明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

未完了な人生でも

2011年06月19日 13時17分54秒 | キリスト教
スイス人の医師 ポール・トゥルニエ の著作『老いの意味』に、「老いるということは、未完了の仕事を受け入れていくプロセスである」とある。

多くの人は、人生の中に予期しない出来事を経験したり、意に添わない生活を送ったり、せっかくの仕事が途中で挫折したり、突然の病気に見舞われたりすることもある。未完了の仕事を抱えて生きる、これが現実のわたしたちの人生でしょう。自らの人生を振り返るとき、この人生で本当によかったと言える人は幸いだと言わねばならない。

とくに、生まれつき、あるいは予期しない出来事によってか、自分の責任ではなく、不十分な人生しか送り得ない人にとっては、この世の価値判断によれば、何のための人生だったのかとの問いを抱えたまま、死を迎えなければならないのだろうか?

しかし、最後には「私の人生は何だったのか?」「何のために生きてきたのでしょうか?」という問いごと受け入れてくださる神様がおいでになり、その神様が問いごとそっくり未完了の人生を受け取ってくださって、完成へと導いてくださる、この答えを知っている者は幸いだ。

そのことをよく表す言葉に、「明日が世界の終わりでも、わたしは今日、りんごの木を植える」(ルター) という有名な言葉がある。

明日が世界の終わりでも、その向こうにもうひとつの世界が広がっているなら、今日、りんごの木を植えることができる。信仰者にとってこれは、究極の神様を信じる終末信仰が言わせる生き方であると言える。

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僕は生まれつきの難病だ。この世の価値判断で考えれば、不十分な人生を送っている。

一生懸命勉強を頑張っていた大学受験のときに、病気が急激に悪化して、未完了のまま受験が終わってしまった。

今も将来に向けて勉強を頑張っているけど、これからも病気は悪化し続け、全てが未完了のまま終わるかもしれない。

難病で生きる意味が少しずつ分かってきたと言っても、「私の人生は何なのか?」「何のために生きて来たのでしょうか?」と病気が悪化する度に嘆いてしまう。

また、いつも自分の限界を感じる。自分の愛の不完全さ、自分の出来の悪さ、病気の苦しみなど…。

でも僕は嘆きの問いごと受け止めて下さる神様を信じている。「私が希を生まれつきの難病にしたのだから、不十分な人生でも私は受け止める。また希にとって万事が益となるように私は導く」ときっと神様は仰って下さる。

人間は死ぬまで不完全だ。また、この世では人間の人生は完結しない。

でもイエス様は死人の中から復活し、死人の復活の初穂となって下さった。未完了な人生であっても、神様は、僕らを復活を通して完全な身体と霊に生まれ変わらせ、完全な世界である天国へと導いて下さる。


神様は聖書にある約束を絶対に破らない方です。最後まで信じる者は救われるのです。

この揺るがない希望があるからこそ、僕は日々を一生懸命生き抜いていけるのです。将来に向けて、自分磨きや勉強や仕事に日々努めていけるのです。

未完了の仕事を抱えたまま人生が終わってもいいのだ。天国で完全になれるのだから。

だからこそ、ルターがしたように、今日も僕はりんごの木ならぬ人生という木を植えていきたい。神様が与えて下さる信仰・希望・愛を栄養にしながら。これこそ、人間を作るものだ。

不十分な人生であっても、死ぬときに見えてくる風景があるはずだ。誰にでも、神様から与えられた使命があるのだから。でも使命とは、最後まで命を使わなければ、分からないことだと思う。

神様がよしとして下さったことは、僕もよしとしていきたい。神様は、僕以上に僕のことを分かっていてくださるのだから。

「神様がお与えになるものはお受けなさい。神様がお取り上げになる時は、いさぎよくお渡しなさい。【渡辺和子】」、この言葉の通り生きていこう。

【ニーバーの祈り】

「変えることができるものは変える勇気を、変えることができないものは受け入れる平静心を、そして変えることができるものと変えることができないものを峻別する知恵をお与えください」


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意味-キリスト教的な

2011年06月19日 13時15分24秒 | キリスト教
『キリスト教カウンセリングの本質とその役割 / 賀来周一』という本を読み終えた。感銘を受けたので、特に印象を受けたところの感想を書きます。

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「人は意味なくして生きることはできない」とは、有名な『夜と霧』を書いたオーストリアの精神科医 ヴィクトール・フランクルの言葉だ。人は生きるための意味を必要とする。

人は何をするにも、自分にとって意味がなければ、すべてを空しく感じるものです。どのような過酷な人生を生きるにしても、人は意味をそこに見出すことができれば、希望を失うことなく、勇気を持って生き抜くことができるでしょう。もし意味を発見することがなければ、空しい気持ちが襲うだけだ。

フランクルは、どのような過酷な環境に置かれたとしても、そこに意味を発見するなら勇気を持って生きることができると、『夜と霧』に書いている。

同時に彼は、置かれた状況の中で人が意味を発見するには、自分のほうから状況に向かって、「いったいどのような意味があるのか」と問いかけても、意味を発見することはないと言う。

意味を発見するためには、状況そのものが問いかけてくる声に、耳を傾けなければならないと言うのです。状況そのものが主人公であって、人はその主人公が語りかける声に、じっと耳を傾けるのです。そうすると、そこを生き抜くための意味が見えてくるのです。

聖書に「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」(哀歌 3章28節) とある。

辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声を聞けと勧めているのです。

もし辛い思いを持つなら、そのときこそ、新しい意味がそこにあることを発見する機会として捉えることを教えるのです。

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自分のほうから状況に向かって、「いったいどのような意味があるのか」と問いかけることに必死になっていた時は、生きることが苦しかった。難病の意味を見つけることができなかったし、その間も病気は進行していたから、心は虚無感に支配されていた。

やっぱり「自分が!」「自分の力でどうにかしなければ!」と頑なになっていたら、どんどん辛くなっていくんだよなぁ。

だからあえて難病の辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声、神様からの回答を待った。

それから2年間の月日が流れたけど、僕にとっての難病の意味が、少しずつ分かってきたと思う。神様からの回答があった。これが本当の回答かまだ分からないけど。

「病気は賜物だ。なぜなら弱さの中にこそ、神様に委ねるという最高の強さが秘められているのだから」

「僕が苦しみの中で神様の慰めを受け、神様を仰ぎ見る姿を通して、他の人々にも神様の慰めをプレゼントしていける」

「生まれつきの難病で生きなさいと神様から任命されたのだ。それは苦しみの中で育まれる信仰・希望・愛を伝える使命があるから。心が死んだ状態で生きないために、人間にとってなくてはならないものはこの三つなのだから、僕には大事な使命がある」と。

難病で生きることが、僕にとっての仕事なのです。天職なのです。


病気の現実は変わらないどころか、ますます病気は悪化している。でも意味を見つけたとき、生きる勇気を持つことができるようになった。これこそ、「深い海の底に沈んだ日でも、心は青空を飛ぶことができる」という気持ちにさせてくれる。

どれほど困難な人生であっても、意味を見出すことができれば、希望を持つことができるんだよね。

だから忍耐して時を待つということが大事だと思う。祈ることによって神様が与えて下さる心の平安があるからこそ、どのような試練も忍耐することができる。


また、神様が与えて下さる未来の祝福を信じるからこそ、喜んで忍耐することができるんだよね。

どのような試練も必ず終わりがあるのだから。苦しい難病の人生も、命を最後まで全うすれば、天国に行くことができるのだから。

つづく…。

【ヤコブの手紙 5章10~11節】

兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。

【ヘブライ人への手紙 10章36~39節】

神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。

わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」

しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。


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新聞に載りました

2011年06月13日 17時50分24秒 | 日常


今年の3月に、「いのちのことば社 クリスチャン新聞」の編集長とお会いして、インタビューを受けさせて頂いたんですよね。

詳しくは こちら です。

そのインタビューの記事が、クリスチャン新聞[福音版]の7月号 に掲載されました!!

片隅にちょこと僕の記事が掲載されるのかなと思っていたら・・・新聞の一面にカラーで掲載されました。

自分の顔がでかく載ってある。やばい、髪が、やばい。服もよくない。でも笑顔は悪くないかな。(笑)

まさか写真が掲載されるとは思ってもなかったからなぁ。

まさかこうやって自分が新聞に掲載される日がくるとは思ってもいませんでした。今まで苦しい日々を過ごして来たことは全く無駄ではなかったんだね。まさかこうやって生かされる日がくるなんて。泣けてきちゃった…。

神様に感謝、「いのちのことば社」の方々に感謝、家族に感謝、教会の人々に感謝、友人に感謝、みなさんに感謝してもし尽くすことはできません。

ありがとうございます。

僕はたくさんの人々に支えられて生きている。まだまだ僕はこれからの人間。生命を燃やし続けます。

ちなみにこの クリスチャン新聞[福音版]の7月号 は、お近くのキリスト教書店で「定価31円」で購入できますので、よろしければご覧ください。

全国のキリスト教書店の住所録のページは こちら です。


【コリントの信徒への手紙第二 12章9~10節】

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

【コリントの信徒への手紙第二 9章8~9節】

神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。

「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。



今の僕の気持ちは、まさにこの曲にあらわれています。

♪BGM♪
Amazing Grace
われをもすくいし
(讃美歌2編167番)

Amazing Grace/レーナ・マリア

Amazing grace! (how sweet the sound) 驚くべき恵みよ!(なんと甘い響き)
That sav'd a wretch like me! 神は私のような罪深き者も救われた
I once was lost, but now am found, 私は見失われたが今見いだされたのだ
Was blind, but now I see. 私は何も見えていなかったが今は見える

'Twas grace that taught my heart to fear, 私の心に畏れることを教えたのも恵み
And grace my fears reliev'd; そして私の心を畏れから解放したのも恵み
How precious did that grace appear, なんと恵みは貴くも現れたのか
The hour I first believ'd! 私が初めてそれを信じた時に

Thro' many dangers, toils and snares, 多くの危険と苦悩と罠を越えて
I have already come; 私はやってきた
'Tis grace has brought me safe thus far, その間私が無事だったのも恵みのお陰
And grace will lead me home. そして恵みが私を天国へ導いてくれる

The Lord has promis'd good to me, 主は私に良きことを約束された
His word my hope secures; 主の言葉は私の望みを保証する
He will my shield and portion be, 主は私の盾となり私の一部となる
As long as life endures. 命のながらえる限り

Yes, when this flesh and heart shall fail,そうこの肉体と心が朽ちて
And mortal life shall cease; 限りある命が終わるとき
I shall possess, within the veil, 私は帳の中に隠されている
A life of joy and peace. 喜びと平和の命を得るだろう

The earth shall soon dissolve like snow, いつかは地球も雪のように消えるだろう
The sun forbear to shine; 太陽も輝きを失うだろう
But God, who call'd me here below, しかし私に呼びかけてくれた神は
Will be forever mine. 常に私とともにあるだろう

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隣人愛と痛み

2011年06月09日 22時15分29秒 | エッセイ
ここ数日、体調不良や発熱、お腹の痛み、痰の詰まりなどで、身体と呼吸が苦しくて、あまり眠ることができない。あまり食欲もない。

やっぱり病気の痛みは、どれほど経験しても、苦しみは変わらないなぁ。痛みで苦しんでいると、自然と涙が出てくる。生きるのが嫌になってくる。

なんでこんなに苦しまなければいけないんだろう。どうして死をリアルに感じなければいけないんだろう。そんなことを考えていた。

僕の好きな言葉がある。

『大きな苦しみを受けた人は
恨むようになるか、優しくなるかのどちらかである』【アメリカの歴史家・哲学者 ウィル・デューラント】


最初は人を恨んでもいいと思うんだ。人間は弱いのだから、苦しみの中にいると、健康な人、自分より出来る人に嫉妬してしまう。自分に失望してしまう。生きることが嫌になってしまう。

でも人間は環境に適応する力を持っている。時間は掛かるかもしれないが、生きていれば、少しずつ自分を受け入れていくことができる。

だから自分を受け入れるまでは、人に嫉妬していい。自分に失望していい。ネガティブになっていい。「生きることが嫌になる」と言っていい。

マイナスな感情も肯定していくことが大事なのだと思う。人間は必ず欠けがあるのだから。


『自分自身を愛するように隣人を愛しなさい』

『何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです』【聖書】


自分を受け入れることで、隣人に優しく接することができ、愛していくことができる。自己愛も必要なものなんだ。

また、痛みとは、隣人愛を作りあげていくものなんだ。自分の身体で痛みを感じることで、隣人の苦しみに寄り添いたいと思うようになれるのだから。

『藍染めの着物は、最初、色濃いんです。でも、ずっと着続けると、時が経つにつれ色が馴染んで、藍はより青く鮮やかになってゆくんです。葵の愛も時間を掛けて、育てていきたい。この着物みたいに、これからもずっとずっと』【藍より青し】

病気で苦しみ、痛みを感じている中で生き続けているからこそ、時が経つにつれ、僕の中で隣人愛が育まれ、馴染んでいき、隣人愛はより深いものになっていくのだと思う。

深い傷よりも、いつの日か、隣人を慈しむ気持ちが残ればいい。


『ぼくは冬にいきるから 春の浜辺の夢はみない 耐えられないからだ 
社会に出て出世する夢はみない 結婚をして家庭をもつ夢はみない
僕には何か別に生きる意味がいる あたらしい価値の基準がいる』 【ある障害を負っている子供の詩】


僕は自分の快楽のために生きたくはない。快楽を追求しても、できないことがたくさんあるから、虚しくなるだけだ。身体も次第に動かなくなっている。

でも心は自由だ。人間は心の在り方次第で生まれ変わることができる。

僕を生かしてくれるものは隣人愛なのです。これこそ、僕にとってのあたらしい価値の基準だ。だから僕は生まれつきの病気で苦しんでいるのかもしれない。

今の状態を受け入れたと思ったら、また病気が悪化して、絶望感に支配され、自分を恨み、人に嫉妬してしまうけど、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。人生は浮き沈みの繰り返しなんだ。押し寄せては引いていく。

でも、どんなことが起きても、隣人愛は失いたくない。この世は愛を育むためにあるのです。逆に言えば、愛さえあれば、失うものは何ひとつない。人間の全ての善いものは愛から生ずるのです。

偉そうなことを書いたけど、僕は不器用な人間だから、人を傷付けてばかりだ。隣人を愛することは苦しいことだと思うときがある。誰かから愛されたいと嘆くときもよくある。孤独が恐いと感じる。でもそれでいいんだ。この言葉の通り。

『そっと扉を開ける人間。そんな人間を求めずにはいられないから。孤独は恐いと知ってる人間は、人間を愛さずにはいられないから』【フルーツバスケット】

僕の希望は隣人愛です。どれだけ病気が悪化したとしても、死の恐怖感に打ちのめされても、隣人愛は永遠に失うことはないのです。この世でも、天国でも、(宗教によっては来世でも)、通じることなのです。

僕の中に隣人愛がある。ずっと大切に育んでいきたい。今は未熟で隣人愛と言えるものではないかもしれないけど、いつの日か、綺麗に咲くときがくると信じている。

『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である』【聖書】

♪BGM♪
名もなき詩 / Mr.Children

ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
Oh darlin 君は誰
真実を握りしめる

君が僕を疑っているのなら
この喉を切ってくれてやる
Oh darlin 僕はノータリン
大切な物をあげる oh

苛立つような街並みに立ってたって
感情さえもリアルに持てなくなりそうだけど

こんな不調和な生活の中で
たまに情緒不安定になるんだろう?
でも darlin 共に悩んだり
生涯を君に捧ぐ

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ

どれほど分かり合える同志でも
孤独な夜はやってくるんだよ
Oh darlin このわだかまり
きっと消せはしないだろう oh

いろんな事を踏み台にしてきたけど
失くしちゃいけない物がやっと見つかった気がする

君の仕草が滑稽なほど
優しい気持ちになれるんだよ
Oh darlin 夢物語
逢う度に聞かせてくれ

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにある物
街の風に吹かれて唄いながら
妙なプライドは捨ててしまえばいい
そこからはじまるさ

絶望、失望( Down )
何をくすぶってんだ
愛、自由、希望、夢
足元をごらんよきっと転がってるさ

成り行きまかせの恋におち
時には誰かを傷つけたとしても
その度心いためる様な時代じゃない
誰かを想いやりゃあだになり
自分の胸につきささる

だけど
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ

愛情ってゆう形のないもの
伝えるのはいつも困難だね
だから darlin この「名もなき詩」を
いつまでも君に捧ぐ

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キラキラ輝くまなざし

2011年06月01日 19時22分53秒 | 日常
♪BGM♪
生まれ来る子供たちのために / 小田和正

「君よ 愛するひとを 守り給え
大きく手を拡げて
子供たちを抱き給え
ひとり またひとり 友は集まるだろう
ひとり またひとり ひとり またひとり

真白な帆を上げて
旅立つ船に乗り
力の続く限り
ふたりでも漕いでゆく
その力を与え給え
勇気を 与え給え」



今日は病院でのリハビリの帰りに、福岡市西区にある皮膚科の名医がいるという「Dr.リン」という病院に行った。なんだか名前がいいよね。

病院の建物がモダンで綺麗!ヨーロピアンだ!よっぽど派手好きな先生なのかなぁと思っていたら、落ち着いた感じの方だった。ちなみに中国人だそう。

最近ニキビがたくさんできていたから、診てもらい、薬と洗顔用石けん(サンプル)を処方してもらった。よく効くかどうか試してみよう。

その帰りに福岡市西区に新しくできた「木の葉モール」に行った。でもあんまりいいお店がなかったよ。数少ないメンズファッションのお店も似合う服がなかった。

でも美味しいソフトクリームを食べることができたから満足!!

それであたりを散策していたら、何やら背後から足音が聞こえてきた。気のせいだろう、と思って進んでいたら、ずっと背後から足音が。

気になって、後ろを振り返ってみると、キラキラ輝くまなざしの5歳ぐらいの男の子がいた。そして「かっこいい!かっこいい!かっこいい!」と僕に向かって叫びながら連呼していた

どうやら僕が人工呼吸器と電動車椅子に使っている姿を見て、こう思ったみたい。「そんなにかっこいい?」と僕が聞くと、「うん」と返事。

その後、男の子がしばらく付いてきて、いつの間にか並走してました。しかもずっと「かっこいい!乗りたい!」と叫びながら付いてくる。(笑) 周りから注目の的だし♪

ちょっとしたら、男の子のお母さんが来て、お母さんと一緒に帰っていった。

よく僕の姿に興味を示す子供はいるけど、叫びながら付いてきた子は初めてだったなぁ。めっちゃ可愛かった!

「この男の子が大人になったら、人工呼吸器や電動車椅子を作る仕事に就いてほしいなぁ。」と淡い期待を抱いた今日の夕方でした。

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