ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

涼子のこと(身の上)

2014-09-09 21:04:30 | 日記
涼子は同じ深井駅の私の住むマンションとは線路を越えて反対側のアパートで一人で暮らしていた。

結婚したことがあると言っていた。
仕事には付かず、無職だった。

涼子の部屋へ行った時、部屋には山積みする程の病院からもらった薬が無造作に置いてあった。

涼子を初めて見た時、誰もが彼女は重い病気を持っているとわかった。
彼女の肌の色は黒くくすんでいて、目の色は黄色みがかっていた。
黄疸が出ていたのである。

それは、アルコール性肝炎で死んだ私の兄の表情とそっくりであった。
涼子の腹は妊婦の臨月のように膨れていた。
肝硬変の末期の症状だ。
にも拘らず彼女は毎日缶酎ハイを浴びるほど飲み続けていたのである。

彼女の昼と夜は逆転していた。
毎日夜中まで酒を飲み、そして次の日は昼過ぎまで死んだように眠っていた。

起きた時の彼女の顔は他人と見間違うほどに腫れていて、そしてアルコールの抜けた彼女は別人と思うほど静かで元気がなかった。
彼女は間違いなく毎日自分で自分の命を縮めていた。

涼子は呑み屋では「涼ちゃん」と皆から呼ばれていた。
それで私も彼女を「リョウ」と呼んだ。リョウは私のことを「兄ちゃん」と呼んだ。

肝硬変の末期のリョウは働くこともできず、生活保護を受けて暮らしていた。

酎ハイを飲みながら話すことは、いつも決まっていて、中学生の時スケバンに喧嘩で勝ったこと、そして結婚した亭主の話、そして同和教育の授業に自分だけ行かせられたこと等だった。

中学卒業後の話をリョウから聞いたことはなかった。
リョウは高校へ進学しなかったのだ。懐かしむ楽しい友達の思い出は中学時代でリョウの心の中では止まってしまっているかのように私は思えた。

私はリョウの寂しさはその辺にあるのかな?と思った。

涼子のこと(その夜)

2014-09-04 19:01:03 | 日記
「帰らない」と言う涼子を私は泊めた。
部屋に入って風呂に入るように勧めたが彼女は断った。
その代わり、「パンツを洗いたい」と言った。
私は「いいけど」と言って彼女を振り返って見ると彼女はパンツを脱いでいて下半身を露出していた。
私はビックリしてゴメンと言うよりも早く、彼女が先に私に「ゴメン」と言った。しかも申し訳なさそうに。
私に遠慮している彼女の気持ちが意地らしかった。

私が風呂に入ると、涼子が風呂場にやってきた。

「頭、洗ってあげようか」と言う。

私は一瞬戸惑ったが、これが涼子の優しさなのか、と思い素直に頭を洗ってもらった。

私が風呂から出ると、涼子はパソコンでチャットをやりたいと言う。
私は適当なサイトを見つけて涼子にチャットをやらせた。
そんな涼子を見やりながな私は寝ることにした。

布団を敷き、布団には涼子を寝かせようと思ったので、私は布団の脇で横になった。
すると涼子が「別々でなくても、一緒に寝ればいいやん」と言った。
それで私は布団で寝ることにしたが、パソコンをしている涼子はキーボードを打つのが苦手で「ねー、これどう打ったらいいの?」と寝ている私を頻繁に起こしに来た。

夜中の何時だったか覚えていない。
チャットを止めて涼子が布団に入ってきた。私達はお互い下着だけだった。
しかも涼子はパンツを履いていなかった。しかし私からは求めなかった。
男としての私の気持ちを察したのか、涼子は私に「ゴメン」といった。
私達は二人して裸同然で1つの布団で寝たが、その夜は男と女の関係にはならなかった。

次の朝、私は会社に行くため涼子を起こした。しかし涼子は一向に起きない。うんともすんとも言わない。
仕方なく私は部屋に涼子を残して会社にいった。
トイレの敷物に血が、そして布団のシーツにも血が付いていた。
涼子の吐いた血だった。

涼子のこと(出逢い)

2014-09-02 20:02:18 | 日記
2006~2010年まで私は大阪の堺に単身赴任していた。

東京を離れるのは生まれて初めてのことで、一人暮らしするのも初めての経験だった。

なんば駅から泉北高速鉄道で30分くらい乗ると深井駅がある。
私はその駅から歩いて5分程のマンションで単身赴任生活を初めた。

大阪へ行って気付いたことは居酒屋の少ないことであった。
その代わり、東京ではあまり見慣れない立ち飲み屋がどの駅前にも数件は必ずある。
独り暮らしを始めて暇を持て余す酒好きの私にとっては、立ち呑み屋は打ってつけの場所となった。

すぐに私は深井駅前の立ち呑み屋"大当り"の常連客になった。
そして私は店のママさんから"東京さん"と呼ばれるようになった。

標準語(東京弁)を話す客は私だけで、あとは皆地元の客。
私1人だけ標準語を話すのが珍しかったからである。と言うか、標準語が耳障りだったようだ。

ここで一言言っておきたいが、大阪の人は"標準語"とは言わない。
"東京弁"と言う。
大阪対東京、または関西対関東、という対抗意識みたいなものがあるようだ。

涼子はひとりで"大当たり"に呑みにきていた。
何回か顔を合わせただけだったが、酒癖が悪く、店にとってはとても良い客とは言えなかった。

そんな彼女とふとしたことがきっかけで話すようになった。
誕生日の話になって、涼子は3月3日生れだと話すと、私は5月5日生れと言い話がはずんだ。

そのうち彼女が他の店に行こうと私を誘った。
彼女は結構酔っていたが、私と一回りも年下の彼女には多少男として興味があったのは事実だ。

私は彼女と2軒付き合って、タクシーで彼女を送ることにした。
タクシーに乗って彼女に行き先を尋ねるが、半分酔い潰れている彼女は答えない。
そのうち「帰らない!」とクルマの中で言い出した。
さすがに私はこの事態は予想していなかった。正直、慌てた。困った。
深夜の道路に放り出すことも出来ず、私は仕方なくタクシーを私のマンションで止め、彼女を泊めることにした。
涼子との関わりはそれが始まりだった。