明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

素晴らしき哉、人生!

2011年04月09日 14時05分32秒 | 映画
昨日は「素晴らしき哉、人生!」という映画を見た。

自分の若い頃の夢や富の欲望を諦めて、愛する家族・友人や貧しい人々のために、住宅ローンの会社を経営する仕事を頑張る主人公の物語。主人公は聖人君子ではなく、短気などの欠点もあるのだけど、人に対してあたたかい思いやり・優しさを持っている。

ある不幸をきっかけに自殺を決心した主人公の前に、天使があらわれる。そして天使は「主人公が生まれなかった世界」へと連れて行く。

「一人の命は大勢の人に影響を与えている。一人がいなくなれば世界は一変する」という天使の言葉が忘れられない。

主人公が生まれなかった世界を見ていると、なんだか恐くなったんだよね。自分が生まれないだけで、自分が生まれた世界にいる周囲の人々の人生や性格が、こんなにも激変するのだなぁと感じた。きっとこの作品はそういった恐怖感を伝えたかったのだと思う。だから単なるハッピーな映画ではない。


そう考えると僕の人生も意味があると思うんだよね。周囲の人々に少なからず影響を与えているんだろうなぁ。僕は遊び相手はいないけど、出会いがある・ないで人生は大きく変わるはず。きっとインターネットもひとつの社会だよね。

だから「あなたと出会えてよかった」と言われるような人間を目指していきたい。また「自分は生まれて来なければよかった」と言いたくないと強く思った。

どうせ自分が消えても、世界は何も変わらないと考える人もいる。でもいま生きている時点で本当の孤独はないのだから、自分を支えてくれる人、自分が支えている人が必ずいるんだよね。

最近思う。関わりのない人々も友人なのかもしれない。少なくともその人々のために寄付や祈ることはできるから。

それにしてもこの映画は、クスッと笑えるシーンがたくさんあるから楽しめる。物語のテンポが緩やかだから、心があたたかくなれるよ。中でも一番笑えたのは天使だね。面白すぎたので、あえて語りません。(笑

1946年の映画だけど、現代の人にも感動は伝わると思う。

♪BGM♪
一等星/熊木杏里

いつも背中合わせにあって 自分では見えないから
誰かの目に映った姿には もう一人の私がいて

もっと話したい人がいる 聞きたかったことがある
出会えたことから始まってゆく それが人と人の縁

わけのない悲しみはなくて 拾いきれない幸せがあるというだけ

物語がいつも私の 望むようには進まないけれど
その度に 心溶かしてくれる 人たちがいることに気がついてゆく

日ごと強くなるつながりを 忘れないでいたいから
影のようにいつでもすぐそばで どうか私を見ていて

たずさえた言葉を伝えて ひとりひそかに離れてゆこうとしないで

物語はきっと誰かの 想いをのせて進んでゆくもの
さかさにしていた 夢時計 もとにもどして時が刻まれてゆく

星では埋まらない 星空を眺めていても
傷が風にさらされても 人は人で救われてる

物語はいつも私を ひとつ変えてつくられてゆくから
もどり道にさよならをして まだ何もない 明日をつくってゆく


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心と身体はつながっている

2011年04月08日 08時20分37秒 | エッセイ
過去を振り返れば、心が沈んでいる時期って、病気が悪化している時期と重なっていることに気が付いたよ。心と身体はつながっているんだなぁ。 

ここ1週間ほど、夜中になると心臓とお腹がずっと痛くなって、あまり眠れない。もしかしたらまた悪化しているのかなぁ。2週間後は専門病院に検査入院するから、きちんと調べてもらおう。

それにしても身体がずっと痛いときは恐くなる。死の恐怖感が襲ってくるんだよね。

でも何だかんだ言いながら、これまで忍耐して来れた。だからいまを生きていれば、どんな寂しさや苦しみも乗り越えていけるはずだよ。今までもそうだったから。生きていれば大丈夫なんだよ。 

心に佇んでいる寂しさも確かな愛の姿なんだ。寂しさや苦しみを感じるからこそ、人の痛みに寄り添える人間になっていけるのだと思う。


死の恐怖感も死を迎えるための準備だと思えばいいんだよね。いつか人は死ぬのだから。 

死が恐いのは仕方ないけど、天国に行けると前向きに考えれば楽になれる。 

また人は迷い続ける日々を通り過ぎなければ、苦しみにとらわれない心、つまり心の平安を手に入れることはできない。これが苦労なしに手に入るほど人生は単純じゃないと思う。 

心の平安があるからこそ、どんな痛みも忍耐することができるんだよなぁ。もちろんそばにいてくれる人を求めてしまうけど。。。でも神様がいてくださるから大丈夫だよ。 


いつか必ず自分の病気を完全に受け入れることができる日が訪れて、光を感じることができると信じているよ☆ 

【ペトロの手紙一 1章7節】 

あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。  

【釈迦】 

肉がおちると、心はますます安立するにいたる。わたくしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているのであるから、わが心はもろもろの欲望に惹かれることがない。見よ、心身の清らかなことを。 

【はるまついぶき/Bank Band】 

心に形なんかない 逆を言えば自由自在に姿を変えていけんだ 
暗い海の底に沈んだ日でも 青空を飛んでいる 

【石川正一】 

たとえ短い命でも生きる意味があるとすれば それは何だろう 働けぬ体で一生を過ごす人生にも 生きる価値があるとすれば それは何だろう もしも人間の生きる価値が 社会に役立つことで決まるなら ぼくたちには 生きる価値も権利もない しかしどんな人間にも差別なく 生きる資格があるのなら それは何によるのだろうか

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東京電力

2011年04月07日 09時02分39秒 | 日常
福島県に住んでいる知人の司法書士の方から手紙が届いた。東京電力が福島県双葉郡大熊町に新しい原発を2基作っていいですか?と国に申請したらしい。

あり得ない。今するべきことじゃないよ。自分中心すぎる。

これから日本全体でエネルギーを供給するためにはどうすればよいか議論することが先だと思う。原発を作ることを考えるのはその後でいいじゃないか。というより今はこの悲惨な状態を処理することだけ考えてほしいよ。

原発の問題は、国のしがらみや権力者の利害関係も絡んでくるから難しいなぁ。

【追記】

記事を見つけた。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110402/k10015066621000.html

震災前から計画していたことだったんだね。確かにすぐに代替エネルギーを作ることはできないから、電力不足にならないためには原発は必要なのかもしれない。

でも僕は原発のような大きなリスクを背負うよりは、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーを使うべきだと思う。原発がない分だけ不便になってもいいと思う。

ただ僕は人工呼吸器を使用しながら生活しているから、電力不足になるのは恐いけど。。。

でも福島県に住んでいる人々のことを考えれば、原発増設に賛成することはできない。

少なくともいま新しく増設することは論外だと思う。


弱さを赦す

2011年04月03日 15時45分50秒 | エッセイ
ようやく春が訪れて、冬が終わった。ちなみに今年の冬は「柊/do as infinity」という曲にはまった。歌詞に魅力を感じるんだよね。 

「柊/do as infinity」 

僕たちはあやまちを犯す 
僕たちはすぐに立ち止まる 
ささいな小石にさえも 躓いて 

誰かの言葉を信じ 
誰かの手の中にいる 
最後は一人なのに 

自分が気付いている弱さ 
自分に耐えられない脆さ 
見えないふりをしたまま 生きてゆく 

どうしようもない苛立ち 
どこも宛てない旅立ち 
くり返して 

長い橋 
引き返す 勇気もなくて 
こぼれてく 
両手から 大切なもの 

舞いだした粉雪は 
積もるのでしょう 
冬を耐え抜いてゆく 
強さが欲しいよ 

君の胸の片隅に 
残したトゲを 
やがて来る春までに 
溶かしてあげたい 

僕たちはあやまちを犯す 
僕たちはすぐに立ち止まる 
全てを受けいれる程 強くない 

氷の欠片を集め 
心の隙間は今も 
埋め尽くせないまま 

はしゃいでた街の沈黙 
果たせない二人の約束 
触れてしまえば消える 雪のよう 

僕が見失ったもの 
君を見失ったこと 
気付かなくて 

柊は 
冬の訪れ 告げる花 
僕たちを 
ただそこで 見下ろしている 

長い孤独な夜に 
つぶされそう 
満たされぬ現実が 
押し寄せてくるよ 

君を守り抜きたい 
この冬から 
やがてつく赤い実を 
二人で待とう 

舞いだした粉雪は 
積もるのでしょう 
冬を耐え抜いてゆく 
強さが欲しいよ 

君の胸の片隅に 
残したトゲを 
やがて来る春までに 
溶かしてあげたい


この歌詞と最近読んだ漫画「フルーツバスケット」の世界観が重なる。長くなりますが、語らせて下さい。 

人はあやまちを犯したり、疲れて立ち止まったりして、人生に躓くことも多いよね。 

また人はみな孤独感があるから、ひとりで過ごしていると、冷たい社会を耐え抜いていく強さが失われていき、長い孤独な夜につぶされそうになったり、満たされない現実にただ泣きたくなってしまう。心の隙間を感じる。 

そして自分の弱さや脆さに気付いていても、見ないふりをしたくなる。すると次第に自分の弱さを人にさらけ出すことが恐くなる。ひとりでは全てを受け入れることはできないよ。 

でも「君の胸の片隅に残したトゲを やがて来る春までに溶かしてあげたい」「君を守り抜きたい  この冬から」と言ってくれる人が一人でもいてくれたら、その人のためにも生きたいと思えるようになるよね。その人がネットの人でもいいと思う。 

トゲとはニュアンスが違うかもしれないけど、自分の弱さを受け止めてくれる人がいれば、人間は人間らしくなれるはずだ。そのとき初めて、ありのままの自分でいることから、人生を再出発していけばいいと感じるようになり、自分の弱さを受け入れていけるんだろうな。 

でも反対に人の弱さを責め続け、「お前は私より劣っている」というようなことを言う人がいれば、そう言われた相手は人間性が失われていく気がする。大人から「お前はダメな奴だ」と言われ続けて育つ子供は心が破壊されてしまう。 

正直に言うと、僕も人のことを自分より劣っていると見なしたことが今まで何度もあった。これからもあるかもしれない。人間の心には闇も住んでいるから、僕も悪の自分を消すことはできない。いつも悔い改めてばかり。

それでも僕は人を愛していきたい、優しくなりたいと強く思う。闇の自分がいるように、光の自分も心に住んでいると信じているから。偽善者と言われるかもしれないけれど…。 

僕が人を愛する理由。孤独が恐いからという消極的な理由もある。でもこれで良いと思うんだよ。完璧な人間なんて存在しないのだから。 

自分の弱さを自覚しているからこそ、人の弱い心を受け入れていける。愛してもらいたいと思うからこそ、人を愛していける。他人の重荷を背負うからこそ、自分の重荷が軽くなるんだよね。 

僕はこう思えるようになるまで時間が掛かった。でも自分の病気や今の自分を少しずつ赦すことができるようになってから、変わり始めた。やっぱり自分も人も赦すということが大事なんだと思うよ。 

【水谷修】 

「どんな子どもに対しても、 
まずは彼らの過去と今を認めた上で、しっかり褒めてあげてほしい。よくここまで生きてきたね、と」


いつかこう言えるような人間になりたい。この言葉は僕を救ってくれたから。 

でも僕はまだ口だけの理想主義者だ。愛の実践も足りない。これからも失敗したり、人を傷付けることばかりするかもしれない。 

【マザー・テレサ】 

いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、愛が原因で間違った方が素敵ね。


傷付けることも傷付けられることも恐くなるときがあるけど、勇気を持ちたいよ。孤独はもう嫌だから。たとえ人と関わるときに過ちを犯したとしても、愛が原因だったらまだいい。 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

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エイプリルフール

2011年04月02日 14時33分53秒 | 日常
昨日の夕方、入浴介護に来ているヘルパーにしてやられました。 

ヘルパー「今日は3月31日だよね?」 

希「え?4月1日だよ………やられた……」

ヘルパー「これ騙しやすい嘘でしょう。というより忍だから騙しやすいんだよな」

ちなみに僕は嘘つきませんでした。というよりバレバレでしょーもない嘘しか思い浮かばなかった。

また性格的に嘘をついても顔に出るタイプだからね。(笑 

あとバレバレの嘘をつく。例えば僕が小学生のころ、「アイス食べたことは父さんに内緒だぞ」と兄ちゃんから言われても、父さんを前にすると、「僕はアイスなんか食べてないよー」とわざわざ言う子どもだったなぁ。

関係ないけど、「女のウソは許すのが男だ by サンジ」という男になりたいです。(草食系のお前が言うな! 

だってこれまで思わせぶりな女性に痛い目に合ってきたからね。というよりいちいち本気にする僕がガキだったんだよ。

例えば高校時代、同じ部活の女子から頭を撫でなでされるだけで顔が真っ赤になったり。。今振り返れば、確実にからかわれているのにw 

でもこれは忘れられない貴重な思い出。たとえ遊ばれていても。(笑

ガキでごめんなさい。。。

からかいも笑って流せるように、子供の自分から卒業したい。

しかしもう僕はうぶではない。(そう言う人ほどからかわれるんだってw 

あぁ、だから僕は騙しやすいと言われるのか。納得。

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