マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

気温が下がってきたため、再度服の所有数を考える

2019-10-20 | 日々の暮らし
最近、やっと半袖だと肌寒く感じるような気温になってきました。
新しく購入していた、ネルワンピースもやっと着ることができました。
このタイミングで、再度、自分が所有している服の数を考え直したいと思っています。

秋そして冬に着る服はどれだ?
過去に着ていた服のパターンを思い出すと、秋冬はとにかくネルワンピースが大活躍です。
羽織りで着用することもあれば、そのまま1枚で着用することもあり、割とローテーションしやすいアイテムです。
自分の予定では、もう一着、ネルではない綿ワンピースが欲しいと思っているのですが、もしかしたら要らないかもしれないと思い始めています。

秋冬で着用できるワンピースは、ネルが2着とポリエステルと綿の混合が1着あります。
混合のワンピースは、母が所有していたもので唯一私のセンスに近かったモノ(笑)
ワンピースを買う手間が省けると思い、私のクローゼットに入れていましたが、最近になってようやく出番がやってきました。
着心地はそこそこ、という感じで、めちゃくちゃいいとは言えませんが、手持ちのアイテムとは相性がいいので、とりあえずワンシーズンは着ようと思います。

ネルワンピースは、言うまでもなく大活躍です。
一枚で着るときもありますが、パンツスタイルのときにアウターとしても着ました。
とりあえず、ネルワンピース2着は着回し決定です。

この季節に着られる手持ちのアイテムは、ワンピース3着とパンツ2本とジーンズ1本で、あとは夏以外に着る長そでTシャツが3着です。
これに加えて、すこし気取った外出時に着るワンピースがありますが、これは処分するかどうしようか、ずっと迷っていたワンピースです。
結局これだけは、処分する気になれずに、クローゼットへ戻しました。
昨シーズンは、1~2回着用しただけでしたが、今シーズンは積極的に着ることにして、満足したら処分するつもりです。
やはり、どうしても着たいのです(苦笑)

今シーズンは、以上の服を着まわせば、十分過ごせそうな気がします。

アウターで活躍するのはどれだ?
以前から持っている、カシミヤ昆のコートが1着ありますが、これは改まったシーンで着るために購入したモノです。
もちろん、普段使いとしても着るつもりで買いましたが、黒を着るのが基本的に嫌いなので、あまり出番がありません。

コート以外には、裏ボアパーカーを1着とウールポンチョがあります。
ポンチョは、先日母の洋服を処分するときに見つけて、使えるかもしれないと思い貰いました。
ただ、少し重たいので、冬が終わるころにあまり着ていなかったら、処分します。

裏ボアパーカーは、昨年大活躍しました。
もともと、ダウンジャケットを持っていたのですが、ダウンがヘタれてきたことと、表面が少しくすんだような色になってきたので、思い切って処分。
ダウンジャケットのメリットは、軽くて保温性が高いこと。
冬の間中、大活躍してくれたアイテムだったので、処分を決めたときに新たにダウンジャケットを買うか、他のアイテムで代用するかで迷った結果、裏ボアパーカーという選択に至った次第です。
裏ボアも、割と軽くて保温性が高そうなモノを買いましたので、結果ダウンと同じように着ることができました。

寝るときに適しているのはどれだ?
実を言うと、私はパジャマを何十年も着ていません。
冬以外は、ユニクロのリラコにTシャツ、冬は裏起毛のルームパンツにトレーナーか長そでTシャツで寝ています。

しかし、これまた母の服を処分していた際に、新品のパジャマが2セット出てきました。
最初は処分するつもりでしたが、実はパジャマ替わりにしていたトレーナーと長そでTシャツを処分してしまったため、冬の寒い夜を乗り切るアイテムがなく、お試し着用することにしました。

まだ、そこまで寒くないので着る機会がありませんが、もう少し寒くなってきたら着用してみて、やはり自分には合わないと思ったら、処分します。

買い足さずに冬を越せるか?
母のモノを貰っているのは、買い足しをしたくないからです。
本当は、似たようなアイテムを買い足したいけれど、目の前にある母のモノで代用できるなら、余計な出費を抑えられます。
今後は、少しでも節約するために、購買行動を控えたいという思いがあるので、気に入っているわけではないけれど、着るだけ着てみようという気持ちになりました。
買い足さずに、どこまで我慢できるか、自分でもわかりませんが何とか凌いでみます。


すっかり秋の気候になりましたが、本格的な冬は今から。
もしかしたら、やはり何かを買い足す必要が出てくるかもしれませんが、頑張って手持ちアイテムだけで乗り切っていきたいです。

介護中の事故について考えてみる

2019-10-19 | 介護
誰しも、親もしくは自分が介護を受けるようになる可能性はあります。
それが、事故などによる後遺症によるものか、老いによるものかはわかりませんが、いざそのときが訪れたら、自分はどう行動したらいいのだろうか、と常に考えている状態です。

介護について考えるとき
これまで、母についてたまに触れていましたが、再度申しますと、母は介護を必要とはしていません。
自分でトイレもできますし、食事もできます。
ただ、持病により体力がないため、家事ができません。
たまに、食器を洗ったりしますが、その数分間でも立ち続けることが辛いようです。
服を処分した際も、疲れたら座る、を繰り返しながら進めていました。

この母が、もし自力で全く動けなくなり完全介護が必要になったり、ある程度は動けても必ず介助が必要になったりしたら、ヘルパー、デイサービス、施設への入居、自宅介護、訪問医療と、いろいろ考えることが出てきます。

テレビやネット、知人友人の介護についてのリアルな話を目の当たりにすると、常に自分だったらどうしたらいいだろうか?と考えるようになりました。
家族が歳を重ねるということは、こういうことと向き合わなければならないということにもなるのですね。

介護中の事故に対する意識
介護中の事故は、命に係わる事例もあれば、すぐに処置すれば事なきを得る事例もあります。
症状によっても、事故が起きる要因はさまざまだと思います。

ただ、介護を受けている本人が予期していない状態で起こる事故は、命に係わる事例はもちろん、どんなに小さいハプニングでも、起きてほしくないはずです。
介護中の事故で、とくにヒューマンエラーは避けたいですよね。
自分が介護するときでも、施設で完全介護を受けている場合でも、デイサービスでたまにお世話になる場合でも、ただ誰かが少しだけ気を付けていたら防げる事故なのであれば、そうするのがきっとベストなのだと思います。

介護中の事故は、介護する側もされる側も、メンタル部分に大きな影響が出ると思います。
ましてや、それによって命を失うことになってしまったら、どちらも気持ちをどこに持って行ってよいかわからなくなるに違いありません。
ですから、介護中のヒューマンエラーによる事故を防ぐ対策は、専門職の方や専門施設だけでなく、自分自身も把握しておく必要性を感じています。

ヒューマンエラーによる事故を受け止めることができるか
なぜ、こんな話をしているかというと、とある方の親御さんが、介護中の事故で亡くなったと伺ったから。
お話を詳しく書くことは、ご家族の許可をいただいていないため控えますが、ヒューマンエラーだったようです。

その方の親御さんは、最初は施設に入居していたのですが、家族会議で自宅介護に切り替えることになりました。
そして、自宅でヘルパーの方にお世話を任せている最中に、事故が起きたとのこと。

その事故は、普通に生活していても起きるハプニングだったのですが、通常は自力で正常に戻すことができます。
しかし、完全介護を受けている方にとっては、とてつもなく辛く苦しい状態だったと推測されます。

このときの、ご家族の皆様と介護をされていたヘルパーの方のお気持ちを考えると、つらい気持ちになると同時に複雑な感情が入り乱れます。
ヘルパーの方は、毎回精いっぱいのお世話をしてくださっていたと思うと、なぜ気を付けてくれなかったのか、と責めるだけのことは、自分にはできそうにもありません。
しかし、大切な家族をヒューマンエラーによって失うことを考えると、悲しむと同時に、防げたのではないのか、そのときどういう状態でその事故が起きたのか、なぜ自分の家族がそのような目にあったのか...
自分の感情を冷静に保つことは、絶対にムリだと思います。

今回の事故は、介護されている場所は関係がありません。
なんでしたら、外出中におきるかもしれない事故ですし、健康体の人であっても、自らその事故を引き起こします。
生きていたら、一度や二度は経験するハプニングでもあります。
だからこそ、なおさら「なぜ、この程度のことで命を落としたのだろう?」という気持ちが湧いてきても不思議はないです。

何かよい防止策がみつかれば
今回のヒューマンエラーは、本当に細心の注意を払っていたら、防げる事故だったと思っているのですが、100%防ぐことができないのは、おそらくふとした日常で起こり、誰でも経験があるハプニングだからだと思います。
何度か経験し、そのたびに自己解決してこられたのなら、それが重大な事故につながるなど、想像もしないと思います。
そうなると、人はその行動を無意識に進めてしまったり、惰性で繰り返したりします。

実際、その事故が起こるまでの行動は、誰もがしている行動です。
そこから、ハプニングが起きて事故になるなど、考えながら生活している人はいません。
ただ、介護を受けている人、病気や身体的な事情を抱えている人、小さな子どもには、注意を払う必要がある行動です。
そのため、今まで自己解決してきた人でも、相手の立場を想像しながら接する必要があるのですよね。

こういう、日常的に起こりうるハプニングで自己解決できる場合は、リスクマネジメントしないことがほとんどですよね。
起こりうるハプニングだけど自己解決できるから、日ごろからこういう準備をしておこう、というアイデアにはならないと思います。
そこで、そういう日常的なハプニングを、介護される人や小さい子ども、身体的な事情を抱えている人が起こさないようにする道具やアイデアの情報が、あらかじめ用意してあったらいいのだろうな、と思っています。

道具はいろいろと開発されていますが、パーフェクトではないし、どこを視点として作られた道具なのか、という点で使う側に合っていないかもしれませんよね。
しかも、こういう道具がありますよ、こんな小さなハプニングが防げますよ、という商品は、いざ使うときにしか情報を集めようと思わないし、集めたとしても情報数は少ないだろうと思うのです。

道具もそうですが、ライフハック的なアイデアなども、いざそのときにならないと情報を集めないと思いますし、結局、いま必要のない状態で集めるには、限界もあるでしょう。
ですから、いざ介護が目の前に迫ってきたときに、すぐに情報を集められる媒体を調べておく必要があるのかな、と感じています。
具体的な情報ではなくて、その具体的な情報へ案内してくれる情報網、介護の情報フローのようなものがあったらいいのにな、と思います。

その中で、いかに自分の今の状態に近い情報を得られるか。
間違えずに、その道具や方法を選択できるかどうか。
そして、その情報をいざというときに引き出せるか。

最終的には自分の意識次第なのですが、整った情報網があれば、考えたり実行したりする際の負担が、ほんの少しだけ減るかもしれません。
介護が始まってしまうと、思った以上に考える余裕がなくなるのは、周りの経験者を見ているとわかります。
正しい選択をする余裕も、きっとありません。
情報によって少しでも安全な介護に導けるのなら、その情報は常に得ていたいです。


介護のことについては、まだわからないことの方が多く、自分でも日々考え方が変化します。
何が正しくて、何がよくないことなのかも、状況や環境によって大きく変わります。
その中で、自分がいかに冷静に客観的に情報を求めることができるか。
私が考えなくてはいけないことは、まだまだ山積みです。

最近の手抜き時短料理

2019-10-18 | 日々の暮らし
節約を心がけていても、ついつい料理を手抜きしてしまいたくなります。
かといって弁当やデリカテッセンばかり買っていたら、出費が嵩みます。

私が最近している料理は、手抜きだけれど、ある程度は手を加えて、まあまあ時短にもなっている、というような料理です。

手抜き料理の必需品はカット野菜
スーパーには、最近カットされた野菜が売られています。
私が重宝しているのは、もやし、キャベツ、スライス人参、スライス玉ねぎが入った、カット野菜です。
これを一袋買っておくと、鍋料理、炒め料理、煮物と、結構いろいろなメニューに使えます。
それから、千切りキャベツ。
我が家のサラダは、千切りキャベツに別の食材を加えるだけです。

二人暮らしだと、野菜一袋や丸ごと1個を買うと、使うスピードに対して傷むスピードが速かったりするので、特売日にたくさん買っておくと、使い切れずに捨てる可能性もあります。
そうなってしまうと、たとえ安く購入できたとしても、ロスが多ければ単価が高くなってしまいすので、野菜を丸ごとや一袋数個入りは、買うことを躊躇しがちです。

しかし、野菜はやはり摂った方がいい。
そこで、少し割高ですが、一回で使い切れるカット野菜を使うようになりました。
それに、肉や魚などの食材と調味料を足して、火を通せば、立派な料理になります。
また、ちょうどいい量と大きさにカットしてあるので、火が通りやすいし、電子レンジでの加熱も時間がかかりません。
カット野菜の種類によっては、洗う手間も必要ないので、時短も手抜きもできます。

いろいろな料理にアレンジができ、切る手間も洗う手間もないとなると、正直やめられません(笑)

耐熱保存容器とコーニングウェアが便利
煮物や油カットの調理をする場合、耐熱保存容器を利用してレンジで加熱したり、コーニングウェアで調理したりします。
まあ、レンジ加熱の時短料理は、いまどき珍しくありませんよね。
だいたい、テレビや雑誌で紹介されているような作り方をしています。

コーニングウェアですが、直火もレンジ加熱もオーブン料理もできるので、非常に使い勝手がいいのですが、加えて熱伝導と保温力が、普通の鍋より上なので、時短で煮込み料理を作りたいときは便利です。
本当は、圧力鍋の方が時短になるのですが、圧力鍋はフタが洗いにくくて、なんとなく使うのをやめてしまいました。
コーニングウェアは、私のイメージでは、普通の鍋と圧力鍋の中間ぐらいの時間で料理が仕上がるイメージです。
しかも、手入れが簡単なので、気軽に使うことができます。

コーニングウェアも耐熱保存容器も、料理を作ったらそのまま食卓に出せて、残ったら冷蔵庫で保存できる点でも、私好みの手抜き&時短アイテムです(笑)

調理器具とカット野菜で
ここ数日は、カット野菜か自分で切った野菜を、コーニングウェアで煮る料理か、レンジ加熱で作る料理がほとんどでした。
フライパンも使いましたが、卵料理と肉を焼いたときだけ。
いかに、調理過程が省かれているかがわかります。

具体的なメニューは、以下のような感じです。

 ・カット野菜と代替肉(原料が大豆)のすき焼き風(コーニングウェア)
 ・カット野菜にエリンギを加えたポン酢煮(レンジ)
 ・カット野菜と焼きそば麺にソースをかけてレンジ加熱した蒸し焼きそば
 ・ブナシメジとくるみ小魚(おつまみ的に売られているモノ)をみりん風調味料と醤油で煮た甘露煮(フライパン)
 ・カット野菜と冷凍エビの卵とじ(レンジ)
 ・冷凍エビと玉ねぎとココナッツのカレー(コーニングウェア)

現在、あるチャレンジをしていて、油をなるべく使わない調理を実行しています。
毎日の料理は、上記のメニューのアレンジ版になっています。

重要なことは調理工程の少なさと短時間
缶詰の魚、ちくわ、かまぼこ、豆腐、乾物など、火を通さなくても食べられる食品で、他にアレンジしやすいモノも重宝しますね。
魚肉ソーセージなんかも、結構好きです。
カット野菜に、魚肉ソーセージを加えて、ブイヨンスープで味付けをすれば、少しお洒落なスープが出来上がります。
サンドイッチに入れるのも、結構好きですし、サラダに入れるのも好きです。

切り干し大根もよく使いますが、キュウリの細切りと一緒に醤油ベースのたれで和えたり、ちくわと一緒に煮たり、ハムと一緒にマヨネーズで和えたりしています。

最近は、食材を買う際にレンジ料理に適しているか、時短料理に適しているか、を基準に選ぶようになりました。
本当は、きちんとした食材から作る方がいいのかもしれませんが、時短料理でも品数があれば栄養バランスも整うし、手間暇かけることに、そこまで拘る必要はないのかな、と思っています。
料理が嫌いなわけではないですが、毎日手の込んだ料理を作る気は、サラサラないので(笑)

実を言うと、洗う手間や皮を処理する手間も重要視しています。
葉物野菜は、洗って土や砂を取り除くことが面倒なので、あまり手を出しません。
食べたいときは、デリカテッセン頼りです(笑)

冷凍野菜を試したい
テレビ番組で、冷凍ポテトフライで肉じゃがを作るというアイデアメニューが紹介されていました。
冷凍食品の半調理済み野菜は、結構おいしいとも言っていましたので、いつも使っているスーパーの冷凍食品売り場で、どのような冷凍野菜が売られているか、調べてきました。

スーパーのラインナップで、私が使いこなせそうなのは、冷凍ほうれん草、冷凍インゲン、冷凍ポテトフライ、冷凍カボチャ、冷凍里芋、冷凍ブロッコリー、と言ったところでしょうか。
冷凍ほうれん草は使ったことがないので、一度使ってみようかと思います。
ほうれん草も、洗うのが意外に面倒で、あまり買いたくはない食材なので(笑)

今度、冷凍食品が安い日に、いくつか半調理済みの冷凍野菜を購入してみようと思います。


今回は、私の手抜き料理の一部をご紹介しましたが、本気で手抜きをするときは、料理そのものをしません(笑)
まあ、当然と言えば当然ですが、一番大事なのは楽しく料理を食べられること。
手抜きでも時短でも、最終的においしくなればOKです。

あった方がよさそうなモノ

2019-10-17 | 日々の暮らし
試しに使うのをやめてみたが、ないとストレスを感じるようになったので、再び使おうと思っているモノがあります。

それは、自室のごみ箱。

使うのをやめたきっかけ
部屋にあるチェストを移動する話に、以前触れていたかと思うのですが、現在そのチェストは中身が空のまま自室にあります。
まだ、業者さんに不要な家具を引き取ってもらっていないので、それまでは私の部屋に置いておきます。
家具の廃棄が終わったら、母の部屋へ移動予定です。

チェストの中身を全部出したときに、ごみ箱を邪魔に感じて、一時的に撤去しました。
チェストの中身は、コンテナに入れて部屋の隅に置いてあるため、ごちゃついた部屋にはなっていますが、家具を廃棄するまでは我慢しなければいけません。
そういった状態の部屋なので、ごみ箱を撤去したまま復活させずに、ごみ箱そのものは端に追いやって、使用を中止しているのですが、どうも私はごみ箱が傍にないとイライラするようです(笑)

面倒が先に立つ
自室のごみ箱使用をやめてから、ずっと他の部屋にごみを捨てに行っています。
ちょっとしたごみも、すべて他の部屋にわざわざ持っています。

切った爪、鼻をかんだティッシュ、要らないDM、使用済みのメモ紙、ちょっと出た糸くず、紙くず、菓子の包装...すべて、自室で出たごみは、他の部屋のごみ箱へ...正直、面倒くさいです(苦笑)

私は、ごみをいつまでもほったらかしにできない性質なので、小さいごみが出る度に他の部屋へ移動しています。
メモ紙などは、ある程度溜めてから捨てに行く方法も試しましたが、どちらも面倒です。
しかも、ごみを溜めておくと、なんだか自室が非常に小汚く見えます。
ただでさえ雑然としている状態なのに、ごみまで見えていると、本当にストレスです。

ごみ箱をやめてみようと思った理由
私は、ごみ箱に必ずポリ袋をセットしています。
友人の中には、袋をセットせずにダイレクトに入れて、最終的に大きなごみ袋へ回収する人もいますが、私はごみ箱1つにつきポリ袋を1枚セットし、そのセットした袋のまま大きなごみ袋(家庭ごみ用)に入れていきます。
ですから、ごみを回収するたびに、ポリ袋を新しくセットすることになります。

ふと、自室だけでもごみ箱をやめてみたら、ポリ袋をセットする手間と時間が省けるのではないか、と考えごみ箱の使用を中止してみたわけですが、予想以上に不便だしストレスを感じるようになりました(苦笑)

どの手間を惜しまずにかけるか
最初は、ごみ箱へポリ袋をセットすることが手間だと思ってやめてみたけれど、今は他の部屋へ移動して捨てるという行動に手間を感じています。
そこで、どちらの行動が、より自分に合っているかを考えてみました。

自室へごみ箱を置く場合、ごみ回収日になったら、ごみ箱がある部屋のごみをポリ袋ごと回収します。
回収した後は、新しいポリ袋をセットしますので、手間としては回収と袋のセッティングの2つ。

自室にごみ箱を置かない場合、ごみ回収日は回収するポリ袋の数が1つ減ります。
新しいポリ袋のセットも、必要ありません。
しかし、ごみが出る度に自室を出てごみを捨てに行き、それは一日に何回あるかはわかりません。
何度も他の部屋へ行かないようにするために、ごみをある程度溜める方法を取ると、部屋が雑然としてしまいます。

さて、どちらが私にとって、ストレスフリーな状態か?

ごみ箱を置かない場合、同じ行動を何度もすることになります(他の部屋へごみを捨てにいく行動)
それは、不規則でどのくらいの回数があるか、日によって全く違います。
しかし、ごみ箱を置いておくと、ごみの日の回収とポリ袋のセットという2つの行動は伴いますが、回数が決まっているルーティンで、曜日も決まっているので、不規則に何度も行動することはありません。

私は、時短、手抜き、効率化が好きなわけですが、ごみ箱の存在は、おそらく手抜きと効率化を実現してくれています。
まず、座っていても、立っていても、寝ていても、自室にごみ箱があれば、すぐに捨てることができて、楽です(手抜き)
そして、ごみを回収するシステムを家の中で作り上げてしまっているので、その行動の範囲内にした方が、不規則にごみを捨てに行くという行動を、防ぐことができます(効率化)

ですから、私の場合、自室のごみ箱は必要だということになります。

復活させることに決定
まだ、自室が片付いていませんが、考えてみたら不要品が次から次へと出てくるわけですから、すぐに捨てられるように、ごみ箱は傍へ置いておく必要があります。

自室のごみ箱は、復活させることに決めました。

いずれ、不要品がほとんどなくなった状態になったら、自室のごみ箱は不要になるかもしれません。
また、ライフスタイルが変化したら、不要になるかもしれません。
それまでは、ごみ箱は自室にも置いておくことにします。


不要か必要かを考えるとき、一度使ってみるか、一度撤去してみらた、その存在の大きさや重要さに気付くことがあります。
不要品が出てきても、一応使ってみると、実は今まで使っていたモノよりも使い勝手がいい場合があります。
必要最低限には程遠くなってしまう可能性もありますが、自分が使いたい、使っていて快適だ、と思うものは、すぐに処分したりしなくてもいいのかな、と、ごみ箱を通して思うのでした(笑)

ゆるりとした一日

2019-10-16 | 日々の暮らし
本日は、片付けも不要品処分もせず、朝は朝食を作り、昼は昼食を作り、食後に買い物と銀行へ出かけ、夜は夕飯を作り、それで終了です(笑)
食事の用意と、買い物しかしてないですね。

掃除は?洗濯は?
掃除は、粘着式カーペットクリーナーとクイック〇ワイパーです。
洗濯は毎日しないので、本日はしない日。

空いた時間は、テレビを見たり、料理の下準備をしたり、本当にゆるい一日でした。

お天気も良く、気温は涼しい感じでしたが、歩くと汗ばんでくる感じでした。
これから、徐々に寒い季節になっていくのでしょうか。
そろそろ、夏服の見直しをして、着る機会が少なかった服は処分してもいいころかもしれません。

買い物に行ったとき、少し気になる光景に遭遇しました。
それは、近所のスーパーから帰るとき。
店内にある、休憩用のベンチで、高齢の男性が買ったモノを入れたレジ袋を床に置き、前かがみになって寝ているように見えました。

ただ、その姿勢が、うとうとしている感じではなくて、気分の悪い人がするような姿勢だったのです。
レジ袋を床に置いていることも、気になりました。
普通は、買った荷物を自分の横か膝の上に乗せると思われるので、もしかしたら、この高齢の男性は体調にトラブルが起きているのではないだろうか?と感じました。
声をかけてみようかとも思ったのですが、すぐそばにある肉屋と唐揚げ屋の店員は、特に気にする様子もなかったので、もしかしたらここで仮眠をとる常連の方かもしれない、と考えて、声をかけずにスーパーを出ました。

しかし、やはり声をかけるべきだったかな、と今は少々後悔しています。
大げさに声をかけずに、さりげなく隣に座って声をかけてみたらよかったかな、と。

かなり前ですが、母が救急搬送されたときに、救急外来の待合室で待っていたときに、一人の高齢男性が具合悪そうにしていました。
彼は、どうも一人暮らしく、付き添いもなく一人でタクシーを使って、救急外来を訪れたようでした。
私が見る限り、その男性はとても体調が悪そうで、待合室の長椅子に病院から毛布を借りて、横たわっていました。
見た目には体調がどんどん悪化しているように見えましたが、救急搬送されてくる患者さんが優先なので、名前をなかなか呼んでもらえずに、かなり我慢をされている様子でした。

その時、私の母も救急搬送されていたわけですから、その高齢男性に申し訳ない気持ちを抱きながらも、ただ様子を気にすることしかできませんでした。
そのうち、女性看護師がその高齢男性の元に来て、そのまま入院する旨を彼に伝えていました。

ホッとしました。
彼は親戚でも知り合いでもないですが、もしこのまま薬だけ処方されて家に帰されてしまったら、おそらく食事もままならないだろう、と心配していたので、結果入院するほど悪かったとも言えますが、完全看護をしてもらえるならよかったな、と。

高齢の方の体調は、本当にいつどうなるかわかりません。
若い人よりも、急変する確率が高いです。
私の母も、何度も体調が急変して、救急搬送されています。
今も、いつ体調が悪くなるかわかりませんから、長い時間の外出はできません。

そういえば、父の病気がわかったのも、外出時に倒れて救急搬送されたからです。
本当に、突然意識が途切れるらしく、父に倒れたときのことを聞いたときも、なぜ倒れたのかまったく思い出せない様子で、気が付いたら病院にいたと言っていました。

それを思い出すと、やはりスーパーで見かけた男性に声をかけるべきだったと、後悔が残ります。
何もなければ、それでいいのですから、たった数秒声をかけるくらい、してみたらよかったと。

近所のスーパーですし、高齢の男性は歩いて買い物に来ていたでしょうから、もし何もなければ、また見かける日もあるかもしれません。
近いうちに、もう一度見かけることができたらいいのですが...


今回は、特になんでもない一日を綴ってみました。
何でもない一日でしたが、高齢男性のことだけは、少し気になります。
明日の朝を、元気で迎えていてくれることを願うばかりです。

不要品は出るよ、いつまでも

2019-10-15 | 日々の暮らし
母の不要な服を、無料のリサイクルボックスへ持ち込むつもりでいましたが、持っていくことがしんどく思えてきたので、捨てることにしました。
服を入れた袋を、そのまま家庭ごみの袋へ入れてる最中に、母がのぞきに来ました(笑)

何気なく、まだ残っているバッグがいくつかあるが、どうするか?と尋ねてみたところ、私が使わないのなら全部捨てていいとの返事。
さほど数はありませんでしたが、一部を貰うことにして、あとは全部捨てることにしました。

貰ったバッグ類
今、私が使っているバッグも、母のモノを貰って使っています。
ただ、少し使用感がよくありません。
買い替えようかとも思ったのですが、どうせ買っても、また気に入らないところがあったら、すぐに使わなくなってしまいますから、多少の使い心地には目をつぶっていました。

そんなタイミングで、母が未だしまい込んでいるバッグの処分をどうするか、を聞いてみたところ、先のような返事をもらったので、即ごみ袋を用意し、いざ仕分けです。

改めて仕分けしてみると、やたらとエコバッグがあります。
1つか2つあれば十分なのに、大小合わせて5つ以上ありました。
また、ショルダーも5つくらいありました(数えるのが面倒で、数えてません)
エコバッグとショルダーのほかには、フォーマルシーン(主に弔事など)に使う黒の手提げと、ハロッズのビニールトートが大小1つずつありました。

その中で、使い勝手がよさそうなショルダーと、フォーマルシーン用の手提げと、ハロッズのビニールトートを貰うことにして、あとはすべて次回の家庭ごみの日に出します。

貰った理由
私が貰ってしまうと、実質的な不要品の減少にはならないのですが、ショルダーに関しては今使っているものと入れ替えることにして、使っていたバッグの方を捨てることに。

フォーマルシーン用の手提げは、フォーマルバッグに入りきれないモノを入れる仕様です。
フォーマル用のバッグって、小さくて何も入りませんよね(苦笑)
ですから、前々から黒でつや消しタイプの別バッグが欲しいと思っていました。
今回それが見つかったので、使う頻度はかなり低いですが、もらうことにしました。

ハロッズのビニールトートは、実は今使っているマイバッグ(エコバッグ)のデザインが気に入っていないので、ショルダーと同じように取り換えようと思っています。
今使っているモノは、大きさやマチの広さが十分あって、使う分には何も問題がないのですが、私のセンスには全く合っていません。
これも、母の不要品の中から取りました。

ハロッズの定番イラストとロゴは割と好きで、持っていてもどことなくお洒落ですが、今使っているモノよりも容量が少ない気がします。
ただ、縦に長いので、長さのあるモノ(大根1本や長ネギなど)を入れる場合に、安定しそうな気がしています。
ですので、何度かマイバッグとして使ってみて、使い心地が悪ければ処分することにします。

ついでに処分するモノ
バッグのほかには、突っ張り棒と縦長のランドリーバスケット、そして母が使わなくなった杖(買い替え済み)を処分することにしました。

これらは、以前から捨てるつもりでいたのですが、優先順位が低かったので今回のタイミングになりました。
やっと捨てることができるので、すっきりしています。

家庭ごみ回収日までは日がありますので、まだまだ不要品は出てきそうですね。

バッグ以外のお試し中
ハロッズのトートは、明日から試す予定なのですが、バッグ以外にも、現在進行中のお試しがあります。
それは、まな板をなるべく使わないということと、天ぷらの敷き紙の活用方法です。

我が家で1軍登録されているまな板は、京セラ製のプラスチックまな板と小さめの抗菌まな板でした。
しかし、家事をしているうちに、まな板を洗う手間が徐々に嫌になってきたので、現在は飲み終えた豆乳の空き容器を切って、平面にして使い捨てまな板にしています。

最初は、肉や魚など、まな板を使うと洗浄が大変な食材だけに使っていました。
しかし、豆乳は毎日飲みますし、空き容器は2日に1度のペースで出るので、普通に毎回使うことにしました。
私は豆乳の空き容器を使っていますが、牛乳やジュースの紙パックを、まな板代わりに使う方もいますよね。

使い始めると結構使い勝手がよくて、しかも紙でできていますから、小さな野菜や果物を切る場合は、半分に切って小さくして使えるところが、めちゃくちゃいいです。
時短、効率化、手抜きが実現できるところは、かなり優秀(笑)
ここしばらくは、抗菌まな板を1度か2度、使っただけです。
切ったものを、ナベやフライパンに移すときも、普通のまな板よりも融通が利くので、いろいろ楽です。

もしかしたら、まな板は不要なモノなのかもしれないですね。

天ぷらの敷き紙も、今お試し使用中ですが、天ぷらを揚げているわけではありません。
使い方はかなりマルチで、乾燥機に入れられないマグボトルを、さかさまにして置く際に下に敷いたり、熱が取れていない料理の上にかけておいたり(埃除け)、油炒めや肉や脂身が多い魚を調理したプライパンやナベの油汚れを取ったり、とにかく紙を使ってもよさそうなシチュエーションで活躍させています。
キッチンペーパーよりもしっかりしているので、割といろいろな使い道があります。

なぜ、天ぷら敷き紙をそんなことに使っているのかというと、天ぷらを揚げないのに、なぜか大量に母が買っていたから(笑)
キッチンの不要品を探しているときに見つけて、なんとなく使い道がありそうだと感じて、そのまま取っておきました。
使い始めたら、結構いろいろ使える優秀な子でした(笑)

天ぷら敷き紙は、すべて使い終わったら買い足すことはしません。
キッチンペーパーに比べると、コスパも低いですしね。
ただ、使ってみたことで、利用範囲が広いことが分かったので、何かのときには買い足してもいいかもしれません。


不要品を処分していると、ときどきですが使えそうだから取っておいてみよう、と思います。
ただ、消耗品ではないモノに関しては、そう思ってもすぐに処分しています。
なぜなら、「使うかも」は絶対に「使わない」になるからです。
しかし、消耗品だと天ぷらの敷き紙のように、別の使い方でどんどん消費できる場合があります。
思い込みによる使い方の固定は、モノをムダにしてしまう原因のひとつかもしれませんから、別の用途で使うという思考は、なるべく多く持っていたいですね。

母の変化と意思の継続(また母の服を処分した話)

2019-10-14 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
夜、夕飯も済んでテレビを自室でのんびり見ていたところ、母に声をかけられました。

「ねえ、これも捨てたいんだけど」

持ってきたのは、母の服でした。

母の処分意欲が過去最高
こんな夜に、なにを始めたんだろう?と思いつつ、その気になっている母を手伝わないわけにはいきません(笑)
少し前から、母が着ないと言った服を処分し続けてきて、洋服ダンスと和ダンスを空にしました。
また、クローゼットも半分くらいの隙間ができました。

処分を始めるときは、いつも私から何度か声をかけて、その気になった瞬間を見計らって、作業に着手してきました。
私主導で、タンスから服を一着ずつ出して母に見せて、要らないと言ったら服を袋へ入れる、という流れでやってきました。

ところが、今日は母から声をかけてきて、しかも、自分ですでに10着ほど出している状態でした。
母が、本気で服を捨てようとしている!
このチャンス、絶対に逃したらいけない!

そう思った私は、ほんの数十分でしたが、母の服処分にお付き合いしました。

現在の収納状態
以前の処分で、洋服ダンスと和ダンスの中身を空にした後、母の服は常に着る服を洋服かけにかけて、見える場所へ置いていますが、まだチェスト2台分にも、トップス、インナー、パンツ、ルームウェア、下着、靴下、ハンカチなどが収納されています。
その中で、今回処分する対象は、トップス、インナー、パンツ、ルームウェアです。

チェストは2台あり、以下のような仕様です。

 ・チェスト① 6段 上1段が左右の小引き出し
 ・チェスト② 6段 上2段が左右の小引き出し

チェスト①の小引き出しには、ハンカチ、手ぬぐいなどが収納されています。
一番下の引き出しには、靴下が収納されています。
それ以外の段は、トップス、インナー、パンツが収納されています。

チェスト②の小引き出しには、上1段にいろいろな小物が雑多に収納されていて、上から2段目の小引き出しには、下着が収納されています。
一番下と、下から2段目には、タオルが収納されています。
それ以外は、やはりトップス、インナー、パンツ、そしてルームウェアが収納されています。

母がどのようにカテゴリー分けをして収納しているのか、全くわかりませんが、どちらにも似たようなモノがたくさん入っています。

処分する服は母にお任せ状態
以前は、着ていない服は一度も着ていなくても要らない服だよ、と説得しながら捨てるような感じでした。
直近の処分時は、説得なしで、私が見せる服に対して、母が要不要を判断しました。

今回は、すでに母の判断で数着の服が出されていたので、私は次から次へとチェストから出される服を、袋に入れるだけ。
ですから、本当に何も考えずに袋へ不要な服を入れていきました。

ただ、あまりにも勢いよく出すので、全部出してしまったら冬に着る服がなくなるよ、とは言いました(笑)
冬服は、まだ簡単に判断できない服もあると思うので、処分するのはシーズン終了間際で十分かな、と思っています。

母の判断基準
老齢になった母は、服の好みがかなり変化しているようで、自分で購入したにもかかわらず、こんなデザインの服は要らない、と言います(笑)

今回の処分で把握した、母の処分基準は、

 ・サイズが合わない(母はいわゆるデブ体形です)
 ・デザインが気に入らない
 ・白い服
 ・半袖やノースリーブ
 ・生地が嫌い

白い服は嫌いなのだそうですが、なぜ買ったの?と聞いたら、若いときは好みが違ってた、と言っております。
歳を重ねると、デザインだけではなく色も好みが変わるものなのでしょうか?
母と同じ年齢にならないと、理解できない心境なのかもしれません。

半袖やノースリーブは、歳を取って腕にシワが増えてきたので、あまり出したくないから捨てるのだそうです。
生地が薄かったり、デコルテが見えすぎる服も出していました。

親が溜め込み気質な人へ
私の母に限らず、溜め込み気質の方は多いですよね。
それが、自分の親だと、いろいろと苦労や心配事も増えてしまいます。

私の場合は、最終的に自分が年寄りになったとき、大きな家具や使っていない不要なモノが家に溢れていたら、自分では処分することもできないという危機感をもっているから、ひたすら不要品を処分しています。
父や兄の遺品を、ほとんど捨ててしまったのも、母が持ちすぎているモノを捨てさせたいのも、私のわがままからそうしていると言っていいです。

私の母の場合は、私が捨て続ける様子を見て、不要なモノを持っていても、管理や整理整頓が大変なだけだということに気が付いてくれたようです。
しかし、今の状況になるまで、軽く20年以上はかかっていると思います(苦笑)

私自身も、不要品を処分することに拍車がかかったのは、ここ10年くらいですし、家族のモノに着手できるようになったのは、小さいモノから始めて、タンスを処分できる状態まで、約5年くらいかかっています。

不要品は、買うときは1つずつなので、サイズ感も重量感も意識していませんが、処分するときは一度に行うため、サイズが大きかったり、容量も重量も嵩張ります。
処分するモノが多いと、出す作業で体力を使いますし、容量や重量が嵩張れば、家から持ち出すエネルギーや時間も、当然削られていきます。

ですから、捨てることに躊躇しない私でも、捨てることが面倒くさいし、リサイクルに持ち込むことにも、あまり積極的ではありません。
ですが、処分しないといつまでも家の中が片付かないので、ついでの用事があるときに、リサイクルに持ち込んだり、いつもより大きなごみ袋を用意して捨てているのです。
あまりにも大変な量があるときは、粗大ごみ以外はリサイクルをあきらめて全て捨てます。

現在、私は51歳ですから、まだ体力はあります。
体力があるうちに、できるだけ所有物を減らしたいと思っています。
しかし、私の母くらいの年齢になると、これまで溜め込んできたモノを捨てる体力はないでしょうし、不要品を見分けるエネルギーもおそらくないでしょう。

そこは理解できるのですが、実際はモノに溢れた部屋や家の中を見ていたら、同居している家族に対してイラつく人も多いでしょう。
そういう場合は、とにかく焦らず時間をかけて、家族に不要品だということを意識してもらうようにするしかない、と達観できるように、まず自分のメンタルを強化しましょう(笑)

親の溜め込んだモノを、さっくりと捨てることなど、誰がチャレンジしても簡単にはできないと思いますし、おそらくそれが普通です。
親が溜め込んできた歴史は、長いです。
何が原因なのかは人それぞれですが、とにかく溜め込みの歴史は長くて濃いのです。
それを、すっきり処分することが、簡単なわけがないのです。

親が溜め込んだ不要品を、捨てさせる技術や説得術は、いろいろあると思いますが、私が実感しているのは、とにかく時間をかけることと、洗脳すること(笑)
何らかの方法で、不要品は捨てた方が暮らしが楽しくなるよ、ということを刷り込んで、捨てようという意思を示されたら、即反応してあげることを大事にしています。

自分自身もそうなのですが、とにかくやる気が満ちたタイミングを逃さないことが一番重要です。
時間がかかっても、なかなか説得に応じてくれなくても、少しでも処分したいという気持ちが現れたら、一気に畳み込んでいきましょう(笑)


今回、また母の服を処分する話になってしまいましたが、まだ母の服については完結していませんので、いつかまた経過をお伝えしますね。

ごみを出さないという視点の主観

2019-10-13 | 日々の暮らし
日曜日の夕方、スーパーで買い物をしました。
レジで精算して、サッカー台(買ったモノを袋に入れるための台)で買ったモノをマイバッグへ入れていたところ、隣に来た若いカップル(夫婦か恋人同士)が取った行動に、少し興味を持ちました。
今回は、そのお話を綴ります。

カップルの女性がサッカー台でしていたこと
女性は、レジかごから大きめのトレーに入った豚肉の切り落としを出し、サッカー台の上にさかさまにして置きました。
何をするのだろう?と思って、悪いとは思いつつチラチラと見ていたのですが、女性はトレイの底からラップを器用に剥がし、破けないように広げて、トレイだけを取りました。

そこには、広げたラップに乗った豚肉が現れるわけですが、女性はその状態からラップで豚肉を包むと、小さくまとめてサッカー台に備え付けてあるポリ袋へ入れて、袋の口を閉じてマイバッグへ入れ、トレイは男性がサッカー台の下に設置しているごみ箱へ入れていました。
もちろん、トレイを拭いたり、洗ったりはしていませんから、ドリップが付いたままです。

この光景を見て、私はいろいろなことを考えました。

ごみの軽減(彼女視点)
この光景を見て、真っ先に思ったことが、

「この女性は、家にプラごみを持ち込みたくないのだな」

ということです。

プラごみは、今の日本では買い物をすればしただけ、プラごみが出るといっても過言ではありません。
最近は、マイクロプラスチックが河川にや海に与える環境汚染が問題になり、包装紙を見直す動きが盛んになってきましたが、依然として何かを買えば、必ずとこかにプラスチックが使われています。

私は、手抜きが多いので、スーパーのデリカテッセンを集中的に買ってしまう日があります。
当然、そういった日は我が家のプラごみ専用ボックスは、満杯になります。
スーパーのトレイ回収に協力してみようとは思うものの、いつまでもごみを溜めて置いておくことが苦手なので、毎週プラごみ回収日に捨てています。

食品トレイは、プラごみ専用ボックスの容積を簡単に埋めてくれる厄介者です(笑)
お惣菜だけではなく、カップルが買ったお肉もそうですし、魚にも、佃煮にも、さつま揚げにも、カニカマにも、とにかくいろいろな食品トレイがあり、何も考えずに買っていると、食品トレイのオンパレード。
それに、弁当に入れやすくするために、小分けされた冷凍食品など買ってしまうと、もっとトレイの量が増えます。
あまりにも多い週は、トレイを2等分や4等分に切って、嵩が減るようにしています。

時々、食品トレイを捨てているときに、

「この食品は、トレイを使わずに袋で売ればいいのではないか」

と思うことがあります。
肉も魚も、透明なポリ袋やそれなりにドリップが外に出ないような袋に入れて売ってくれたら、家でのごみ捨てが楽になるのにと。
他の商品でも、つい安いからという理由で購入してしまいますが、結果として食品トレイのごみと手間が増えています。

日曜日に遭遇したカップルの彼女は、まさにそういう視点でサッカー台でトレイを外して捨てたのだと思います。
たしかに、彼女のやり方だったら、家に帰ってからプラごみに入れるごみは、ラップとポリ袋だけなので、ごみ袋の嵩もそこまで増しませんし、冷凍もしやすいです。
そういう視点では、彼女のやり方は、持ち帰る際の荷物の嵩も減らせるし、家に帰ってからの手間も減ります。
そのために、スーパーでトレイを外すという手間をかけていますが、そこは気にしません。
彼女の視点で考えた場合、とても効率的な家事をするための手段として、有効だと思いました。

ただ、そこには、いろんなリスクが潜んでいるとも思いました。


ごみの軽減と衛生面(店視点)
彼女視点だと、スーパーのサッカー台で、肉のトレイだけを外してごみ箱へ捨てることは、家事の工夫としていいのですが、私は、ここでふと、お店側の立場で考えたら少しリスキーだな、と思いました。

何がリスキーかというと、このカップルは豚肉の入ったトレイを、ドリップをふき取ることもせず、洗うこともせず、ダイレクトにごみ箱へ入れましたが、肉や魚のドリップには、いろいろな菌が付着しやすく、増殖もします。
サッカー台の上でその作業をしていたということは、サッカー台にも目に見えないドリップの一部が付いている可能性もあります。
それを放置していたら、知らない間に菌が増えていくかもしれません。

ごみ箱の中もそうです。
食品トレイの回収は、必ず洗って乾かしてからボックスへ入れてくださいと書いてあります。
汚れがあると再加工しにくいという理由もありますが、衛生面でも回収業者の方に配慮して、洗って乾かすことを消費者に求めているのだと思います。
しかし、スーパーの清掃員が回収するごみ箱に、ドリップ付きのトレイが入っていたら、回収する清掃員の方はもちろんのこと、そのごみ箱のそばに近寄る小さなお子さんにも、ドリップが付着してしまうリスクがあります。

通常、スーパーの肉や魚の製造は、人間の体も殺菌をしてから処理を始めますし、作業する室内は無菌状態ですので、肉そのものには菌が付いていないはずですが、外の殺菌されていない空間に置いてしまえば、菌が増殖するリスクは十分あります。
食中毒になる確率は低いにしても、少し気になりますよね。

そもそも、トレイが要らないのなら、肉屋で購入すればいいのに、と思います。
肉屋であれば、トレイではなく袋に入れてくれますし、袋へ入れる前に水分を吸収する紙で包んでくれます。

ちなみに、今回利用したスーパーは、スーパーの中に肉の専門店があります。
総じて、スーパーの肉より値段が高めですが、特売日はスーパーの肉より安いです。
安いうえに、トレイのごみも出ないならば、そういう日を狙って買いに行けば、彼女の問題は解決するのに、と思ってしまいました。


ごみの軽減(環境問題視点)
食品トレイにしても、プラごみにしても、環境問題の視点から、分別や別途回収システムを作っています。
プラごみを集めるのは、我が自治体の場合、プラごみを再加工した別商品を作ったり、科学的に分解をして違う素材に生まれ変わらせて再利用するためです。
再加工や分解の段階で、処理が難しいモノは回収対象外です。

私の場合、この分別や回収に対しては少々いい加減なところがあります。
例えば、窓付き封筒の窓部分。
そこだけを切り取って、プラごみへ分別するのが面倒なので、つい家庭ごみに一緒に捨ててしまいます。
環境に貢献するには、まだまだ意気込みと決意が足りません。

それでも、プラごみはなるべく洗って分別しますし、食品トレイも回収ボックスには持っていきませんが、きちんと洗ったり拭いたりして、きれいな状態にしてから分別用のごみ箱へ入れています。
特に、肉や魚が入っていたトレイは、洗った後にキッチンペーパーで水分を取り、最後に除菌シートで拭いています。
菌に対する不安から、そのようにしています。

肉や魚を扱ったら、シンクの上やワークトップ(システムキッチンの作業スペース)、肉や魚を切った包丁などにも、除菌シートで仕上げ拭きをするくらい、神経質です(笑)
手抜きや時短は好きですが、こういう部分は手間暇かけます。

ただ、拭く道具はすべて使い捨てなので、環境に配慮しているかどうかで考えると、何か他の方法があるのかもしれません。
いまのところ、自分で納得できる処理が、この方法なので実行しています。

話が少し逸れましたが、私は食品トレイを邪魔だとは思いますが、きれいにして分別するという意味では、きちんとしているつもりです。

しかし、スーパーで遭遇したカップルは、お店のごみとして肉の入ったトレイを捨てていきました。
もちろん、スーパーのごみ箱には、変なモノさえ捨てなければ、誰が何を捨てても自由です。
しかし、分別するように努力すべき素材のモノを、自分の都合だけで店のごみ箱へ捨てていいものかどうか。

ちなみに、スーパーなどから出るごみは、処理をする業者がまとめて回収していきますが、一般家庭のような分別はしていないはずです。
毎日大量に出るごみは、プラごみの分別などができる状態ではないでしょうから、まとめて捨てられるのだと思います。

家に持ち帰れば、確実に分別できるモノを、家に持ち帰らずに店に丸投げした結果、分別もできず環境にも配慮できないままごみをすてることになりますから、環境面での問題は大いにありそうです。

本気でごみ軽減を考えたら
ごみ軽減について、本気で考えたら、行きつく答えは、

「ごみになるモノを、手に入れない」(消費者側)
「ごみになるモノを、作らない、売らない」(製造販売側)

だと思います。

消費者側からすれば、不要なモノを買わなければ、ごみは増えません。
また、必需品でも個包装しているモノは避けて別の商品を買ったり、過剰な包装をしているモノは、最初から買う候補から外すということも、有効かもしれません。

先ほども触れましたが、肉を買う際のトレーが不要ならば、最初からトレーを使っていない専門店の肉を買うとか、総菜のトレーが要らないのならば、袋に入れて販売している市場などで購入するとかの行動をした方がいいと思います。
そういうお店が近くにないのならば、トレイも家に持ち帰って、洗ってきれいにして分別するまでが、買い物のワンセットだと考えないと、いつまで経ってもごみは減らせないです。

そして、ごみを捨てる行為は、人に丸投げしてはダメだと考えています。
ごみを一度手に入れたら、最後に分別して捨てるところまでが責任ということですから、捨てるにしてもリサイクルやリユースするにしても、自分で判断して行動する義務があると思います。

私の結論としてはトレイも持ち帰るのがベスト
スーパーで出会った彼女に、今回はいろんなことを考えさせられました。

彼女の生活術は、もしかしたら結構メジャーなのかもしれません。
なぜなら、今まで行動そのものは見たことがなかったのですが、スーパーのごみ箱に肉や魚のトレーが捨てられているのを、頻繁に目にしていたからです。
もちろん、デリカテッセンのトレイや容器も同じように捨てられていることが多いです。

もしかしたら、ライフハックとして紹介されているのかもしれませんが、スーパーのごみ箱の中に汚れたトレイが捨てられていることには、予てより不快感がありました。
おそらく、私の中に

「自分で買ったモノは、最後まで自分で責任を取る(自分で捨てる)」

という思いが、あるからなのかもしれません。

私も、根っこではスーパーで出会った彼女と同じだと思うのです。
トレイに入れなくても、食材のおいしさは変わりませんから、なるべくコンパクトにして持ち帰りたい、という気持ちは常にあります。
ただ、いろいろな基準を自分なりに考えた結果、ポリ袋へ入れてくれる専門店よりも、トレイに入っているスーパーのモノの方がよいと判断することが多いのです。
ですから、他人がどのようにしていても、それが、便利だったり効率的だったりしても、私はこれからも、スーパーで買ったトレイ入りの肉や魚は、必ず持ち帰って家で分別します。


最後に、実はこのスーパーで出会った彼女がした、トレイを外してそのまま値札シール付きのラップで肉を包むというやり方は、家で実践しています。
そうすることで、買った日付や肉の部位が把握しやすく、冷凍して肉の部位の判別ができなくなっても、この方法なら効率的に肉を選んで、調理に取り掛かれます。
ライフハックというほどではないですが、いちいち新しいラップで包む手間が省ける点でも効率的でいいですよねえ。

衰え(背中の痛み継続中)

2019-10-12 | 日々の暮らし
先週から、背中が痛いです。
液体シップを塗っても、あまり改善しないので、筋肉痛ではなさそう。

日曜日に腰痛がひどくなった後、腰痛自体はだいぶ回復しましたが、背中の痛みが一進一退といった感じ。
まったく痛みを感じない姿勢と、痛くて体の動きが止まってしまうくらい痛くなる姿勢があるようで、このまま改善されないようなら、火曜日にでも整形外科を受診してみようと思います。

なにかしらの疲労が溜まったままの可能性もありますが、やはり年齢によるものが大きいのでしょうね。
一応、テレビやネットで聞きかじった腰痛改善運動もしてみるのですが、痛いのは背中なので効かない様子です(苦笑)
もしかしたら、ベッドマットレスや枕も原因になっているのかもしれません。

他に考えられるのは、背骨の歪みでしょうか。
もしそれが原因ならば、整体に通うことも視野に入れておかないといけませんね。
いずれにしろ、治療費がまさに痛い出費になります。

そもそも、痛みの原因がよくわからないので、自分でも対策しようがないですし、予防も思いつきません。
ただ、自分なりに痛い場所をギュっと押さえる感じで揉んだりすると、少し気持ちがいいので、そうなると背中の筋肉痛かコリなのかもしれません。

まあ、痛みの原因がどうであれ、このまま痛みに耐え続けると、生活に支障が出そうなので、病院へいく心の準備だけはしておこうと思います。

少なくとも、40代半ばくらいまでは経験したことのない痛みや不調が、50代に入る手前から増えてきました。
筋肉痛もそうですが、貧血や頭痛時に表に出てくる症状も、変わってきたような気がします。
ホルモンバランスが、関係しているのでしょうか?
そろそろ、命の母にSOS出す年齢なのでしょうか?(笑)

自分がこのような体調になる日が来ることは覚悟していましたが、いざ迎えると対処方法がよくわからないです。
今の世の中、いくらでも情報は発信されているのですが、今まではどこか他人事で、しっかりと内容を把握できていなかったのかな。
今後は、更年期障害や老化現象の情報を、きちんと読まねばなりませんね。

最後に、このブログを更新している間も含め、台風の被害が次々と報道されています。
今日一日で、どれくらいの被害が出ているのか想像もつきませんが、皆さん、どうか無事に夜を越せますように、お祈りしております。

ちょっと息抜きに出かけた午後

2019-10-11 | 日々の暮らし
本日は、午前中に洗濯をして、母にお昼の薬を飲ませてから、外出しました。
秋晴れ、というさわやかな感じではありませんでしたが、もやっとした晴れという感じで、気温もそれほど高くなく、外出するにはまあまあのお天気。

予てより行こうと思っていた、とある企画展を鑑賞。
スポーツ観戦以外で、趣味を楽しむための外出は、かなり久しぶりです。

もともと、美術館や博物館や歴史館などで、作品や文化財を鑑賞するのが好きなのですが、最近はなかなか時間を調整できず、いつの間にか終わっていた企画展が多数。
今回の企画展は、どうしても行きたかったので、何の予定もなかった本日、行くことにしました。

お出かけの準備
美術館や博物館などに行く際は、今までだったらその近くにある飲食店(主にカフェ系)を調べて、鑑賞の前後にそこでお茶をしたりランチしたりするのが楽しみでした。

しかし、10月から店内での飲食は消費税10%です。
せっかく美術品や文化財を鑑賞するのに、そのようなことは考えたくないのですが、やはりそこは少々ケチる習慣を付けようと思い、今回は水筒にアイスティーを入れて持ち歩くことにしました。

企画展の場所は、自宅から公共交通機関を使って、だいたい20分から30分。
長旅にはならないので、飲み物以外は、そこまで重装備で行かなくても大丈夫な距離。
ショルダーバッグの中には、小さくたたんだマイバッグとスマホ、財布、交通系ICカード、小説、リーディンググラスを入れて、いざ出発(笑)

お出かけの手段はJR、お出かけのお供は読みかけの小説
実はバスでもJRでも、同じ場所へ行けるのですが、JRの最寄り駅は少し遠いです。
バス停留所は、徒歩5分以内の場所にあるのですが、乗り物としてはバスよりも電車派の私は、大雨でも降らない限りは少し歩いて、JRを利用します。
なぜだかわかりませんが、バスよりも電車のほうが小説を読みやすいのですよね。
おそらく、座席に座ったときのお隣さんとの距離感だと思います。
バスだと、お隣さんとかなり密着する感じがあり、隣でスマホを見たり小説を読んだりしていると、肘が当たったりします。
そういうときって互いに気まずいので、そのリスクやストレスが比較的少ない電車を選びがちです。

荷物の中に小説を入れる理由は、まあ読みたいということもありますが、移動する少しの時間に活字を読みながら過ごすのが好きなので、読むか読まないかは別として、外出時は小説を持ち歩いてます。
リーディンググラスも、その小説を読むためです(苦笑)
まだ、眼科で調べてもらっていないのですが、たぶん老眼になっているので、100円ショップで購入したモノを使っています。

鑑賞時間は少なくても2時間
規模にもよりますが、鑑賞時間は最低でも2時間を予定します。
私は、1作品をかなりじっくり(しつこいとも言う)観る性質なので、そのあとのスケジュールが詰まっていない限りは、無制限に鑑賞しています。

今回訪れた企画展も、1作品を穴が開くほど観ていたので、気が付いたら3時間近く展示会場に居ました(笑)
おかげで、夕食を作る暇がなくなってしまいましたので、駅地下にあるスーパーのお惣菜を買って帰りました。
この企画展は、前半と後半で展示作品が入れ替わるので、もう一度鑑賞に行く予定です。

出費を抑えた今回のお出かけ
企画展では、必ずグッズといったモノが販売されます。
去年までの私であれば、何かしら買ってしまったかもしれません。
しかし、今は余計な雑貨やインテリア類は、必需品でない限りは買わないと決めていますので、展示会場では何も購入しませんでした。
もし買うとしても、消費できるお菓子くらいですが、今回はお菓子も購入しませんでした。

ティータイムも、結局鑑賞時間が長すぎたので、持参したアイスティーをどこかベンチのある場所に座ってゆっくり飲む、などという優雅なことはせず(笑)
帰りの電車を待つホームで、ごくごく飲みました。

ということで、出費は企画展の入場料とJR代で済みました。
ちなみに、抑えたのは自分の趣味費用で、家の食費は総菜を購入してしまったので、節約どころかムダ使いですね(苦笑)
でも、時短と手抜きの代償と思えば、致し方ない?

増やさない生活も節約生活も楽しめるようになりたい
最近やっと、好きだという理由だけでモノを購入することがなくなりました。
そして、以前だったら買わなかったことを後悔することもありましたが、今は欲しいと思っていた気持ちすら、忘れていることも多いです。
そして、モノが増えない自室や我が家を見渡すと、買わなかったことは正解だったと確信できます。

欲しいモノを手に入れて、好きなモノに囲まれた生活も、たしかに楽しいし癒されます。
私が持っていたモノも、必需品以外のほとんどは、自分を楽しませてくれたり癒してくれたりするようなモノばかりでした。
今も、捨てずに残してあるモノも、半分以上は私が満足感を得るために手に入れたモノです。
それはそれで、心の栄養になっているのかもしれませんが、なくても大丈夫だということに気が付いてからは、店頭で手に取ったらそれで満足できるようになりました。

ただし、書籍の類だけは別ですけどね。
活字を読むことが好きなので、買わないことが難しいです。
以前、お話ししたことがあるかもしれませんが、図書館は自宅から遠く、借りてから返却するまでの交通費で、文庫本1冊買えてしまいます。
電子書籍という手もありますが、漫画以外は紙の方が読みやすいので、出先でついでに買ったり、出かける予定がしばらくない場合は、ネット通販で購入しています。
ですから、書籍に関してはかなり吟味して、本気で読みたいと思うまでは、買わないようにする程度で終わっています。

節約生活は、まだあまちゃんで、日々の食料品や日用品を買うときに、お得なモノを買う機会があっても、うまく活用できません。
ですから、ノートを使って、自分ができそうな節約を書き出しています。
例えば、日用品は5%オフの日に買うようにするとか、必需品であれば5%オフでなくても特売されていたら買うとか、そういったことを頭の中に叩き込んでおけるように、字を書くことで自分の記憶に残るようにしています。

このノートを使ったメモは、始めてみたら案外楽しいです。
字を書くこと自体は、とても非効率な気がするのですが、パソコンやスマホのソフトで節約術を管理したところで、あまり記憶に残らないのですよね。
もしかしたら、字を自分で書く方が、脳を刺激しやすいのかもしれません。

今まで私は、しっかりした節約生活はしたことがなく、ガバガバな節約術を三日坊主で実行しているようなところがありましたが、しかし、それでは消費税の節税ができません。
もし、私がもう少し若くてバリバリ働いていたら、おそらく節約はガバガバなままだったと思います。
しかし、今は無職ですし、母の将来の備え(ホーム入居や自宅介護などの費用)を少しでも増やしておく必要があります。
ですから、今からの節約は、私と母にとってかなり重要で、気にしないでいる方がムリです。

だったら、節約もモノを買わない行為も、納得できる形で実行することはもちろん、暮らしの中で少しでも楽しめるような工夫をしたいと考えています。



楽しむためのお出かけは、目的を果たすだけで幸せだし楽しいです。
その際に、何かしらのモノを買う行為も、思い出が視覚化できて幸せかもしれませんが、真剣に目一杯目的のことを満喫したら、モノがなくても楽しい記憶はいつまでも消えません。
これから先は、楽しいと思うことを気が済むまで楽しむようにして、物理的にはもっと身軽になれるようにしたいものです。