78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎7月第4週(最終話)

2012-08-04 09:06:15 | ある少女の物語
 大人の世界で一番辛い事は、怒られる事ではなく、褒めてくれない事である。
どんなに努力してもスルーされ、ミスをした部分ばかりが強調され、そこだけで評価が下される。
アラフォー店長のWに対する評価を僕は不服に思っている。確かにレジで突っ立っている事も何度もあったと思う。しかし、それ以外で頑張っている姿をちゃんと見ていただろうか。6リットルものつゆが入ったおでんの什器を自力で運んだのは高校生でWしか居ないし、レジ誤差も出さなくなってきたし、特に指示を出さなくても最低限やるべき事は進んでやってくれていた。在籍中のスタッフで一番彼女を見てきた僕にはそれが解る。
それよりも、Wの前に怒るべきスタッフは何人も居るのではないか。遅刻常習犯のアイツや、常温便が納品されたのに品出しをせずにレジに突っ立っていたアイツ、そして「なります」等の言葉遣いを一向に改善しない奴等。彼らに注意喚起すらしない現状にも憤りを覚えている。
果たして全てのスタッフに平等な評価を下しているのか。たった一人の健気な女子高生スタッフすら正当に評価できない店長に店長の資格はあるのか。
21世紀にマリー・アントワネットが存在するとするなら、それはWだと僕は思う。彼女は頑張っている。ただ色々とタイミングが悪いだけだ。このままでは彼女が処刑台に立つ事になってしまう。それだけは避けなければならない。
僕は店長と戦う。Wを育て、正当な評価をさせてやる。そう思っていた矢先だった。



彼女が  茶 髪  になって姿を見せたのは。



「Wさん、見た目が明るくなったのはすごく良いんですけど、髪の色が規定をオーバーしています」
髪の色は、日本ヘアカラー協会の定める「レベル11」以内と明確に決められている。Wの髪は頭頂部に限り規定より明るくなってしまっていた。逆にそれ以外の部分はセーフの色だったのだが。
「あ、これ逆プリンになっちゃったんですよ」
「え、つまり上だけ失敗したって事ですか?」
「ハイ」
「ああ、マジか……」
失敗さえしなければ良かった。上だけ明るいだけなのに、髪全体が明るく見えてしまう。人間の評価なんてそんなもの。本当にタイミングが悪かった。店長からの評価がどんどん下がっているのに、それを勇気を出してWに伝えたはずなのに、まさか病み上がりのタイミングで髪を染めてくるなんて、本当に風邪だったのかと疑われても仕方ない。僕は前日の電話で辛そうな声を聞いているから信じるが、もちろんそれも店長は知らない。
「本当に申し訳ないんですけど……」
 僕は恐る恐るWに語りかけた。言うべき事の全てを話せば間違いなく傷つく。どこまでを話せば良いのだろうか。
「Wさん、シフトの希望用紙、来週の分書いていないじゃないですか。それでどうなったかと言うと……来週は1日も入っていません」
「あ、別に良いですよ」
Wの反応が明らかに今までと違う。少し前の彼女なら一日でも多くシフトインしたがるはず。
「まあ……人間、頑張るだけじゃ駄目なんですよ。良く思われないといけないんですよ。Tさんっているじゃないですか」
「あの黒縁の眼鏡をかけている人ですか?」
「ハイ(それは俺もなんだが)。あの人、遅刻常習犯なんですよ。しかも彼もレジに突っ立っているだけの事あるんですよ。でも店長はそれを一度も怒った事がありません。何故なら……気に入られているからです。つまりはそういう事なんですよ」
上に気に入られる人が勝つ。Wがいずれ大人になれば嫌でも知る事になる社会の理不尽さをあらかじめ教えたまでの事だった。
「まあ、タイミングが悪かったですね……風邪を引いたタイミングが。ぶっちゃけWさん、店長からの信頼が今ほぼ無いです」
「別に良いですよ。ウチあの人嫌いですし」
一人称が“ウチ”なのが超絶に可愛くもあり、彼女がまだ子供である証拠でもあった。そして、店長を嫌っている事も確定。ざまみろ。アンタのやり方は敵を増やすだけなんだよ。
「とりあえず……この紙を鞄に入れて下さい。後で暇な時にでも読んで下さい。僕の言いたい事は全部そこに書いてあるんで」
 この数日、僕にしか出来ない事を考えてきた結果、前職で唯一褒められた「文章力」を駆使するという結論に帰結した。

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『仕事とレゾンデートル』  当方128

「俺、卒業しちまった。二度と、あの学校の生徒にはなれない」
 卒業式から帰ってきた岡崎朋也は、一つ年上の彼女・古河渚の前で涙を浮かべながら言った。
「学校なんて大嫌いだったけど、お前となら、いつまでだって過ごしたいと思っていたんだ。ずっと腐ったみたいな学生生活を続けてきて、でも、お前と過ごした最後の一年だけは楽しかったんだ。幸せだったんだ。やっぱり俺も、留年すれば良かった」
 病弱な渚は出席日数が足りず、4月から三度目の高校3年生を迎えなければならなかった。
 岡崎は遅刻常習犯で授業もしょっちゅうサボる不良だったが、3年生の始めに渚と出会い、親友・春原陽平を始めとする数名の仲間と共に演劇部を結成し活動していくうちに学生生活にやりがいを見出した。彼を更正させたのは、他でも無い渚だった。

 2007年から分割4クールにも渡り放送され、社会現象にもなった(※なっていません)TVアニメ『CLANNAD―クラナド―』の有名なシーンである。私は主人公の岡崎朋也とある意味似たような境遇になった事がある。それは一年前、まだ今の仕事に就く前の事だった。
私は前職も接客業だった。漫画喫茶が好きでその仕事に就いたはずだった。しかし配属された店舗は、漫画もフリードリンクサーバーも無い、ただのPC付きの個室を激安で貸すだけの店で、帰る家の無いオッサン達と、ラブホに行く金の無い貧乏カップルの相手をする毎日。モラルの低いお客様を大事にする気持ちを持てず、トラブルは何度も起きた。理不尽な事で上司に怒られた回数も数知れず。自分なりに努力しているつもりでも一切評価されず、たった一回の大きなミスで全て水の泡となり、給料が一気に4万下がった月もあった。何人もの後輩が私を追い越していった。彼等は上司の前でだけ良い所を見せているだけだった(※本当は真面目に頑張る人も何人もいました)。不器用な私にはそれが出来なかった。

 絶望に打ちひしがれ、辞める事を何度も考えていた私を救ったのは、同じ職場の27歳の女性マネージャーだった(※本当は違う職場です)。彼女は夜勤で長時間働いた後に起きたある事件を慌てず冷静に対処し、疲労と睡魔に襲われながらも私の前では笑顔を見せた。その時、本物の天使には羽が生えていない事を知った。
 それ以後、目つきの悪さを隠す為に伊達眼鏡をかけたり、眉の整え方やワックスの付け方を勉強したり、勇気を出して美容院を予約してみたり、とにかく自分を少しでも良く見せる事だけを考えるようになった。マネージャーに嫌われたくない、ただそれだけの想いを仕事へのモチベーションに変え、レゾンデートル(存在意義)を見出し、何とか前職を一年間続ける事が出来た。

 それは、渚との出会いによって不良を卒業できた岡崎と酷似しているような気がする。ただ私の場合、お客様の為ではなくマネージャーの為に仕事を頑張っていた事が人として最低だった。それに気付いた時は自分を責めたが、やがて考え方を改めた。学校も仕事も、努力して得られる“結果”こそが大事なのであり、その動機は何だって良い。勉強が嫌いでも、大切な人の前で恥をかかない為に授業を真面目に受ける。お客様を大事にする気持ちを持てなくても、大切な誰かの為に仕事を頑張れば結果的にそれはお客様の為にもなる。
 自分の為でもお金の為でもない、誰かのために働く事こそが仕事であると、私は思う。
 あなたの大切な人は誰ですか?

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Wはこの日、自分から積極的に動いてくれた。今までで一番頑張っていた。
そして、シフトの希望用紙に何も書かず、いつもは置いていくはずのチノパンと靴を持ち帰った。
茶髪の件を知った店長は激怒し、とうとうWを除名した。



7月第4週は、Wの「自己都合退職」と「解雇」の同時発生で幕を閉じた。



 無断欠勤少女に続き、また一人、仲間を失った。
僕はWを助けられなかった。何度もフォローをし、庇い続けてきたが、全てが水の泡。散々僕の心を掻き回しておいて、簡単に逃げていく。実は僕もWに嫌われていたのではないかと思ってしまう。楽しそうにしていたのは上辺だけで、笑っている顔も偽りだったのではないか。
今の僕の喪失感、空虚感、絶望感はとても言葉では言い表せない。本当は文章力なんて皆無に等しいのだから。
「怒る時は怒らなきゃ。後輩に嫌われないようにしている人は上に上がれないよ」
ある友人のアドバイス。確かにそうかもしれない。だが、嫌われる覚悟なんて今の僕には出来ない。人に嫌われる辛さを何度も経験しているから。



 Wの携帯電話の着信音は浜崎あゆみの『SEASONS』だった。発売当時彼女はまだ4歳。このセンスの高さはガチだと感じ、僕は3枚組のベストアルバムをレンタルし全曲をDAPに入れてしまった。少しでもWの事を、現役女子高生のリアルな気持ちを知りたかったから。


 今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても
 そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう



 この曲はもう、この世で一番聴きたくないし、聴きたいし、聴きたくないし……。


(Fin.)



※近日「番外編」を公開予定