明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

和歌

2012年02月18日 20時41分44秒 | 日常
今日はアクロス福岡で行われた、hale(ハレ)という団体の「一線を越える展」に行って来ました。

すごく良かったので、じっくり考えながら感謝を書いて、後日アップします☆

ところで、この頃、自分の心の汚さや弱さを痛いほど感じているので、綺麗な文章や音楽や写真に触れて、心を昇華させています。

苦しみや汚さや弱さを抱えている心を昇華させることで、人の心の琴線に触れる感性が育まれていくのだと思います。
 
今日は僕の好きな和歌と音楽を紹介させていただきますね。
 
~伊勢物語 第百七段~

男の歌『つれづれのながめにまさる涙川
袖のみひぢて逢ふよしもなし』
 
訳『この長雨で水かさが増すように、私はあなたが恋しくて恋しくて、涙が水かさの増した川のように流れ
袖が濡れるだけで、あなたにお逢いする術もありません』
  
女の返歌『浅みこそ袖はひづらめ涙川
身さへながると聞かばたのまむ』
 
訳『川が浅いからこそ、袖は濡れるのでしょう
あなたの涙の川が深くなって、体まで流れるとお聞きしたならば、あなたを頼りにいたしましょう』

 
僕は男の歌を読んでいると、切ない恋心を上手く伝えたと思うのだけど、女は、涙が水かさの増した川のように流れて袖が濡れる程度の恋心では、足りないと返しているんだよね。
 
私を恋しく想うあなたの涙の川が深くなって…あなたの体まで流れるほどの恋心がないと…私にはふさわしくない…ということでしょうか。
 
ちなみに、涙川とは体内を流れていると想定されていた、涙のもとになる川のことです。
 
また、絶えず流れ落ちる涙を川にたとえて言ったそう。
 
でもこの返歌は、女は若かったから、手紙もちゃんと書けなくて、言葉の言い表し方も知らず、まして歌は詠まなかったので、女の主人である男性(在原業平)が代筆しているんだよね。
 
ここまで女心を感じさせる歌を、男性が作るのはすごいなぁ。
 
~和泉式部集~

歌『わが魂(たま)のかよふばかりの道もがな
まどはむほどに君をだに見む』
 
訳『身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい。
迷いながらでも、せめてわずかなりとあなたを見よう。』

 
平安時代では、夢の中に好きな人が現れるのは、相手も自分のことを想ってくださっている、という証しだと考えられていたそうなので、夢の中で好きな人が現れてほしい、と多くの人々が願ったのでしょうね。
 
身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい…この表現が美しい♪

好きな人の夢の中へ通じる夢路があれば…魂で私の恋心を伝えることができる…切ないです…。

次は僕の好きな音楽(ファイナルファンタジーXシリーズ)です♪

~『いつか終わる夢』~
 


 
~『久遠~光と波の記憶~』~
 



この2曲と次の2つの和歌の世界観が、なんだか重なります。

~和泉式部集~ 

歌『なにごとも心にこめて忍ぶるをいかで涙のまづ知りぬらむ』
 
訳『苦しいことは何でも心の底にひそめて忍んでいるのに、どうして涙はまっさきに我が心を知ってこぼれるのだろう。』
 
歌『ともかくも言はばなべてになりぬべし
音(ね)になきてこそ見せまほしけれ』
 
訳『どう言いましょうとも、言葉にすればありふれた言い方になってしまうでしょう。
ただもう声あげて泣くことで、私の思いをお見せしたいものです。』


長々と失礼しました!
 
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存在

2012年02月11日 20時54分41秒 | エッセイ
できることが次第に少なくなっていく進行性の病気、誰もが訪れる老化。
 
できることがない人間は、この世界ではすごく生きづらい。
 
何もできなくなったら、自分は生きる価値がない、という考えから解放されなかったら、僕は本当に苦しくなる。
 
でも、「できなくても良いんだ」「存在するだけで良いんだ」という考えをあわせ持つことは大切だと思う。
 
人間の生命は神様と両親から託されたものだから、本来は存在することで尊いはずなんだよね。
 
僕は何ができるではなくて、自分が存在しているだけで人生に喜びを感じられるようになりたいんだ。

 
そのためには自分のことを愛してくれる存在が必要になるんだけど、神様は【新改訳聖書  イザヤ書43章4節】で「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と僕のことを存在で愛して下さっているから、僕も存在しているだけで自分や隣人を愛していきたい。
 
何かできたから、何かしてくれたから「ありがとう」と言うんじゃなくて、あなたが存在してくれることが「ありがとう」と僕は伝えていきたい。
 
神様を存在で喜ぶように、自分や隣人を存在で喜んでいきたい。
 
あなたが居てくれるだけで良いんだよ。。
 
自分のことのように隣人を愛する。
 
愛とは「私はあなただよ」なんだと思う。
 
この思いを心に宿しているなら、隣人を存在だけで喜びに感じることができるはずだよ。
 
言い換えるなら、存在することが最大のできることなんだ。
 
どんなときも神様や隣人とつながっていることを感じているのなら、ずっと人間の尊厳や幸せは守られると信じている。
 
いつも自分は神様や隣人と共に存在しているのだ、ということを自覚していると、苦しみの中でも、神様や隣人と手をつないでいこう、という積極的な姿勢に変わってくるんだと思う。

 
そうして、湖に一滴の雫が波紋を広げていくように、幸せは伝わっていくんだ。
 
幸せのハードルはそんなに高くない。
 
むしろ、自分で幸せのハードルを高くしていっているんだ。
 
また、どのような身体の状態になっても、祈ることはできる。
 
祈りとは、神様と自分と隣人への愛のあらわれ。
 
愛は永遠に消えることはない。。
 
愛が僕の希望。。
 
ただ僕はまだ自分にとって大切な人しか愛せないけど。。。
 
【ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ】
 
「あなたが私を愛してから
私はどれだけ価値のある人間になったでしょうか。」

 
♪BGM♪
moment~今を生きる~ / KOKIA
 


 
過ぎ去った時はささやく この瞬間を微笑むべきと
人生は瞬くように 駆け抜けて 風となるから
 
辛かったことは 忘れればいいというけど
未来は全てを 抱きしめてゆくことで 輝き増すこと 私は知ってる
 
失ったものがあるなら それにも増す愛で生きよう
 
前を向いて歩いてゆこう 今の私ならできる気がする
 
何もかも愛しく 笑って話せる
未来は全てを 受け止める覚悟と準備があること 私は知ったの
 
失ったもの以上の 愛が私を 輝かせた
 
考えるよりも 感じていたい 今を生きる喜び
思い通りになんてならないことばかり でも 生きているんだ そう笑って
そんなことが つながって つながって 重なって 重なって 重なりあって
私の人生を彩ってゆく 見たことのない色へと
 
信じている 過去と未来は
 
手をつないで 助けあっている
失ったものがあるなら それにも増す愛で生きよう
今を生きる 風となるまで
 
過ぎ去った時はささやく


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難病は神様からの任命

2012年02月10日 18時36分18秒 | キリスト教
僕はデュシェンヌ型筋ジストロフィーという生まれつきの進行性の難病を抱えています。徐々に病気が悪化して、いずれは寝たきりになり、今のところは延命治療をしても、残り約20年の寿命と言われています。また今は電動車椅子と人工呼吸器を24時間使用しながら生活しています。
 
僕はむかし自分のことを不幸だと思っていました。小さい頃は普通の人のように歩けていたのに車椅子生活になり、車椅子を動かす力がなくなって電動車椅子になり、身体が弱くなって介護なしでは排泄・着替え・入浴・食事・寝返りなどの日常動作ができなくなり、何度も入院し、死にかけた状態になったこともあり、人工呼吸器を使わないと生きていけなくなりました。

病気が悪化する度に「こんな苦しい状態で生きていても意味がない。僕はずっと苦しみ続け、何もできずにこのまま死んでいくのだ」と虚無感に支配されました。何度も神様の存在を疑い、「神様は何でこんなことをしたのだ!」何度も神様に怒りや恨みをぶつけたこともありました。「僕の病気を癒してください」「どうして病気にしたのですか!?どうして病気の悪化が止まらないのですか!?」といつも祈っていたのに、全く神様からの回答がなく、祈りが全く聞かれていないと思っていました。

10代にして徐々に身体が弱くなり、死の恐怖を感じながら生きることは、死ぬことよりも苦しいことなんです。健康な身体で、勉強も遊びも思う存分にできる同年代の若者たちがすごく羨ましかったです。また、そういう祈りの日々の中で、病気は悪化し続けていくので辛かったです。次第に礼拝へ行くことも嫌になり、少し休みがちになりました。
 
しかし、信仰告白をした13歳の時から、毎日聖書を読んで祈り、教会へ行き、様々な本を読むことで、約7年間の月日をかけて神様によって少しずつ心が変えられ、難病を受け入れることができました。不思議なのは、信仰生活を辞めなかったことです。今振り返れば、神様から離れて信仰生活を辞めるのではなく、祈りの中で、神様に疑問や怒りや恨みもぶつけたことが良かったのだと思います。
 
また、いつも聖書を読んでいたことも良かったです。やっぱり聖書は神様の言葉ですし、人間に「生きていて良かった」と喜びを与えてくれる書物ですからね。

特に慰められた御言葉は、【コリントの信徒への手紙第一 10章13節】 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」です。
 
だから、どれほど苦しい日々でも、信仰と希望と愛は神様から守られていたのだと思います。聖書は言っています。【コリントの信徒への手紙第一 13章13節】「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と。この3つがあれば最後まで生きていくことができ、人生と神様を心から喜んで生きていけるのだと思います。 

神様のなさることを疑わないことが信仰の強さです。でも人間は誰でも神様を疑ってしまうときが必ずあるんですよね。でも僕らが信仰を持ったということは、人間の力によるものではなく、全て神様の恵みによるものですから、どんなことが起ころうとも、信仰と希望と愛は神様から守られるのだと思います。このことを信じることが大切なのだと思います。

【ヨハネによる福音書 15章16節】

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」

 
そして昨年になって、このみ言葉を通して、次のようなことを神様から示されました。僕は自分の意志で生まれ、望んで病気になって生まれて来た訳ではありません。ということは、僕は神様からの任命を受けて、難病の身体で生まれて来たのです。神様が僕を難病の身体に選んで下さったのです。

そして、僕はこの世界に生まれて来たことが、神様からの召命だと思います。生まれつきの難病の人生も神様からの召命なのです。神様が背後にいてくださって、難病の人生という任務を全うしなさいと神様が任命してくださったからこそ、困難な人生にチャレンジしていけるのです。
 
また、病気は苦難のひとつです。たぶん苦難とは、神様に委ねるための「痛み」なんです。なぜなら、人の心は神様に委ねるまでは決して安らぐことはないからです。僕の生命は僕のものではなく、神様のものですから、神様の御心に従うならば、自分にとって一番最善の道を歩むことができるのだと思います。
 
人間が生きる価値は、自分や人が決めるのではなく、自分を存在させている神様が決めて下さいます。難病の僕であっても、生きる役割を与えて下さる神様の公認の存在だからこそ、僕は生きる価値があるのです。生きる喜びとは、そのような神様の愛を知ることにあるのだと思います。だから自分や他人が不幸だと思えることの中からも、意味を見出すことはできるのだと思います。不幸だと思われる者に神様の御心と御業が現れるとき、それは全ての者の救いのしるしやきっかけになるのだと思います。

でも、意味を見出すことができたのは、イエス様が与えて下さったよみがえりの希望があるからなんです。

 
神様がなさることにすごく疑問や不安を感じたこともありました。
神様に対して大きな怒りや恨みも抱きました。何度も人生に絶望しました。死にかけた経験もしました。僕がこの境地に至るまでは
長い月日がかかりました。
 
でも、迷い続け、絶望する日々を、聖書を読んで、怒りや恨みを含めた自分の中にある全ての気持ちを神様にぶつけて、祈りながら過ごしていくことで、神様は光を与えて下さいました。
 
身体も心もどん底を経験した僕ですが、神様は僕をよみがえらせてくださいました。
 
【ヨハネの福音書 11章25~26節】

『イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。
いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことがありません」』


これからも心が折れることはたくさんあると思いますが、このみ言葉を信じながら、よみがえりの希望に生かされていきたいです。
 
僕はむかし自分のことを不幸だと思っていましたが、神様と出会ったことで、信仰・希望・愛を感じながら生きていけるようになりました。これは神様が与えて下さった大きな奇蹟だと思っています。僕には難病の人生を通して、神様を証しして、キリスト教を宣べ伝え、人々に信仰・希望・愛をプレゼントしていく使命があるんですよね。これからも僕は自分の使命に励んでいきたいです。

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神学校

2012年02月03日 21時50分39秒 | キリスト教
こんばんは♪

今月から東京神学校の通信制で
学ぶ事になりました。

昨年9月にここに入学すると
日記に書いていましたが
9月になっても、祈りの中で
「神学校の通信制に入学する事が
神様の御心なのかな?」と
確信が得られなかったので
ずっとお祈りしていました。

そして
先月になって
確信を感じる事ができたので
申し込みをして
入学が決まりました!

本当は通学して
神学校に通うべきなのですが
体力的に無理なので
自宅にいながら学べる
神学校の通信制を選びました。

入学した理由は
独学では限界があったので
聖書をしっかり学びたい
学んだ内容を
伝道に生かしていきたい
この2つです。

これは夢ですが
将来は文書伝道を中心にしていく
伝道者になりたいです☆

もちろん
全ては神様の御心次第ですし
自分の頭で人生を考えても
途方に暮れるだけなので
将来は神様にお委ねして
今はお祈りする事や勉強
やるべき事を
ひとつずつ積み重ねていきたいです。

♪BGM♪
この世界を造られた神様は / Migiwa




昨日はNHKのラジオビタミン
というラジオ番組に
大好きなクリスチャンシンガーの
Migiwaさんが出演されました♪

Migiwaさんを通して
聖霊が大いにお働きになられ
福音の香りを
いっぱい感じることができたので
すごく良かったですよ~!

僕の応援メッセージも
読まれたので
嬉しかったです。

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