名古屋市交通局は市バス路線の全面ワンマン化を見据えてか、後方幕の本格的な復活を1974年9月から実施開始。取り敢えず、その頃に投入した久々のワンマン・ツーマン兼用車両から3方向連動式の方向幕を採用しています。
私自身が初めて見た、この真新しい車両。一見はツーマン専用車の外観カラーでしたが、確か2HR-237で北車庫の配属。92号系統(大曽根〜今池〜杁中〜八事)で目撃。ツーマン・モードでは40号系統(名古屋駅西口〜大曽根〜大森霞ヶ丘)で目の当たりにしましたね。
まだ当時は女性職員の路線バスや列車、営業輸送用トラックなどの運転が日本では認められておらず、ワンマン化進捗の度に雇用不安で泣いておられたのかも。
今のバスガールはノンステ車両の運転手であり、本当に恵まれていますね。
さて、名古屋市交通局は3方向幕付きの新車導入と並行して、後方幕がなかった在来のワンマン専用車(ワHR、ワSR、ワNR、ワFR車の主に1ないし2桁番代)の処遇が課題に。その結果、新車購入までの暫定措置として、最後部座席の背面下に豆電球入りの系統番号表示機を取り付けましたね。いわゆる1〜160の背番号制でした。
また、手回し後方幕付きのワンマン・ツーマン兼用車については、既に車掌が全廃になった76年夏頃には系統番号だけを入れた真新しい後方幕に交換される予定でしたが、結局、実施されないまま廃車に。
この背番号入りの古いワンマン専用車はその後、89年頃までには総て廃車になり、冷房付きの新車に置き換わりました。
どれもまさしく、今のLED方向幕付きの大型ノンステ車両の“遠い御先祖様”でしょう。
画像は、その“子孫”です。
なお、赤帯入りのワンマン専用車に初めて連動式の後方幕が付いたのは75年3月頃でした。確かワHR-496、ワNR-119以降だったかと記憶しています。
やはり、半世紀前にはなる、あの背番号制のことを思い出せば、今の系統記号の後部での表示省略は、ちょいとばつかり惜しいですね。(苦笑)
さて、今の野並車庫が出来たのは74年3月。天白車庫から分離独立した形になり、61号系統などで使われていたツーマン専用車も何台か転属して来ましたね。これらは当時の32号系統(新瑞橋〜桜本町一丁目〜野並〜鳴子住宅〜高坂小学校〜島田住宅)に使われて、一旦、車掌や後方幕も復活しました。ワンマンカーだけでは大勢の乗客を捌くのに大変だったらしい。天白車庫から異動してきたバスガールもいましたが「もし男に生まれていたら……」という表情でしたね。この路線系統は今の幹原1、新瑞15の祖先です。
その後、大森車庫も新設。既に車掌は全廃された後で、老朽化したワンマン・ツーマン兼用車両も確かにいましたが、後方幕は手書きで“ワンマン”の表示。もはや無用の長物でしたね。あの長大な40号系統もワンマン化の上で、大曽根以東だけでの運行になり、今の曽根11に引き継がれました。
尤も当時の写真は、ことごとく散逸してしまい、残念です。
………昔の大阪市営バスでは若い女子車掌はセクハラの標的にされていたことも。終戦直後のことらしいが、運賃の使い込み疑惑では下着姿にまで服を脱がされて身体検査さえあったとか。私も大阪市営の古い労組史料から知りました。
まさか名古屋や京都、横浜、東京などでは、こんなひどい事件は絶対になかったと信じますが。名交労組も、しっかり監視を!!
………ファンサイドからは、鉄道車両や路線バス車両の全国サミットなんか開催出来れば……との妄想も出そう。
保安システムや軌間の違いから鉄道部門はまず無理だが、路線バス部門ならば必ずしも不可能ではなかろう。
一度、都営バスや名古屋市営バス、大阪シティバス、京都市営バス、横浜市営バス、神戸市営バスなどの横並びも拝みたいね。(微笑)