名鉄バス岩塚線は、今でも名駅の名鉄バスセンター〜岩塚本通五丁目〜万場スバル前〜千音寺〜新家〜伊福〜百町〜名鉄津島駅を結ぶ、かなり歴史が古い路線系統です。
しかしながら、車両もすっかり近代化。真新しい4300番代も時折、姿を現していますね。
私自身が初めて乗った時は既にワンマン化(1975年頃の実施だったかな?)されていましたが、名古屋市内での名鉄バス路線としては岩藤線(梅森経由五色園行き)や豊場線(豊場経由多気行き)などと並び、比較的最後までツーマンだったと記憶しています。
確か岩塚線ワンマン化に伴い、伊福〜百町間の辺りは経路が変更に。恐らく、これまではかなりの狭隘区間があったのだろうね。
また、私自身は殆ど覚えてはいませんが、1960年代後半までの経路は今の下広井町〜(黄金陸橋、畑江通経由)〜地下鉄岩塚ではなく、何と長良橋まで南進し、そこから長良本町〜烏森〜三菱東門前〜岩塚〜万場大橋〜万場小橋〜千音寺(←いずれも60年代当時の停留所名)と、佐屋街道を経由していたようです。これは最近、ネット検索しているうちに判明しました。市電・下之一色線のワンマン電車と鉢合わせしていた筈です。なお、万場小橋停留所は、今は市バスだけに。
仮に、こんな路線系統が今なお整理券式のワンマン運行にて健在していたら、せいぜい中型ノンステ車たるエルガミオ型ないし小型の日野ポンチョ型の辺りしか使えまい。
まだ岩塚本通が完全には整備されていなかったため、そりゃあ、当然だろう。
三菱東門前は今の並木町(旧・九反所)停留所付近、岩塚は岩塚石橋停留所付近か。烏森は多分、烏森本町停留所跡地の辺りだったろうね。
当時の名鉄バスのツーマン専用車両は太い赤帯の下に薄紫色の細帯も特徴で、前後に当時の名古屋鉄道(株)の丸い社紋も。恐らく、あの手回し後方幕もまだ日常的に使われていた??
ちなみにあの薄紫色の細帯は、今の4300番代や8300番代などのノンステ車両にもよく似合うのではなかろうか?
ちなみに、岐阜バスは金色に近いような細帯を入れています。
まあ、旧岩塚界隈から万場大橋に抜けるような細道は今では事実上、殆ど消えてしまいましたが、相変わらず生活道路だった面影が残されています。
この名鉄バス岩塚線が今の岩塚本通経由に変わったのは、市バス(15、120号系統)と同じく1970年2月頃と推定されます。
また、1967年6月頃に今の名鉄バスセンターが開業するまでは、名鉄バスなど民営バスの始発は今のJRゲートタワービル付近にあった粗末な木造の交通公社ビル前から。当時の市バスと同じく、名古屋駅前停留所を標榜していたと思います。