【金色の夢の日々がついえ、絶望えも滅ぼす力を失ったときに、
私は知った・・喜びという支えがなくとも、・・・
生をいつくしみ、力づけ、養えるのだということを】・・
あらゆる喜びを奪われても、人はなお生きていくことができるのだ。
そう思えば勇気も沸く【絶望さえも滅ぼす力を失ったとき】とは、
何という激しい表現だろう‥絶望のドン底に落ちても耐えられるというのだ。
【嵐が丘】を執筆したエミリ-プロンテは、イングランド北部の激しい風土に
囲まれ、閉鎖的で孤独な牧師館の中で、両親の死を見つめながら、ありあまる
感受性と想像力を持て余し苦しまなければならなかった・・
その苦しみの中から、この詩の強い叫びが生まれたのであろうか❔・・
人は、幸か不幸か、それほどの絶望は味わらずに一生を終える・・だが、
時として、思いがけない落とし穴がないとは限らない・・それは予測もできない
形でやってくるから、事前に備えているわけにはいかないが・・それでも、
人は生きていくことができるのだ・事態が変わるのを待つだけの余裕があれば、
たとえ世の中は平和であっても個人にとっては絶望はどこにも潜んでいる。
あえて喜びや楽しみを求めず迎え撃つ覚悟も、時には必要なのであろう。/span>