78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎薔薇色への架け橋(最終話)

2012-10-18 01:13:11 | ある少女の物語
「おはようございます。すみません待っているって聞いたんで」
 ついにKSMが姿を見せた。いよいよ作戦決行の時が来た。
「今日シフトインするとか言って来れなくてすみませんでした」
 僕は落ち着いて脳内の原稿を読み上げる。
「イヤ全然大丈夫ですよ(笑)」
 この時KSMは確かに笑っていた。
「それでですね……あ、仕事残っているなら先にどうぞ。終わるまで待っているんで」
 それは原稿には書かれていなかった。だが仕事を中断させてまでする話では無いと思い、とりあえず彼女を仕事に戻らせようとした。しかし、
「イヤ、あとちょっとなので大丈夫ですよ」
「あ、それなら、エーット、その……」
 アドリブの効かない僕はとうとう吃音の症状が出始めてしまった。
「じゃあすぐ終わるんで。あの……いきなり変な事聞くことになるかもしれませんけど、さ、最初は誤解するかもしれませんけど、と、とにかく最後まで落ち着いて聞いてもらえますか?」
 平常心を失い、原稿の台詞とは3割ほど異なる言葉を発していた。
「え、え、何ですか?」
「KSMさんって、彼氏とかそういうのいるんですか?」
 落ち着け。これはハードルの低いミッションだ。
「あー、居ないですよ」
 ベストな返答が来た。これで交渉はかなりしやすくなった。
「実は僕の友達で彼女居ないとか友達少ないとかで困っている人が何人か居るんですけど、もし良かったら今度その人たちと会ってみませんか?」
 今度は落ち着いて言えた。しかし、
「イヤいいですよ(笑)。私彼氏とか要らないんで」
 まさかの拒絶。しかも予想だにしない理由だった。そう来るとは思わなかった。だが理由など関係ない。拒絶された以上、せめてアドレス交換には持っていかなければならない。
「ああそうですか……後は僕個人の話になりますけど、T店の情報も色々知りたいですし、アドレス交換してもらえますか?」
 あくまでも仕事上の情報交換の為のアドレス交換。不自然ではなく、むしろ仕事をする上で普通の事なはずだった。
「イヤ私、この店の事ほとんど知りませんよ?」
 それすらも彼女は躊躇った。ここで身を引けば良かったものを、僕は更に暴走してしまう。
「あとは仕事の愚痴とか悩みとか色々話したいってのもあるんで」
「イヤイヤ、それは私なんかより部長に言ったほうが良いですよ(笑)」
「イヤそれは一番出来ないので……アドレスだけでも交換して貰えませんか?」
 何を血迷ったのか、僕はアドレス交換という言葉を二度も使い、より強調されてしまった。
「………」
「………」
 とうとうお互いが言葉を失った。そして、
「バタン」
 KSMは無言で出てしまった。僕は事務所に居ながら彼女の動きを防犯ビデオで追うと、Hと笑いながら何かを話す映像が確認された。


――もしかして、フラれた?――


 会話を振り返ると、友人を口実に僕自身がKSMに迫ったかのような交渉になっている事に気付いた。そんなつもりはハナから無かった。ただ僕はリア充の仲間入りをしたい、それだけのささやかな願いだった。
『どんなに嫌でもアドレス交換をその場で拒否る人は居ないでしょ』
 現実は、仕事目的でのアドレス交換すら断られるという1ナノも想定していなかった結果になった。



 数え切れないほどの僕への感謝と笑顔は何だったのか。あくまでも仕事上の感謝と上辺だけの笑顔、ただそれだけだったのか。結局彼女は僕を仕事仲間以上の存在だとは思っていなかった。イヤ、それで良かった。週2でKSMと笑い合いながら仕事をする、それだけの関係で僕は満足なはずだった。T店ヘルプが続いてさえいれば、ここまで傷心を負う事は無かったのだ。
 そして僕はKに負けた。僕がどんなにKSMの負担を減らす事を考えて仕事をしても、彼女と仲が良いのはそんな事を微塵も考えていないKのほうである現実。仕事とプライベートは全くの別物だったのだ。何故そんな簡単な事にも気付かなかったのか。



「違う! 同じ事何度も言わせんな」
 人に感謝される仕事をしていたT店ヘルプの日々が嘘のように、僕はK店で店長とマネージャーに怒られる日々に引き戻された。僕の配属はK店であり、これが当たり前なのだと割り切る事にした。

 人の心を散々掻き回しておいて、簡単に突き落とす。この仕事を始めてからもう何人目だろうか。当分の間、女性を信じる事は出来ないだろう。それでも非リアからリア充に転身する日を夢見て、今日も仕事をする。


(Fin.)


◎薔薇色への架け橋(第4話)

2012-10-18 01:10:40 | ある少女の物語
 もう迷いは無かった。それでも作戦だけは慎重に立てた。そもそも僕は現実的にKSMと真剣に付き合えるとは思っていないし、そんな大きな目標ではない。ただリア充の仲間入りをしたい、それだけのささやかな願いだった。そこで出会いに飢えている友人に相談をもちかけた。
「じゃあ俺を含めて彼女ほしい友達が何人か居るっていう体で」
 友人が名案を考えてくれた。まずはKSMに彼氏の有無を聞き、居ない場合は、
「実は僕の友達で彼女居ないとか友達少ないとかで困っている人が何人か居るんですけど、もし良かったら今度その人たちと会ってみませんか?」
 と交渉する。彼女のOKが出れば後はメールアドレスを交換し終了。後日僕が仲介役となってKSMと友人と3人で食事をし、晴れてリア充にジョブチェンジという策略である。
 もしKSMに彼氏が居るなら、仕事の悩みや愚痴を話したり店の情報交換をしたいという理由でせめてアドレス交換に持っていき、一旦身を引き作戦を練り直す。それだけでもリア充に一歩近付く。
「どんなに嫌でもアドレス交換をその場で拒否る人は居ないでしょ」
「だよねー」
 作戦の全容は決まった。それでも不安が消えなかった僕はワードで台詞の原稿を作成した。分岐A、分岐B、分岐A-1、分岐A-2、分岐B-1……アドリブに重度に弱い僕でも対処できるよう、分岐の多い精密な原稿が完成した。アドレス交換に必須な赤外線通信のリハーサルも行い、準備は整った。



 9月18日、ついに勝負の日を迎えた。朝の5時45分にも関わらず、僕は既にT店の最寄り駅に居た。通勤服のワイシャツとスラックスを身にまとい、ギャツビーフレグランスを頭、顔、首筋に腕までたっぷり塗りたくった。身だしなみの最低レベルはクリアしただろう。原稿を読み直し最終確認。緊張は臨界点を突破していた。イヤ、緊張する必要は無いはずだった。これは決してハードルの高い試練ではないのだ。愛の告白ではないし、二人きりで食事に誘う訳でも無い。KSMに友人を紹介する、ただそれだけの事なのだ。
『夜勤スタッフの黒髪セミロング眼鏡っ娘です。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます』
『今日は本当に助かりました。ありがとうございます』
『僕さんが一緒だと心強いです』
『イヤ、何でですか?(笑) 全然大丈夫ですよ』
『イヤイヤ、ありがとうございます、とても助かります』
 彼女は何度も僕に感謝し、笑顔を見せていた。加えて吹きガラスのコップ。ここまで成功の二文字が見えるミッションは僕の経験では前例が無い。
「よし、やってやるぜ」
 確固たる自身を持ち、僕は歩き始めた。一歩、また一歩とT店に近付く。



 不思議だった。入社してから5ヶ月ちょっとで、それまで僕は、何処にでも居る普通の非リアで。でも感じていた。今までの自分じゃ、普通の非リアじゃ無くなる瞬間を。



「おはようございます」
「アレ? 僕さん何で来たんですか?」
 6時5分、店内に居たのはKSMではなく女性マネージャーのHだった。KSMの勤務は6時までで、ちょうど退勤時を狙って鉢合わせる予定だった。
「K店に足りないPOPをいくつかコピーして貰いたくて来ました」
 だがこれも想定の範囲内。僕はHにT店に来た表向きの理由を説明した。
「何でこんな朝早くから?」
「このあとK店に発注しに行くんですよ」
「なるほど。それで通勤服ですか」
 辻褄合わせは完璧だった。そして、ヘルプに行けなくなった事を謝罪し、POPのコピーという事務的な処理を終えると時既に6時20分。KSMの鞄が置いてある事も確認できたが、未だ彼女は姿を現さない。
「もしかしてKSMさんはウォークインに居ますか?」
「そうですね。まだやって貰っていますね」
「ちょっとKSMさんにも挨拶したいので、事務所で待っていても良いですか?」
 まさか待機になるとは予想していなかった。僕と組んだ日にKSMがこの時間まで残業した事は無い。やはり僕が早出をしてまで彼女の作業を手伝っていた事に意味はあった、そう思いたかった。
 緊張が途絶えないまま、壁に貼られたシフト表に自然と目が移る。僕の名前が書かれるはずだった月曜夜勤と水曜夜勤の枠には、それぞれ部長とKの名前があった。翌週の表も同じだった。これで水・金と、Kは週2でKSMと一緒になる。もう僕の出る幕は本当に無くなった事に気付き、改めて悲しくなった。だが待ってろよK。すぐにお前と同じ状況になってやる。第二章に足を踏み入れてみせる。


(つづく)

◎薔薇色への架け橋(第3話)

2012-10-18 01:07:11 | ある少女の物語
 この世に存在する70億ものホモサピエンスは、ありとあらゆる方法で二つに大別される。男と女、大人と子供、サディストとマゾヒスト、平和主義者と軍国主義者、そしてリア充と非リア充だ。リア充とは三次元世界での生活が充実している人物を指し、それ以外の人物は非リア充となる。そして僕は非リア歴26年の26歳にも関わらず、リア充の軍団に紛れ込んでしまう事件が片手で数えられる程の回数は記憶に残っていた。
 そのうちの一回は2012年10月5日、新宿の某所で起きた。
「お土産は?」
「全部食べちゃいました、てへぺろ(・ω<)」
「太りますよ?」
「失礼ですねもう(笑)」
「ホラこいつ、こういう所がキモイんだよ」
「おいキモイって言うなよ(笑)」
 男女を意識せず、何でもかんでもしゃべり、周りは嘘でも笑って盛り上げ、多少失礼な発言も受ける側はネタとして受け止める。僕にはこういうものが無かった。九分九厘は黙り込み、聞き役として徹しているだけだった。イケメンでも無い男が乙女に対して「太りますよ」と発するなんて僕の中では冗談でも有り得なかったが、それすら許されるのが彼のキャラだった。これがリア充という名の薔薇色の世界。極度の人見知りで根暗の顔も気持ち悪い僕には永遠に縁の無い世界。そう思っていた。あの事件が起きるまでは。



<第二部:bridge>

「予定では来週の月曜にまたヘルプで来る予定なので、よろしくお願いします」
 2012年9月12日深夜、僕はKSMにお土産を渡すだけの為にT店に来ていた。
「おお、ちょうど良かった。今度言おうと思っていたんだけど」
 そこには部長も偶然居合わせていた。
「K店に新しく入った社員、エーット誰だっけ?」
「Iさんですか?」
「そうそう。彼女にK店を任せて、今後僕君には色んな店を回ってもらう事になると思うから。移動とか絡むとやっぱり体力的に男のほうが良いだろうし」
「ああ、それは全然良いですけど」
「とりあえず週の半分くらいはN店に行ってもらう事になると思う。あそこも今人が足りないんだよね」
 それを聞いた僕は内心でガッツポーズを決めた。既に週2でT店の夜勤が入っている現状に更にN店のヘルプも加わる。となると自店のK店に居る事はほとんど無くなるのではないか。上司に理不尽に怒られる回数も格段に減るだろう。入社して5ヶ月、ついに僕はパラダイスを手に入れた。ここまで耐えてきて本当に良かった。新入社員のIにも感謝しなければならない。彼女が居なければこうはならなかっただろう。
 そして、来週月曜にはまたT店ヘルプが控えている。KSMの期待を更に越えるには、今まで以上の仕事をしなければならない。前回2時間も早出してカップ麺の品出しまでやってしまったから、今度は4時間くらい早く出勤してウォークインの在庫の補充でもしちゃおうかな。KSMは更に驚き、飛び切りの笑顔も見せてくれるだろう。今から楽しみだ。その時僕は確かに幸せの頂点に居た。



 しかし3日後、散々持ち上げられた僕は、アラフォー店長とマネージャーの会話を盗み聞きし絶望の底へ転落する事になる。
「S店の店長が飛んじゃって、急遽明日からIさんを送り込む事になったの」
「大丈夫なの?」
「イヤ解らないけど、もう彼女しか人が居ないから。家も近いし」
「で、僕さんのT店ヘルプが無くなっているけど」
「もう無理でしょこの状況じゃ。私もN店に行かなきゃならなくなるし、T店まで構っていられないわよ。もし電話来たらテメエらで何とかしろって伝えといて」

 なんと、僕のT店へのヘルプ出勤が突然打ち切られた。あくまでも交通事故による自宅療養中のスタッフの代理であり、いずれは終わると腹を括っていたとはいえ、彼の復帰より前に違う理由で終わらざるを得なくなるとは、あまりにも理不尽すぎる。しかも、僕が週の半分は行く予定だったN店へのヘルプは交通費削減の為に自転車で通勤可能な店長が務める事になってしまった。来週から僕は元の週6自店勤務に戻る。話が違う。僕はパラダイスを手に入れたのでは無かったのか。幸運なのは店長とマネージャーの二重の魔の手から上手く逃れられたアラサースイーツIのほうではないか。何故5ヶ月も耐えてきた僕のほうが更なる不幸を背負わなければならないのか。元凶は突然辞職したS店の店長。今すぐ怒りをぶつけに行きたい、だが彼はもう僕の力では探し出せない。成す術はただの一つも無く、ただただ大人の事情に素直に従うのみだった。
『おーー、ありがとうございます(笑)』
 即座にKSMの笑顔が浮かんだ。その笑顔を見る事は二度と出来ない。この現状を納得できる人は居るのだろうか。少なくとも僕は違った。

――このまま、終わらせたくない――

 では、どうすれば良いのだ。

――第二章を始めちゃえば良いじゃない――

 何も仕事の付き合いのみに留める義務は無い。序章が仕事だとするなら、進むべき次のステージ、第二章は“プライベート”。早出をしてまでKSMの分の作業を代わりに行い、その分だけ感謝されてきた僕は、僕に出せる最大限の力で序章をコンプリートしたつもりだった。ならばこれを機に、彼女とプライベートの付き合いを始めてしまえば良いではないか。
『月・水が僕さんと一緒で、金曜だけK君と一緒ですね』
『ああ、あの2人(一人はK)とはプライベートで良く飲んだりしているんですよ』
 事実、あの時KSMと仲良く話していたKは一足先に第二章に突入している。
(何だよ……あんなに仲が良いなら付き合っちゃえば良いのに)
 イヤ、Kを妬むだけでは何も始まらない。僕にもKSMと仲良くなる資格はあるはずだ。偶然にも僕は秋田のお土産として3000円もの吹きガラスのコップをKSMにプレゼントし、既に親交を深める下地は出来ている。
 確かに僕はT店ヘルプが打ち切られ、絶望を味わった。だが、もしそれが僕の足を第二章へ踏み入れさせる為に神が仕組んだものだとするなら。リア充の仲間入りをするチャンスを与えてくれたものだとするなら。薔薇色の世界への橋を架けてくれたものだとするなら。

――渡るしかない――


(つづく)