明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

垂水福音教会で証し

2014年09月29日 21時37分36秒 | キリスト教
9月28日は垂水福音教会(ホームページはこちらをクリック)で証しをさせていただきました。(^-^*)/

先日のユースリーダーズ・セミナーで、この教会の松下先生とK姉妹と出会い、後日K姉妹が贈り物とお手紙を送ってくださり、その感謝をかねてK姉妹に会うために垂水福音教会の礼拝に出席しようと思ったので、27日に「車椅子で入れますか?」と教会にお電話したところ、松下先生が「よかったら明日証しをしませんか?」と言ってくださったことがきっかけでした。(*^_^*)

前日に決まった証しだったけど、一日祈りに費やして備えました。当日は会堂の席が全て埋まった人いっぱいの礼拝でしたので、緊張して、少し早口で話してしまったのは反省です。でも、ちゃんと伝わったようでホッとしました。<(_ _*)>

礼拝は松下先生が弾かれるギターだけの伴奏でほとんど賛美して、ギターだけでの賛美も良いなぁと思いました♪
そして、礼拝中のみなさんの祈りが素晴らしくて、とても祈りに熱い教会でしたので、感動しました。\(*^▽^*)/
同時に自分の祈りの足りなさに恥ずかしくなって、もっと祈りたい!と決心しました。

松下先生、K姉妹、みなさん、心からありがとうございました!







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イエス様の苦しみに少しでも倣えたら

2014年09月26日 18時18分03秒 | キリスト教
旧約聖書の預言者たち・新約聖書の使徒たち・歴史のなかで迫害されたクリスチャンたちは、僕には想像もできないほどの苦難の人生を送った。

でも、それは「神様の言葉」を語るが故の苦しみであったと思う。
苦しみを体験したからこそ、神様の救いの言葉を大胆に伝えることができる。

福音を伝える人は、自ら福音に生きる人だ。
僕も「神様の言葉」を伝えるために、難病の身体で苦しんでいるんだ。
そうして、頭で考えた信仰ではなく、僕の生命の中に信仰が染み込んでいくのだから。


【ジョージ・マクドナルド】

「神の子が苦しみの果てにあのような死を遂げられたのは、人間が苦しまないためではなく、人間の苦しみもまた、彼のそれに似るためであった。」


イエス様は、大祭司となって人類を罪と死から救うために、私たちと同じ弱さの中にある人間となってこの地上に来られました。
イエス様は私たちの苦しみを、人間の苦しみの極みを、すべて味わい尽くされた。

だから、イエス様は私たちの苦しみをご自分の痛みとしてすべて理解して寄り添うことがおできになる。
イエス様は試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになる。

イエス様は私たちの兄弟となってくださった。
憐れみ深いイエス様は、私たち兄弟姉妹に対して、自ら進んで共に苦しんでくださる。
私たちの苦しみに心を動かされ、その苦しみに全面的に寄り添ってくださるお方。

難病の僕は、イエス様のような生き方、つまり、苦しんでいる人に近づき、その痛みを共に担う生き方に生きる希望を見出したい。

もちろん僕自身が苦しみのなかにある人間だから、人の苦しみに寄り添うことは限界があるし、体験したことが無くて分からない苦しみもたくさんある。

でも、イエス様の苦しみに少しでも倣えたら・・・と思う。
【ローマの信徒への手紙 12章15節】「泣く人と共に泣きなさい」という言葉を心から実践できる人は、泣いている相手と同じくらい泣いた人、苦しんでいる相手と同じくらい苦しんだ人なのだと思う。
ここに難病の僕が生きる希望がある。

【ヘンリ・ナウエン】

「イエスは、イエスの与える愛を私たちが受け取ることを望んでおられます。
何よりも私たちがその愛を受け入れ、それを楽しむことを望んでおられます。

これはとても困難なことです。
自分は差し出される愛に値する存在であらねばならないと、いつも感じてしまうからです。

しかし、イエスが愛を差し出されるのは、私たちがそれに値するからではなく、どんな努力とも関係なく、すでに、私たちを愛することに決めておられるからです。

私たちが互いに愛するのは、受ける価値がないのに与えてくださる、この「初めの愛」からあふれ出るものであるべきです。」

【コリントの信徒への手紙第二 4章8~11節】

「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。

わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。

わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」





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ユースリーダーズ・セミナーで証し

2014年09月17日 18時19分00秒 | キリスト教
15日は、神戸宣教協力会(Kobe Youth Ministrie)主催のユースリーダーズ・セミナーに参加してきました。IFM (家族・結婚研究所) 代表の丸屋真也先生が講師で呼ばれ、聖書的なコミュニケーションと対話力について講演がありました。(^-^*)/

とても内容が深いお話しだったから、復習しないとまだ理解できてないけど、自分の人間関係がセルフトーク(セルフイメージ)にどれだけ影響を受けていたのか反省した。こうしたい!という意志はあるのに、セルフトークによって、やれなくなっていた、やる気もなくなっていた。また、セルフトークによって、どれだけ神様のイメージも曲げていたかを悔い改めました。人は、いつの間にか固定観念の中に神様を閉じ込めてしまっていることに気付きにくいんだ・・・、と考えさせられました。(・・*)

そして、賛美アワーの時間に証しをさせていただきました。はじめて超教派の集会で証しをして、緊張したけど、いつもより分かりやすく伝えられたかな。証しの機会を与えてくださった坂井先生、みなさま、ありがとうございました!

許可をいただいて、賛美アワーの動画をYouTubeにアップしたので、見ていただけたら嬉しいです。(*^_^*)





写真はKobe Youth Ministrieの牧師先生の方々と。ヽ(^◇^*)/






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賜物がひとつもないと思っても

2014年09月13日 20時10分50秒 | キリスト教
3年前まで、僕は賜物をひとつも持っていないと思っていました。
また、僕は難病という終わりなき苦痛の洪水に流され、時に死にたい気持ちにもなって、生きることに耐えるだけの日々を送っていました。

でも、気付かされたんです。
僕は神様の恵みによって地上に誕生して、ひとつの賜物である命が与えられている。
命を与えた神様の愛も心も理解しようとせず、勝手に命を地面に埋めようとしていた。。
悔い改めました。。

そして、命だけじゃない。
僕たちに与えられている最大の賜物は、主イエス・キリストの愛。
この最大の愛は、能力や性格に応じてではなく、イエス様を信じる全世界の誰にでも、無条件に与えられている。

神様に祈りました。
「僕には何もありません。神様にお献げできるものが何もありません。
この命しかありません。僕の命を神様にお献げします。」

これこそ無条件の献身。
賜物をひとつも持っていない難病の僕は、神様のために何もできないと思っていたし、生きている意味もないと思っていたけど、イエス様の愛が無条件に与えられているのだから、僕たちが神様のために生きるのも無条件なんだと思う。

たとえ、僕のように賜物がひとつもないと思っても、神様のために何もできないと思っても、神様は福音のために生きる信仰者の決心を喜んでくださる。


そして、神様に命を献げた人は豊かに用いられるのだと思う。
「福音を宣べ伝えるために、地上に神の国を建て上げるために、あなたはこのミニストリーをしていきなさい」と神様から使命を与えられて、そのミニストリーを為していくための賜物や必要なものは与えられていくんだ。

確かに、それは小さな働きにすぎないかもしれない。
でも、自分に与えられている神様のご計画は他の人々と比べるものじゃない。

社会は、小学校→中学校→高校→大学・専門学校→就職→結婚→子育て~や、10代→20代→30代→40代~、という暗黙の決まったレールがあるわけだけど、神様のご計画や人間の成長過程はひとりひとり違うだから、「10代はこうでなくちゃいけない」「40代はこうでなくちゃいけない」、と一括りにする必要はないのだと思う。

大切なことは、他の人と比べて、「この年齢なのに、あれもこれもできない、あれもこれもない」と思うのではなく、神様から与えられている命を大切に生きて、自分に与えられたものや自分が成し遂げたひとつひとつのことを喜んで、感謝していくこと。

何もできない、何もない人なんていない。
誰の生命も誰かの生命を輝かせるための光なのだから。


人間を罪と死から救うために、イエス様を遣わして下さった神様の愛を覚えて生き出す時に、世間体に支配される生き方から解放されて、平安や喜びを感じていける。

そう思うと、自分は罪人だと自覚して、「神様なしでは生きていくことはできません。私を憐れんでください」と祈り、神様を見上げること自体が、天に宝をたくわえることにつながっていくのだと思う。


生きていく一日一日を神様の憐れみの中に踏み込んでいくような歩みをすることで、平安や喜びを感じることができるんだ。

【新改訳聖書 エペソ人への手紙 3章7節】

「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。」

【新共同訳聖書 ペトロの手紙第一 4章10~11節】

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。」




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マイペースに頑張ろう&聞き屋

2014年09月11日 21時08分03秒 | キリスト教
神学校の1学期が始まりました。
今回から受ける科目を増やして、6科目の授業を受けることにしました。

【火曜日】 改革派教会史
【水曜日】 日本キリスト教史、教会論
【木曜日】 新約概説、教理史
【金曜日】 神論


病の悪化で、ますます手が動かせなくなってきて、これ以上は手に負担をかけられないので、とても手に負担がかかる試験やレポートをすることは前学期からやめたんですね。

でも、ただ授業を受けるだけでは何も身につかないので、手に負担がかからない程度で、良いなと思ったことを自分なりに内容をまとめて、Twitterで週2回(土曜と月曜)、ちょっとずつ載せていこうと思います。(Twitterなら140字ずつで載せていけるから)

ちなみに、僕のTwitterはブログの左側で見られます。
または、こちらをクリックしてください

Twitterが見られない人もいると思うので、ブログにも隔週で載せていこうと思います。

マイペースに頑張ろう☆

あと、最近見た動画で分かち合いたいものがあったので、シェアします。(*^_^*)
動画のクリスチャン男性がされている「聞き屋」の伝道方法は素晴らしいです!

動画はパソコンからしか見られません。。

「私たちクリスチャンが風俗街や飲み屋や繁華街に行かないように、
クリスチャンではない人々は教会には来られない、来ることはない。
彼らが教会に来ること、私たちが街に行くこと、どちらが簡単か、考えてほしい。」

「彼らの話をじっくり聞いたら、今度はあなたの話を聞かせてください、と尋ねてくれる。
相手の話を聞いた上で証しをすることが大切なんですよね。」


動画を見るにはこちらをクリックしてください

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