銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
都合により無予告で投稿を休止することもありますが、宜しくお願い致します。

阪神・淡路大震災から丸30年。犠牲者に慎んで合掌しつつ、当時の思い出も……。

2025年01月17日 06時54分23秒 | 防犯・防災・防疫
あの阪神・淡路大震災から本日でちょうど丸30年を迎えました。
この平成7年(1995年)兵庫県南部地震では6434人の貴い人命が犠牲になり、戦後では初の大規模震災に。
ここに慎んで、また改めて犠牲者におかれては合掌致します。
私自身はその早朝、つまり1月17日午前5時46分には何とか目が覚めていましたが、その途端に激しい揺れ。名古屋市天白区内でも震度4だったそうです。
震源地は淡路島付近で、神戸では震度6強とNHK第一ラジオのニュースで聞かされ、衝撃でしたわ。
特に三宮付近では震度7だったとか。
兵庫県内の山陽新幹線や阪神高速道路は高架線が落下したり、横倒しになったりで、あちこちの家屋やビルが火災、倒壊。ホンマに地獄絵そのものでしたね。
この地震で、長年見慣れた阪急百貨店三宮店は建物そのものが崩壊。そのまま閉店となりました。この店は名鉄百貨店創設の手本ともなり、由緒ある存在でしたが。
私自身はその約2カ月後に震災現場を視察に行きましたが、三宮界隈はグチャグチャ。あちこちの下水管が破損していたのか、かなり悪臭も漂っていましたね。元町の南京街(中華街)は彫刻や偶像等も落下して、ことごとく破損していましたよ。
JR線や阪急、阪神電鉄線とも部分的に不通となっており、甲子園付近では代行バスで連絡。また、尼崎付近では大阪から九州を結ぶブルートレインの特急“あかつき”“なは”がDD51に牽かれて福知山線と播但線に迂回運行していました。さらに、播但線内ではキハ181系やHOT7000系(智頭急行所有のディーゼルカー)が臨時快速として阪神間の迂回輸送を担当。急行“但馬”にはJR東日本の秋田車両区から応援に駆け付けたキハ58系も充当され、運休中だった特急“はまかぜ”の代替を担当。阪神間の連絡バスにはJR九州バスの一般乗合型車両も応援していたものでしたね。まさしく目先の利益を全く度外視しての涙ぐましい光景でしたよ。
当時の兵庫県民もまだまだ大震災の衝撃からは立ち直れず、三宮界隈のあちこちには「今の神戸の街は見せものではない。この街には来るな!!」の手書き掲示板も。近隣住民個々の心は、かなり荒んでいたような。
しかしながら、神戸市出身の俳優・大村崑さん等は「全国から一人でも多く視察に来られて、震災や防災とは何かを皆で真剣に考えて欲しい」との言葉も。逆に言えば、単なる物見遊山だけでは困る…との意味合いも強く込められていたような。
そして、ほとぼりがようやく冷め始めた頃、毎年末には神戸ルミナリエが犠牲者らに対する供養も兼ねて始まったようですね。私自身もこれまでに何度か見に行きましたが。
そして2005年頃までには神戸市内もかなり復興し、阪神なんば線も予定通りに開業。近鉄電車が阪神三宮駅まで乗り入れるようになりましたね。
まさか、その震災直後に東京都内では地下鉄サリン事件発生とか、あのオウム真理教の強制捜査が始まるなんて予想さえしていませんでしたが。うん。また、あれから10年後のJR尼崎列車脱線事故の発生なんか尚更。
まだまだ、あの忌まわしい思い出は挙げればキリがありませんが、取り敢えず、この辺までとします。
…………因みに、阪神・淡路大震災からの一連の復興・再開発事業。昨年秋までには完了したと公式には宣言されましたが、周辺住民らの心の復興は、まだまだ道半ばかも。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (大根荘)
2025-01-17 12:35:25
私は阪神淡路大震災が発生した時は中2で高針に住んでいましたが、あの横揺れは今でもはっきり覚えています。
私は未だに震度5以上の地震を経験したことがなく、いつかは経験するとは思いますが備えだけはやっておきたいと思います。
返信する
Unknown (fantasyexpress)
2025-01-17 16:44:19
私自身も震度5以上は今のところ未経験ですわ。今のうちに備えるに越したことはないね。うん。
返信する

コメントを投稿