長坂の駅を出発したバスは、遠く富士山を横目に見ながら走る。
信号の少ない、広々とした道に、街灯は見当たらない。
やがてバスは深い谷に向かってゆっくりと下りていき、なんてことのない小川を渡ると次はまた上っていく。
芸術村のホームページには長坂の駅から徒歩30分などと、しれっと書いてあるが、どう考えたって人が歩いて通る道ではない。
坂を上りきると、また横から富士山が顔を出して、フロントガラスの先には南アルプスの山々が先程よりも近く見えるような気がする。
周囲を見渡すと、ぽつりぽつりと民家のような建物と、あとは広大な田畑である。
畑の土はまだ乾いた色をしているが、気温もだいぶ高くなってきたので、農作業をする老夫婦の姿も見える。
雪を載せた急峻な山に抱かれつつも、一日中日のあたる平野がある。
日本の隠れ里とはちょっと違うけれど、なんとも平和そうな場所である。
しばらくすると、バスが停まって、「芸術村です」と運転手さんが教えてくれた。
運賃の支払い方は、レジによくおいてある受け皿的なものに硬貨を置いていく方式らしい。
両替機も、運賃箱もないから、受け皿に載っている小銭で両替をする。
実にアットホームな雰囲気だ。
バスを降りると、桜の木々に囲まれるように芸術村がある。
甲府では満開だった桜も、ここではまだ咲いていない。
ずいぶん標高差があるのだろう。
さて、清春芸術村。
周辺には大きな看板も案内も何もない。
ただ静かに片方だけ開いた門が、私たちを迎えてくれた。
中へ入ると無造作に、建築や彫刻が置かれている。
予備知識なしに訪れたら、ここがどういう場所なのかわからないだろう。
私ものちほど知ったのだが、画廊オーナーが廃校になった小学校跡地を買い取り、創作活動の場として開いたのだとのこと。
吉井画廊オーナー・吉井長三は白洲正子、東山魁夷ら文化人と共にこの地を訪れ、芸術村を作ることを決めたのだという。
設立は1981年のこと。
入り口の目の前にあるカルーセルみたいな建物は「ラ・リューシュ」というらしい。
パリ万博のパビリオンとして建てらたものその後集合アトリエとして利用されてきた有名建築を模したもので、オリジナルの設計はギュスターブ・エッフェルである。
この邦版ラ・リューシュも内部はアトリエとして生活できるようになっているというが残念ながら、内部に入ることはできない。
小学校の校庭と思われる芝生空間に、いくつもの建築がある。
互いに遠慮するように隅の方にあって微笑ましい。
どこからでも見えるのは、桜の木々と、南アルプスだ。
T氏のお目当て、「光の美術館」も静かに佇んでいる。
一目見れば、すぐに安藤建築とわかってしまう打ち放しコンクリート仕様である。
でも、箱のような小ささが可愛らしくて、いい。
外観の印象はかなり小さい。
機械室と言われれば信じてしまうほどで、どうにも美術館であるとは考えにくいが中に入るとオシャレである。
二階へ続く半吹き抜け空間と、スパッと切られて外光の取り込める天井がおもしろい。
天井の一部がガラスになっていることから、自然光が館内に射し込み、時間によって表情を変える。
だから光の美術館なのか、と納得する。
展示品はスペインの作家のものであるが、建築見たさに訪れる人もいそうな気がする。
光の美術館のある芝生から、階段を少し上ると、同じく打ち放しコンクリートの建築がある。
安藤さんの作品かな、と思ったのだが違うらしい。
谷口吉生のジョルジュ・ルオー記念館(礼拝堂)である。
ホームページによれば「20世紀最高の宗教画家」ジョルジュ・ルオーを記念した礼拝堂だという。
そこで20世紀の芸術に疎い私は、ぴんと来なくて申し訳なく思うわけだが、瞑想にふけることができそうな内部空間は印象的である。
コンクリートの優しくない感じが、静謐な空間を作り出している。
西洋の教会も石造りであるから、キリスト教的聖域はこんな雰囲気なのかもしれない。
それにしても、出入口の木造扉が板チョコみたいで可愛らしい。
建築全体と対照的である。
芸術村は芸術家たちの創作活動の場として設けられているので、関連性のないいくつかの建築が一度に会していて興味深い。
他に、油絵画家の梅原龍三郎のアトリエや藤森照信の茶室もある。
様々な建築が集う芸術村の中でも、中心施設となるのは清春白樺美術館であるという。
この芸術村を設立した吉井長三が、交流のあった武者小路実篤の遺志を継いで建設した美術館で、建築は谷口吉生。
平面的な建築だが、内部の展示空間には高低差を設けており、作品と共に楽しめる。
展示作品は白樺派の作家作品を中心に、ジョルジュ・ルオーや東山魁夷の作品も多い。
ひと通り見学して、外へ出た。
こんな辺鄙な場所に、なぜ美術館があるのか疑問を抱いていたが、都心にはなくて、ここにしかないものはたくさんありそうだ。
きっとそれは私がバスの車窓を見ながら思ったことと同じであろう。
芸術家たちにとってもこの地は桃源郷であったに違いない。