帽子は欠かせないね。
いや、でも学生帽子は被らないよww

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塩狩峠/三浦綾子

2011年01月25日 13時01分17秒 | 読書
「塩狩峠/三浦綾子」

永野信夫という主人公が、クリスチャンになるまでの道のりと、キリスト教信仰を貫き通した物語。聖書の教えを、登場人物たちの日常と共に分かりやすく伝えている。何より主人公が実在の人物なのでリアリティがある。クリスチャンにも、キリスト教を知らない人にもオススメしたい本だなと思った。

「だれにも知られない、奥深い心の中でこそ、ほんとうに罪というものが育つのではないだろうか」P151

「でもね、おとうさまはご自分を決して正しい人間だとは、おっしゃらなかったのよ。自分は罪深い人間だ。すぐに人よりも自分が偉いものであるかのように思い上がりたくなる。これほど神の前に大きな罪はない、とおっしゃっていられましたよ」P162

「神の愛を知りながら、ともすれば不信仰におちいるわれわれキリスト教徒の姿」P171

「何の罪もないイエス・キリストを十字架につけたのは、この自分だと思います。これはね永野君、罪という問題を、自分の問題として知らなければ、わかりようのない問題なんですよ。君は自分を罪深い人間だと思いますか」P257

暴走する列車の乗客を救うために、自分の命を犠牲にしてまで、乗客を救った信夫の姿。まさにイエス・キリストと同じ生き方ではないだろうか。もちろん罪深い人間は、キリストのように生きることはできない。しかし主人公が語った言葉の通り、「いついかなる瞬間に命を召されても、喜んで死んで行けるようになりたいと思いますね(P343)」「神のなさることは、常にその人に最もよいことなのですよ(P343)」と心の底から思うことができれば、キリストにならいて生きることはできるはずだ。この生き方は、自分の力ではなく、神が信仰によって与えて下さるものだと思う。それを信じて疑わないことが大切なのだろう。

主人公の遺言が忘れられない。

「余は、諸兄姉が余の永眠によりて天父(神)に近づき、感謝の真義を味ははれんことを祈る」P340

どんな死に方になろうとも、クリスチャンの人生は死で終わるものではない。死とは、神の国という栄光への入り口なのだ。神の国を信じているからこそ、主人公のように、生に執着せず、犠牲の死を選ぶことができるのではないだろうか。

「一粒の麦、地に落ちて死なずは、唯一つにてあらん(P345)」という聖書の言葉のように、残された人間が、その人の死を意味ぶかく受け止めて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ人の命が残された人間の中で生きていくのだろう。僕も人々の心に残るような信仰生活を歩んでいきたいと思う。

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ノートル=ダム・ド・パリ

2011年01月21日 15時07分14秒 | 読書
【ノートル=ダム・ド・パリ/ヴィクトル・ユーゴー】

ディズニー映画「ノートルダムの鐘」の原作。原作はディズニーのようにハッピーエンドではなく、切なく悲しい結末。この作品は様々なキャラクターたちの愛を、崇高的・官能的に描いている。また、15世紀のパリの街並みや人々の様子を、こと細かに知ることができる。

フロロはエスメラルダを愛するがあまり、狂ってしまった。おそらく神に仕える司教補佐である自分と、エスメラルダを自分のものにしたいという葛藤が、フロロを狂わしてしまったのだろう。でも鬼畜のように思えるフロロだが、良いところはあった。たくさんの人々から「悪魔」と呼ばれ軽蔑されていたカジモドを、まるで血のつながりのある母親のように愛情を持って育んだことは尊敬に値する。しかしフロロのように、愛する人を自分のものにしたい、愛する人の体を貪りたい、という性欲は抑えるべきだと思う。

フェビュスは婚約者がいるのにも関わらず、エスメラルダと愛を誓う不実な色男。フェビュスは美男子なので、おそらく彼に夢中にならない女性はいなかったのだろう。いつも軽い調子で、「愛している」という言葉を女性に対して使ってしまう。しかし純粋無垢なエスメラルダは、フェビュスの軽い愛の言葉を信じ込んでしまった。やはり「愛している」という言葉は、軽い気持ちで頻繁に言うものではないと思う。

カジモドは、その醜悪な顔のせいで、いつもたくさんの人々から「悪魔」と呼ばれ、軽蔑されていた。カジモドの心の闇は、僕には窺い知れない。カジモトはつんぼだったが、自分を軽蔑する人々の声には傷付いていただろう。なぜなら偏見は空気で伝わるものだから。でも彼は自分に対して親切にしてくれる人には、誠実で忠実で優しい男であった。エスメラルダとフロロだけは、カジモドを受け入れた。愛するエスメラルダに対して、見返りを何一つ求めず、ただエスメラルダを愛し続けたカジモド。まさにこれこそが本当の愛なのだろう。また、母親同然のフロロを殺した彼の心の葛藤は、凄まじいものであったと思う。

エスメラルダは悲劇の女性。純粋無垢な彼女は、ただ毎日を楽しく幸せに生きたかっただけ。フェビュスは生涯最後まで愛した男であったが、その恋は切ない。どれだけ彼女がフェビュスを愛しても、フェビュスにとって彼女は、ただの一時の恋人だった。また、彼女にとってフロロは自分を地獄へと追い込んでいく悪魔のような存在だっただろう。司教補佐の一面は全く感じられなかった。カジモドと接した時間と、実の母親であるシャントフルーリと再会した時間は、彼女にとって唯一の慰めになったと思う。カジモドやグランゴワールを救った彼女の姿からは、清らかで美しい聖母の精神を感じた。

最後のシーンは涙なしに語れない。エスメラルダの死骸を抱きしめつつ、自ら墓に埋もれて、永遠の愛をむすぶカジモド。なんという素晴らしい愛の姿なのだろう。ここまでひとりの人を愛することができるだろうか。この情景を想像していたら、僕はしばらく涙が止まらなかった。まさに崇高な愛というものを感じられた。

それにしてもグランゴワールやジプシーの人々の存在が、この悲しい物語の中にユーモアを含ませているなぁと思った。このようなユーゴーの多彩なキャラクターの描き方は凄い。まさに名作と言えるだろう。

風邪

2011年01月20日 17時09分30秒 | 日常
2ヶ月ぶりに風邪をこじらせてしまった。。。
あぁ、頭が痛くて熱がある。
今日は一日中寝ているんだけど、昼から全然眠れない。
暇です。(笑
でも何かすれば疲れるし。。
とりあえずフジ子・ヘミングのCDでも聴きながら、安静にしとこうかな♫
明日までには治りますように☆