自宅に一番近いコンビニで1リットルパックのジュースを購入し、ついでにSuicaをチャージしてもらう。店を出て、目の前の押しボタン式の横断歩道を渡り、左へ50m程進むとバス停が見えてくる。そこで少し待つとオレンジ色の大型二種の車体が現れ停車。前方の入口から入り、運賃箱の横の黒い部分にSuicaをタッチすると、残額から210円が差し引かれる。運転手の真後ろの座席に腰をかけ、20分ほど身体を揺らされる。終点のバスターミナルで下車し、橋を歩いて渡ると目の前にコンビニがある。今日の勤務地となるT店だ。
「僕君、T店の夜勤が人足りないからヘルプで行ってくれる?」
7月30日。アラフォー店長のその一言で、僕は1時間弱の出勤時間を要している配属店舗のK店を離れ、自宅から比較的近いT店の夜勤として勤務する事になった。今回で3回目だが、K店以上にモラルの低いお客様が多いのであまり気が進まなかった。偽造した保険証や、顔写真を差し替えカラーコピーした免許証を提示して煙草を買おうとする未成年のお客様が相次いでいるという、とても危険な店でもあるのだ。ただ、Wの件で傷心になっていた僕にとって、いつもと違う職場で違うスタッフと組むのは良い気分転換になるのではと思った。
夜勤は24時から翌6時までだが、僕は23時にはIN打刻をしていた。仕事の遅い僕にとって、それを1時間の早出で補う事はもはやデフォルトになっていた。既にセンター便が納品されており、まずはその品出しを手伝う。23時半には済ませ、ひたすら洗い物と清掃が続く家政婦地獄が幕を開ける。まずは揚げ物を揚げるフライヤーとその周辺器具から。レジの真向かいに水道があり、洗い物をしながらもお客様が来たらキッチンペーパーで素早く手を拭いてレジ対応する。
夜勤の面白みは皆無に等しい。眠気を堪えながら様々な器具にシャワーを浴びせ、洗剤を含ませたスポンジで身体を洗ってあげる、まさに“作業”である。
「はあ……今日も長くなるな」
そう思っていた矢先、時計の2本の針が共にてっぺんを向こうとした時だった。
「おはようございまーす」
まさかの女性だった。もう一人の夜勤者が姿を現したのだ。
「あら、夜勤の女の子が来たわね」
推定30代後半の準夜勤の女性スタッフ(喫煙者)がボソっと呟いた。“女の子”だと……? 彼女から見ても“女の子”なら当然若い、かといって法的に夜勤で雇えるのは18歳以上。ということは、
「JDキターーーーー(゜∀゜)ーーーーー!!」
僕は心の中でガッツポーズをした。今から6時間も女子大生と二人きり。テンションが上がってきた。つい最近まで一回りも歳の離れた女子高生スタッフの事で悩み続けていた僕にとって、少しでも歳の近い女性と仕事が出来るのはとても貴重だった。しかも、黒髪セミロングに眼鏡っ娘ではないか。今夜は“作業”ではなくブギーナイトになりそうだ。
「初めまして、夜勤スタッフの黒髪セミロング眼鏡っ娘です。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます」
丁寧な挨拶に加え、いきなり感謝された。異性にありがとうと言われたのはWにプーさんのボールペンをプレゼントした時以来である。女子高生に感謝されたいが為に、たかが仕事で使うボールペンを恋人にプレゼントするかの如くハンズやロフト、ディズニーやサンリオのオフィシャルショップにまで足を運び、いずれ裏切られるとも知らず必死に探し回っていたあの頃が懐かしい。
「すみません黒セミ眼鏡さん、勝手に洗い物始めちゃいました」
「イヤイヤ、ありがとうございます、とても助かります」
「もう常温便が来ちゃいましたけど、2人で品出しする感じですか?」
「イヤ、いつも私一人でやっていますよ。雑誌とカップ麺とウォークは一人でやります」
待て、ウォークインだと……?
説明しよう。ウォークインとは、冷蔵した状態のままペットボトル飲料やアルコール等を陳列できるガラス扉付きの什器の事で、その裏側に商品補充用の部屋があり、その部屋自体をも空調で冷やしているのだ。24時に納品される常温便にこのウォークインの飲料も何十ケースと含まれており、それらを全て品出しするには数時間単位もの時間を要する。納品量が倍増する夏場に加え、新商品が多数加わる月曜である今日は更に手間暇がかかり、その間ずっと5℃にも満たない補充部屋に居なければならない。
そのような無理ゲーを女の子にやらせて良いのか。僕は迷わず口を開いた。
「ウォークだけでも僕がやりましょうか?」
「イヤ大丈夫ですよ」
「だって寒いですよね? しかもマスク」
「大丈夫です(笑)」
結局KSM(黒髪~の略)に押し切られた。彼女の丁寧な態度と僕への気遣い、そして何よりも無理ゲーに果敢に挑む強い心は正に大人であり、これが女子力というヤツなのだろうか。
常温便(カップ麺とウォーク飲料)の検品を終えたKSMはカップ麺の品出しに入る。これも地味に面倒な作業である。賞味期限の早いものを先に売る“先入れ先出し”の原則があり、例えばAというカップ麺を品出しするなら、まず既に売り場にあるAを全てカゴ等に入れ、新たに納品されたAを奥に置き、カゴのAを手前に戻す。
それを見守りながらも僕は自分の作業を続けなければならない。フライヤーの次は中華まん什器の洗浄をし、新聞の返品作業も終了。早く出勤した事が功を奏し、時間に余裕が出来た。KSMの負担を少しでも減らす為、彼女がやる予定だった雑誌の品出しに取り掛かる。
これは僕にとって中ボス級の難易度を誇る。手順を書けば(1)返品リストにある雑誌を撤去、(2)空いたスペースに納品された雑誌を入れる、ただそれだけなのだが、(1)だけでは納品された大量の雑誌を全て入れる事は皆無に等しく、更に雑誌をたくさん撤去しなければならない。雑誌の裏表紙に小さく書かれた発売日をチェックし、1週間以上前なら容赦なく撤去。ファッション誌なら数日前でも撤去する事がある。コンビニの雑誌は本屋よりも販売期間が短いと思った事は無いだろうか。そのカラクリはここにあったのだ。どうしても欲しい雑誌は早めに購入しよう。お兄さんとの約束だよっ。
そして厄介な点がもう二つ。(3)品出しする雑誌に付録(ファッション誌のポーチ等)があればそれを一冊一冊に挟み込み、黄色いゴムバンドで縛らなければならない事と、(4)一部の雑誌は立ち読み防止の為に専用ビニール袋でコーティングしなければならない。これも時間をかける要因になっている。とりあえず挟んだり縛ったりコーティングする必要の無い雑魚の雑誌を先に品出しし、(3)も何とか終了。あとは中ボスの(4)である。しかし、ここまで順調だった僕に最初の試練が訪れる。
「無い……どこに置いていたっけ」
コーティング用のビニール袋が見当たらない。過去2回の勤務でやっていたのにも関わらず、場所を忘れてしまっていた。ふと視線を売り場に向けると、そこには未だに大量のカップ麺と格闘しているKSMの姿が。彼女に聞けば教えてくれるだろう。だがそれは彼女の作業を止める事になってしまう。だが、聞かないまま探し続けると今度は僕の貴重な時間が奪われる。どう考えても聞くしかない。イヤ待てよ。
(何だよ2~3回来ているんじゃなかったの? 忘れているんじゃねーよキモヲタが)
KSMにそう思われたらどうする。Wの件で負った僕の傷は更に深まるばかりではないか。レジ周りもバックヤードもそんなに広くはないのだ。落ち着いて探せばすぐに見つかるはず。さあ決めろ、聞くのか自力で探すのか、どっちだ?
(つづく)
「僕君、T店の夜勤が人足りないからヘルプで行ってくれる?」
7月30日。アラフォー店長のその一言で、僕は1時間弱の出勤時間を要している配属店舗のK店を離れ、自宅から比較的近いT店の夜勤として勤務する事になった。今回で3回目だが、K店以上にモラルの低いお客様が多いのであまり気が進まなかった。偽造した保険証や、顔写真を差し替えカラーコピーした免許証を提示して煙草を買おうとする未成年のお客様が相次いでいるという、とても危険な店でもあるのだ。ただ、Wの件で傷心になっていた僕にとって、いつもと違う職場で違うスタッフと組むのは良い気分転換になるのではと思った。
夜勤は24時から翌6時までだが、僕は23時にはIN打刻をしていた。仕事の遅い僕にとって、それを1時間の早出で補う事はもはやデフォルトになっていた。既にセンター便が納品されており、まずはその品出しを手伝う。23時半には済ませ、ひたすら洗い物と清掃が続く家政婦地獄が幕を開ける。まずは揚げ物を揚げるフライヤーとその周辺器具から。レジの真向かいに水道があり、洗い物をしながらもお客様が来たらキッチンペーパーで素早く手を拭いてレジ対応する。
夜勤の面白みは皆無に等しい。眠気を堪えながら様々な器具にシャワーを浴びせ、洗剤を含ませたスポンジで身体を洗ってあげる、まさに“作業”である。
「はあ……今日も長くなるな」
そう思っていた矢先、時計の2本の針が共にてっぺんを向こうとした時だった。
「おはようございまーす」
まさかの女性だった。もう一人の夜勤者が姿を現したのだ。
「あら、夜勤の女の子が来たわね」
推定30代後半の準夜勤の女性スタッフ(喫煙者)がボソっと呟いた。“女の子”だと……? 彼女から見ても“女の子”なら当然若い、かといって法的に夜勤で雇えるのは18歳以上。ということは、
「JDキターーーーー(゜∀゜)ーーーーー!!」
僕は心の中でガッツポーズをした。今から6時間も女子大生と二人きり。テンションが上がってきた。つい最近まで一回りも歳の離れた女子高生スタッフの事で悩み続けていた僕にとって、少しでも歳の近い女性と仕事が出来るのはとても貴重だった。しかも、黒髪セミロングに眼鏡っ娘ではないか。今夜は“作業”ではなくブギーナイトになりそうだ。
「初めまして、夜勤スタッフの黒髪セミロング眼鏡っ娘です。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます」
丁寧な挨拶に加え、いきなり感謝された。異性にありがとうと言われたのはWにプーさんのボールペンをプレゼントした時以来である。女子高生に感謝されたいが為に、たかが仕事で使うボールペンを恋人にプレゼントするかの如くハンズやロフト、ディズニーやサンリオのオフィシャルショップにまで足を運び、いずれ裏切られるとも知らず必死に探し回っていたあの頃が懐かしい。
「すみません黒セミ眼鏡さん、勝手に洗い物始めちゃいました」
「イヤイヤ、ありがとうございます、とても助かります」
「もう常温便が来ちゃいましたけど、2人で品出しする感じですか?」
「イヤ、いつも私一人でやっていますよ。雑誌とカップ麺とウォークは一人でやります」
待て、ウォークインだと……?
説明しよう。ウォークインとは、冷蔵した状態のままペットボトル飲料やアルコール等を陳列できるガラス扉付きの什器の事で、その裏側に商品補充用の部屋があり、その部屋自体をも空調で冷やしているのだ。24時に納品される常温便にこのウォークインの飲料も何十ケースと含まれており、それらを全て品出しするには数時間単位もの時間を要する。納品量が倍増する夏場に加え、新商品が多数加わる月曜である今日は更に手間暇がかかり、その間ずっと5℃にも満たない補充部屋に居なければならない。
そのような無理ゲーを女の子にやらせて良いのか。僕は迷わず口を開いた。
「ウォークだけでも僕がやりましょうか?」
「イヤ大丈夫ですよ」
「だって寒いですよね? しかもマスク」
「大丈夫です(笑)」
結局KSM(黒髪~の略)に押し切られた。彼女の丁寧な態度と僕への気遣い、そして何よりも無理ゲーに果敢に挑む強い心は正に大人であり、これが女子力というヤツなのだろうか。
常温便(カップ麺とウォーク飲料)の検品を終えたKSMはカップ麺の品出しに入る。これも地味に面倒な作業である。賞味期限の早いものを先に売る“先入れ先出し”の原則があり、例えばAというカップ麺を品出しするなら、まず既に売り場にあるAを全てカゴ等に入れ、新たに納品されたAを奥に置き、カゴのAを手前に戻す。
それを見守りながらも僕は自分の作業を続けなければならない。フライヤーの次は中華まん什器の洗浄をし、新聞の返品作業も終了。早く出勤した事が功を奏し、時間に余裕が出来た。KSMの負担を少しでも減らす為、彼女がやる予定だった雑誌の品出しに取り掛かる。
これは僕にとって中ボス級の難易度を誇る。手順を書けば(1)返品リストにある雑誌を撤去、(2)空いたスペースに納品された雑誌を入れる、ただそれだけなのだが、(1)だけでは納品された大量の雑誌を全て入れる事は皆無に等しく、更に雑誌をたくさん撤去しなければならない。雑誌の裏表紙に小さく書かれた発売日をチェックし、1週間以上前なら容赦なく撤去。ファッション誌なら数日前でも撤去する事がある。コンビニの雑誌は本屋よりも販売期間が短いと思った事は無いだろうか。そのカラクリはここにあったのだ。どうしても欲しい雑誌は早めに購入しよう。お兄さんとの約束だよっ。
そして厄介な点がもう二つ。(3)品出しする雑誌に付録(ファッション誌のポーチ等)があればそれを一冊一冊に挟み込み、黄色いゴムバンドで縛らなければならない事と、(4)一部の雑誌は立ち読み防止の為に専用ビニール袋でコーティングしなければならない。これも時間をかける要因になっている。とりあえず挟んだり縛ったりコーティングする必要の無い雑魚の雑誌を先に品出しし、(3)も何とか終了。あとは中ボスの(4)である。しかし、ここまで順調だった僕に最初の試練が訪れる。
「無い……どこに置いていたっけ」
コーティング用のビニール袋が見当たらない。過去2回の勤務でやっていたのにも関わらず、場所を忘れてしまっていた。ふと視線を売り場に向けると、そこには未だに大量のカップ麺と格闘しているKSMの姿が。彼女に聞けば教えてくれるだろう。だがそれは彼女の作業を止める事になってしまう。だが、聞かないまま探し続けると今度は僕の貴重な時間が奪われる。どう考えても聞くしかない。イヤ待てよ。
(何だよ2~3回来ているんじゃなかったの? 忘れているんじゃねーよキモヲタが)
KSMにそう思われたらどうする。Wの件で負った僕の傷は更に深まるばかりではないか。レジ周りもバックヤードもそんなに広くはないのだ。落ち着いて探せばすぐに見つかるはず。さあ決めろ、聞くのか自力で探すのか、どっちだ?
(つづく)