今日はアクロス福岡で行われた、hale(ハレ)という団体の「一線を越える展」に行って来ました。
すごく良かったので、じっくり考えながら感謝を書いて、後日アップします☆
ところで、この頃、自分の心の汚さや弱さを痛いほど感じているので、綺麗な文章や音楽や写真に触れて、心を昇華させています。
苦しみや汚さや弱さを抱えている心を昇華させることで、人の心の琴線に触れる感性が育まれていくのだと思います。
今日は僕の好きな和歌と音楽を紹介させていただきますね。
~伊勢物語 第百七段~
男の歌『つれづれのながめにまさる涙川
袖のみひぢて逢ふよしもなし』
訳『この長雨で水かさが増すように、私はあなたが恋しくて恋しくて、涙が水かさの増した川のように流れ
袖が濡れるだけで、あなたにお逢いする術もありません』
女の返歌『浅みこそ袖はひづらめ涙川
身さへながると聞かばたのまむ』
訳『川が浅いからこそ、袖は濡れるのでしょう
あなたの涙の川が深くなって、体まで流れるとお聞きしたならば、あなたを頼りにいたしましょう』
僕は男の歌を読んでいると、切ない恋心を上手く伝えたと思うのだけど、女は、涙が水かさの増した川のように流れて袖が濡れる程度の恋心では、足りないと返しているんだよね。
私を恋しく想うあなたの涙の川が深くなって…あなたの体まで流れるほどの恋心がないと…私にはふさわしくない…ということでしょうか。
ちなみに、涙川とは体内を流れていると想定されていた、涙のもとになる川のことです。
また、絶えず流れ落ちる涙を川にたとえて言ったそう。
でもこの返歌は、女は若かったから、手紙もちゃんと書けなくて、言葉の言い表し方も知らず、まして歌は詠まなかったので、女の主人である男性(在原業平)が代筆しているんだよね。
ここまで女心を感じさせる歌を、男性が作るのはすごいなぁ。
~和泉式部集~
歌『わが魂(たま)のかよふばかりの道もがな
まどはむほどに君をだに見む』
訳『身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい。
迷いながらでも、せめてわずかなりとあなたを見よう。』
平安時代では、夢の中に好きな人が現れるのは、相手も自分のことを想ってくださっている、という証しだと考えられていたそうなので、夢の中で好きな人が現れてほしい、と多くの人々が願ったのでしょうね。
身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい…この表現が美しい♪
好きな人の夢の中へ通じる夢路があれば…魂で私の恋心を伝えることができる…切ないです…。
次は僕の好きな音楽(ファイナルファンタジーXシリーズ)です♪
~『いつか終わる夢』~
~『久遠~光と波の記憶~』~
この2曲と次の2つの和歌の世界観が、なんだか重なります。
~和泉式部集~
歌『なにごとも心にこめて忍ぶるをいかで涙のまづ知りぬらむ』
訳『苦しいことは何でも心の底にひそめて忍んでいるのに、どうして涙はまっさきに我が心を知ってこぼれるのだろう。』
歌『ともかくも言はばなべてになりぬべし
音(ね)になきてこそ見せまほしけれ』
訳『どう言いましょうとも、言葉にすればありふれた言い方になってしまうでしょう。
ただもう声あげて泣くことで、私の思いをお見せしたいものです。』
長々と失礼しました!
*********************
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ところで、この頃、自分の心の汚さや弱さを痛いほど感じているので、綺麗な文章や音楽や写真に触れて、心を昇華させています。
苦しみや汚さや弱さを抱えている心を昇華させることで、人の心の琴線に触れる感性が育まれていくのだと思います。
今日は僕の好きな和歌と音楽を紹介させていただきますね。
~伊勢物語 第百七段~
男の歌『つれづれのながめにまさる涙川
袖のみひぢて逢ふよしもなし』
訳『この長雨で水かさが増すように、私はあなたが恋しくて恋しくて、涙が水かさの増した川のように流れ
袖が濡れるだけで、あなたにお逢いする術もありません』
女の返歌『浅みこそ袖はひづらめ涙川
身さへながると聞かばたのまむ』
訳『川が浅いからこそ、袖は濡れるのでしょう
あなたの涙の川が深くなって、体まで流れるとお聞きしたならば、あなたを頼りにいたしましょう』
僕は男の歌を読んでいると、切ない恋心を上手く伝えたと思うのだけど、女は、涙が水かさの増した川のように流れて袖が濡れる程度の恋心では、足りないと返しているんだよね。
私を恋しく想うあなたの涙の川が深くなって…あなたの体まで流れるほどの恋心がないと…私にはふさわしくない…ということでしょうか。
ちなみに、涙川とは体内を流れていると想定されていた、涙のもとになる川のことです。
また、絶えず流れ落ちる涙を川にたとえて言ったそう。
でもこの返歌は、女は若かったから、手紙もちゃんと書けなくて、言葉の言い表し方も知らず、まして歌は詠まなかったので、女の主人である男性(在原業平)が代筆しているんだよね。
ここまで女心を感じさせる歌を、男性が作るのはすごいなぁ。
~和泉式部集~
歌『わが魂(たま)のかよふばかりの道もがな
まどはむほどに君をだに見む』
訳『身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい。
迷いながらでも、せめてわずかなりとあなたを見よう。』
平安時代では、夢の中に好きな人が現れるのは、相手も自分のことを想ってくださっている、という証しだと考えられていたそうなので、夢の中で好きな人が現れてほしい、と多くの人々が願ったのでしょうね。
身体は行けなくともよい、私の魂が通れるだけでよいから、あなたのもとへと通ずる夢路があってほしい…この表現が美しい♪
好きな人の夢の中へ通じる夢路があれば…魂で私の恋心を伝えることができる…切ないです…。
次は僕の好きな音楽(ファイナルファンタジーXシリーズ)です♪
~『いつか終わる夢』~
~『久遠~光と波の記憶~』~
この2曲と次の2つの和歌の世界観が、なんだか重なります。
~和泉式部集~
歌『なにごとも心にこめて忍ぶるをいかで涙のまづ知りぬらむ』
訳『苦しいことは何でも心の底にひそめて忍んでいるのに、どうして涙はまっさきに我が心を知ってこぼれるのだろう。』
歌『ともかくも言はばなべてになりぬべし
音(ね)になきてこそ見せまほしけれ』
訳『どう言いましょうとも、言葉にすればありふれた言い方になってしまうでしょう。
ただもう声あげて泣くことで、私の思いをお見せしたいものです。』
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