ロイター通信 麻生副総理が終末期医療めぐる発言撤回、一般論ではなく私見
終末期の患者を「チューブの人間」と表現するなんて、人間として認めていないような印象を受ける。麻生さんの私見や人生観を語るのは構わないが、国民会議という公の場で患者を「チューブの人間」とする表現はダメ。
昨年、石原伸晃さんが胃ろうを受けている患者を「映画で寄生したエイリアンが人間を食べて生きているみたい」と発言したことよりは全然ましだけど。ちなみに、麻生さんや石原さんが人工呼吸器ユーザーの僕を見て何と発言するか興味はあるが。(笑)
以下は延命治療を受けている僕の意見です。
延命治療拒否という本人の意思表示がある場合は延命治療をしてはいけない。また、延命治療を辞めたい人の意見も尊重する必要がある。でも、本人の意思表示がない場合は延命治療を施す、延命治療を続けたい人には延命を続ける、と生きる権利も法律で明記すべきだ。
こうしなければ、ナチスドイツが国家政策の安楽死プログラムで多くの障がい者や患者を虐殺したように、医療費削減のために、意思表示がない人や延命を続けたい人まで安楽死の名の下に殺すことになりかねない。日本政府も医療費削減が目的なのだから。
ナチスの安楽死プログラムについては
リンク先 安楽死プログラム
に詳しく書いてあります。海外の日本語版サイトなので警告が出ますが、安全なサイトです。
「私は死が恐くない」「私は延命治療を絶対に受けたくない」と言う人々が多くいる。でも、リアルに死を突きつけられたら、そう思えるだろうか?そんな状況に直面すると、人間は「まだ生きたい」と思うんです。もちろんそうではない人もいますが。僕は19歳で死にたくなかったから、延命治療を受けた。
「死なないで。まだ生きていてほしい」と家族や愛する人から泣きながら言われたら、「それでも私は延命治療を受けない」と意思表示ができるだろうか?そのような状況では、それまでの意思表示は激しく揺らぐのです。
だから、延命治療を受けたくない、辞めたい人々の意思のみを尊重するのではなくて、延命治療を受けたい、続けたい人々の意思も尊重すべきです。そのことが置き去りにされている。「死ぬ権利」は声高に叫ばれているのに、「生きる権利」は無視されている。これでは危険だ。
「あのようになってまで生きていたくない」と、そのように生きている人の状態を蔑む、自らの内にひそむ選別の思想こそ振り返る必要があります。安易な安楽死の法制化は、ペースメーカー・人工呼吸器・胃ろう等で延命しながら生きる人々に大きな恐怖を抱かせる。
なぜなら、安易な安楽死の法制化により、個人の「死ぬ権利」は、国家による「死ぬ義務」となり、弱い立場の者に「死ぬことを迫る圧力」になりかねません。「死ぬ権利」があれば、「生きる権利」もあるのです。国家も人々もここまで考えて議論してほしい。
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終末期の患者を「チューブの人間」と表現するなんて、人間として認めていないような印象を受ける。麻生さんの私見や人生観を語るのは構わないが、国民会議という公の場で患者を「チューブの人間」とする表現はダメ。
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延命治療拒否という本人の意思表示がある場合は延命治療をしてはいけない。また、延命治療を辞めたい人の意見も尊重する必要がある。でも、本人の意思表示がない場合は延命治療を施す、延命治療を続けたい人には延命を続ける、と生きる権利も法律で明記すべきだ。
こうしなければ、ナチスドイツが国家政策の安楽死プログラムで多くの障がい者や患者を虐殺したように、医療費削減のために、意思表示がない人や延命を続けたい人まで安楽死の名の下に殺すことになりかねない。日本政府も医療費削減が目的なのだから。
ナチスの安楽死プログラムについては
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「私は死が恐くない」「私は延命治療を絶対に受けたくない」と言う人々が多くいる。でも、リアルに死を突きつけられたら、そう思えるだろうか?そんな状況に直面すると、人間は「まだ生きたい」と思うんです。もちろんそうではない人もいますが。僕は19歳で死にたくなかったから、延命治療を受けた。
「死なないで。まだ生きていてほしい」と家族や愛する人から泣きながら言われたら、「それでも私は延命治療を受けない」と意思表示ができるだろうか?そのような状況では、それまでの意思表示は激しく揺らぐのです。
だから、延命治療を受けたくない、辞めたい人々の意思のみを尊重するのではなくて、延命治療を受けたい、続けたい人々の意思も尊重すべきです。そのことが置き去りにされている。「死ぬ権利」は声高に叫ばれているのに、「生きる権利」は無視されている。これでは危険だ。
「あのようになってまで生きていたくない」と、そのように生きている人の状態を蔑む、自らの内にひそむ選別の思想こそ振り返る必要があります。安易な安楽死の法制化は、ペースメーカー・人工呼吸器・胃ろう等で延命しながら生きる人々に大きな恐怖を抱かせる。
なぜなら、安易な安楽死の法制化により、個人の「死ぬ権利」は、国家による「死ぬ義務」となり、弱い立場の者に「死ぬことを迫る圧力」になりかねません。「死ぬ権利」があれば、「生きる権利」もあるのです。国家も人々もここまで考えて議論してほしい。
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