【新共同訳聖書 詩編 18編4節】
「ほむべき方、主をわたしは呼び求め、敵から救われる」
【マルティン・ルター】
「重いこころをもたらす悪の霊は、憂いや嘆きや不安のこころによって追い立てられることはなく、神を賛美することによるよりほかないからです。
賛美することをこそ、こころは喜びとするのです」
今までは苦しいときほど、神様を賛美し、喜ぶことなんて無理だ…と思っていた。
そうして次第に憂いや嘆きや不安のこころに支配されて、現実逃避してイライラしてしまう。
僕はその悪循環に陥っていた。
もちろん自分ではそう思うことができないのに、無理やり前向きになったり、喜んだりすることはよくないが…。
でも、神様を賛美すること以外に、苦しい気持ちから解放される道はないんだ…と感じるようになった。
苦しみを喜ぶのではなく、苦しみの中で神様を賛美できることを喜ぶのた。
僕は長く生きられない進行性の難病で、健康な人が当たり前にできることがほとんどできない不自由な身体だ。
難病の人とも分け隔てなく接することができる人々は除いて、大部分の健康な他人から見れば、喜ぶことができないと思われる人生かもしれない。
でも、「そのままの君が美しいのだよ」と語りかけてくれる神様のまなざしを感じることで、平安に包まれる喜びの中で生かされている。
自分や他人の苦しみのただ中にあっても、そこに神様のご臨在とありのままの自分を認めることで、喜びが内から輝き出てくるのだ。
苦しみだけしか感じられない時は絶望に打ちのめされるだけだが、苦しみの中から生まれる喜びがあれば大丈夫なんだ。
僕はこの病気で生きていることで、支えてくれる人々の優しさ、生かされていることの感謝、自分に与えられた使命などを体感できるから、苦しみの中から喜びが生まれてくる。
苦しみによって練られた喜びは、自分の存在を大きく変える力を持っているのだと思う。
また、今までは単純に『賛美=喜ぶこと』と考えていたが、賛美のかたちはひとつじゃないと気が付いた。
苦しいときに
「神様…どうか私をお救いください。
自力では憂いや嘆きや不安のこころに支配されてしまうばかりです。
全知全能の唯一なる神様のほかには、私を苦しみから救うことのできるものはありません…」
と泣きながらでも祈ることも、神様の御力を褒め称える賛美なのではないだろうか。
【口語訳聖書 ネヘミヤ書 8章10節】
「主を喜ぶことはあなたがたの力です」
【ヘンリー・ナウエン】
「たぶん、奉仕者(ミニスター)のおもな課題は、人々が間違った理由で苦悩することを防ぐことである。
多くの人は、間違った前提に立って生きているゆえに苦しんでいる。
それらの思い込みは、恐れ、孤独、混乱、疑いは、あってはならないというものだ。
しかし、これらの苦悩が存在するのは、人間であることの性質ゆえに負う傷なのだと理解してはじめて、創造的に扱うことができる。
それゆえ奉仕(ミニストリー)とは、とても対決的なものである。
不死、完全という幻想で生きることを許さないからだ。
なすべき奉仕とは、人とは死すべきものであり、傷いたものであることと、そうした性質を認めることによってこそ解放が始まるということを、絶えず思い起こさせることにある。」
♪BGM♪
I Say Grace / Hayley Westenra
*********************
下のバナーをクリックしてくださるとこのブログを訪問する方が増えます。宜しくお願いします。
にほんブログ 村
にほんブログ村
「ほむべき方、主をわたしは呼び求め、敵から救われる」
【マルティン・ルター】
「重いこころをもたらす悪の霊は、憂いや嘆きや不安のこころによって追い立てられることはなく、神を賛美することによるよりほかないからです。
賛美することをこそ、こころは喜びとするのです」
今までは苦しいときほど、神様を賛美し、喜ぶことなんて無理だ…と思っていた。
そうして次第に憂いや嘆きや不安のこころに支配されて、現実逃避してイライラしてしまう。
僕はその悪循環に陥っていた。
もちろん自分ではそう思うことができないのに、無理やり前向きになったり、喜んだりすることはよくないが…。
でも、神様を賛美すること以外に、苦しい気持ちから解放される道はないんだ…と感じるようになった。
苦しみを喜ぶのではなく、苦しみの中で神様を賛美できることを喜ぶのた。
僕は長く生きられない進行性の難病で、健康な人が当たり前にできることがほとんどできない不自由な身体だ。
難病の人とも分け隔てなく接することができる人々は除いて、大部分の健康な他人から見れば、喜ぶことができないと思われる人生かもしれない。
でも、「そのままの君が美しいのだよ」と語りかけてくれる神様のまなざしを感じることで、平安に包まれる喜びの中で生かされている。
自分や他人の苦しみのただ中にあっても、そこに神様のご臨在とありのままの自分を認めることで、喜びが内から輝き出てくるのだ。
苦しみだけしか感じられない時は絶望に打ちのめされるだけだが、苦しみの中から生まれる喜びがあれば大丈夫なんだ。
僕はこの病気で生きていることで、支えてくれる人々の優しさ、生かされていることの感謝、自分に与えられた使命などを体感できるから、苦しみの中から喜びが生まれてくる。
苦しみによって練られた喜びは、自分の存在を大きく変える力を持っているのだと思う。
また、今までは単純に『賛美=喜ぶこと』と考えていたが、賛美のかたちはひとつじゃないと気が付いた。
苦しいときに
「神様…どうか私をお救いください。
自力では憂いや嘆きや不安のこころに支配されてしまうばかりです。
全知全能の唯一なる神様のほかには、私を苦しみから救うことのできるものはありません…」
と泣きながらでも祈ることも、神様の御力を褒め称える賛美なのではないだろうか。
【口語訳聖書 ネヘミヤ書 8章10節】
「主を喜ぶことはあなたがたの力です」
【ヘンリー・ナウエン】
「たぶん、奉仕者(ミニスター)のおもな課題は、人々が間違った理由で苦悩することを防ぐことである。
多くの人は、間違った前提に立って生きているゆえに苦しんでいる。
それらの思い込みは、恐れ、孤独、混乱、疑いは、あってはならないというものだ。
しかし、これらの苦悩が存在するのは、人間であることの性質ゆえに負う傷なのだと理解してはじめて、創造的に扱うことができる。
それゆえ奉仕(ミニストリー)とは、とても対決的なものである。
不死、完全という幻想で生きることを許さないからだ。
なすべき奉仕とは、人とは死すべきものであり、傷いたものであることと、そうした性質を認めることによってこそ解放が始まるということを、絶えず思い起こさせることにある。」
♪BGM♪
I Say Grace / Hayley Westenra
*********************
下のバナーをクリックしてくださるとこのブログを訪問する方が増えます。宜しくお願いします。
にほんブログ 村
にほんブログ村