映画感想(ネタバレもあったり)

映画コラム/映画イラスト

映画『カルメン故郷に帰る』(1951) 金は受け取るクセに蔑視する存在

2020-12-03 | ネタバレあり
カルメン故郷に帰る(1951年製作の映画)
上映日:1951年03月21日 / 製作国:日本 / 上映時間:86分
ジャンル:ドラマ



国産長編カラー映画としては「初」

海外ではすでにカラー長編映画はあったし
日本でも短編カラー映画はあったようですが

国産長編カラー映画としては「初」とのこと。


松竹が社を挙げて取り組んだ企画でしょうよ。

なのに、、なんでこんな辛い話なの。。。

何か言いたいことがあったんでしょうね、木下惠介。
そしてその言いたいことをうま〜く隠したんでしょうね、木下惠介。


****


この映画の肝は「カラー」なんだから、主役はカルメンとマヤ。

彼女らが東京から持ち帰ってきた鮮やかな芸術・文化を
田舎者が迎え入れる、という導入ですわな。

この田舎者たちってのがまた容赦無く田舎者。。。
顔も服装も、カラー映画なのにモノクロみたいに地味。。
残酷なくらいに田舎者。


***


カルメンたちとは強烈な対比があって
この対比は結局はそのまま弱まらない。
融和はしないわけです。


カルメンたちは自分たちが芸術だと信じるものを曲げなかったし折れなかった。

田舎者たちは田舎者のまま、1mmも変わらなかった。


***


ただ田舎者たちはカルメンたちの恩恵だけは受けた。

丸十はカルメンたちによって金を稼げたからこそ
失明した田口先生にオルガンを返すことができた。

父は稼ぎを小学校に寄付して、教育が潤う。

校長は「この金で本当の芸術家を育てられる」と宣う。

カルメンたちの芸術を1秒も認めない(見てもいない)のに、ただ恩恵だけは受ける。


ほんとに木下惠介ったらぁ。







ラストネタバレは以下に。






で、ラスト。

田口先生は返ってきたオルガンで地味〜な歌を歌う。

運動会でも田口先生が歌うシーンがあったけど
そこでも観客が飽きてしまってる顔を映していく。

丸十も飽きて
丸十がマヤの手を握ったことで騒ぎになって
観客も歌よりもそっちの方が面白いって感じでキャーキャーと盛り上がる。

それに田口先生は落ち込む。
「この村の人たちは芸術を理解しない」

その田口先生の歌を再度、木下惠介はじ〜〜〜〜っくりと観客に聴かす。。

カルメンたちのシーンでは、明るい歌と踊りで観客を楽しませているのに。

地味〜な田口先生の歌と、地味〜な子供たちの地味〜な踊りをじ〜っくり映す。

「あなたたち、本当はどっちが好きなんですか?」と。

****

で、カルメンたちは東京へ帰る。

打って変わって明るいシーン。
華やかな色、歌、動き、表情。

田舎者は金以外何も受け取られなかった。
両者は全然融和しなかった。

もぉ!ほんとに!木下惠介ったらぁ!



映画『真夜中のパーティー』(The Boys in the Band)石投げられないし殺されないから差別はない? 1970年

2020-12-03 | ネタバレあり
2020年のリメイク版(https://blog.goo.ne.jp/fukuihiroshi/e/d7e15fa51c4094d5c782df216a8b5fd2)よりも、1970年版の方がいいかも。

真夜中のパーティーThe Boys in the Band
監督ウィリアム・フリードキン
脚本マート・クロウリー
原作マート・クロウリー
製作マート・クロウリー
公開1970年3月17日
上映時間118分
製作国アメリカ合衆国

やっぱ元の話が面白いんですね。

1968年に同名舞台があってヒットして
1970年に映画化。
2018年に新キャストで舞台が再演。
2020年に2018年のキャストで映画化。邦題は『ボーイズ・イン・ザ・バンド 』。

**

2020年版を先に見て
ラストはたぶん元のやつとは違うだろうと思いまして
確認の意味で1970年版観ました。

2020年の方がラストが長いですね。
ひとりひとりのその後が描かれてる。
1970年版はその前に終わる。

一応ラストのことなので、ネタバレは下の方に。


石投げられないし殺されないから差別はない?

あと1970年版ではピザの配達人がパーティーの様子(男たちがワーキャー騒いでる様子)を聞いて「うえ、こいつらオカマ??」っていうリアクションをする。
2020年版では、他にもストレート夫婦や家族などが部屋の様子を怪訝な表情で見る、というシーンが差し込まれます。
2020年版の方が、ストレートの圧力ってのをさりげなく繰り返していて、これは良い追加だと思います。
石投げられたり殺されたりしないところにも差別はある。
「石投げられないし殺されないからこの国には差別がないんだ」と思ってる人がほんとに多くいるということがここ数日でわかってしまったので、、この描写にはものすごく意味がある。

1970年版も2020年版もほとんど同じ。
セリフまで同じ。

もとの舞台のセリフや構成やキャラクターが面白いからってのもあるだろうけど
50年前のものをそのままやるってのは
かなりの意思があってのことでしょう。

推察するに
「50年経ってるけど、、そんなに変わってなくない?50年前のセリフ、刺さっちゃわない?」
ってことでしょうね。

ここ50年で進んだ進んだ変わった変わったと言われてきたし
そう思っていたけど、、、
50年前の話をしてそのまま2020年にやって、、
おんなじメッセージ発せちゃうなんて、、
変わってないことを証明しちゃってんじゃんね。。。。
**

1970年版の方がスリリングでスピード感があって面白かったですよ。


カメラワークも2020年版より舞台感が少ない。
舞台の映画化というよりは、ちゃんとワンシチュエーションの映画として観れました。
1970年版を観ちゃうと
2020年版はなんかほのぼのしてたんですよね。。

それは画面の明るさとかもあるだろうし
あとはキャストがスター過ぎたんでしょうね。。。

1970年版のキャストにも
ゲイを公表した俳優さんがいたようなのですが
当時失職する覚悟で臨んだ役なわけです。
その切実感、命懸け感が1970年版にはあったし
これはこの映画には必要な要素。

マイケルが悪魔化していく様子とか
アランか電話をかけるシーンとか
結構なサスペンス演出でかなりハラハラしました。
ハンクには泣かされるし。
**

ま、
後半の電話ゲームがずっと怖いとか
ラストに救いがないとか
の問題があるので
2020年版では調整があったのかと思います。




ラストネタバレは以下に










自分がゲイだと受け入れられずに苦しんでいるマイケルは
幸せそうにしてたり
安定してたり
自分を隠さずに生きてたりするゲイが憎い。
友達であっても憎い。
全員が不幸、もしくはクソであることを証明しないと生きた心地がしない。
なぜなら自分がコソコソ生きてる不幸なクソゲイだから。
からの電話ゲーム。
パーティーを地獄の雰囲気に陥れて、マイケルは自滅。
パーティーは解散。
マイケルに優しくしてもらうもそれさえもそんなに素直に受け入れられない。
マイケルのこじらせはかなりのもの。
で、真夜中のミサへ行く。
ハロルドから
「ミサヘ行こうが、カウンセラーを何人受けようがアンタは死ぬまでゲイだ」
とあれだけ残酷に告げられたのに。
それでもミサにすがるマイケル。
扉を閉めて家を出る。
おわり

**

2020年版では、
ここからそれぞれのその後がチラチラと描かれます。
そんなにそれぞれ救いがある描き方ではないけど、
マイケルに関してはかなり一歩進んだ感のある描き方に変えてますね。
あとはドナルド。
ほとんど活躍してなかったドナルドですが、2020年版のラスト、ソファで読んでる本に大きな意味があります。


相撲人(2018年製作の映画)Little Miss Sumo

2020-12-01 | 映画感想
Little Miss Sumo
製作国:アメリカイギリス / 上映時間:18分
ジャンル:ショートフィルム・短編

「私たちが活躍することで女子相撲が差別を受けることがなくなると信じてやっています」

「女子相撲を世界に広げることでジェンダーに対して戦ってくれる人も増えるんじゃなかと思ってます」

「女子相撲界もそろそろ動き出す頃かなって思ってます」

by 今 日和(こんひより)さん。



『お嬢さん乾杯!』と『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』の共通点!ネタバレあり

2020-12-01 | ネタバレあり
お嬢さん乾杯!(1949年製作の映画)
製作国:日本 / 上映時間:90分
ジャンル:ドラマ



このお嬢さん、怖い。。。

『寝ても覚めても』の朝子のような
『本気のしるし』の浮世のようなキャラですね。
自分という怪物に襲われて怪物になっちゃった人のよう。

ただこのお嬢さんの恐ろしさは、自分というものの無さ。。
空っぽ。
それは上流家庭で箱入り娘として育てられた上に
婚約者が死んで
さらに家が没落したことにより
金持ちと結婚することが自分の役割とされてしまったことによる、空っぽさ。

自分なんてものがあったら邪魔だし
そもそも自分を持とうなんていう教育を受けてこなかった人。

ピアノもバレエもできるし
英語もフランス語もできる上品な特大美女だが
金持ちと結婚することでしか役に立てないと思わされている。

**

お嬢様女優、原節子を使ってこんな怪物を描くなんて、、
もう!木下惠介ったら!


「金と結婚」の話。。。

結構入り組んだ格差カップルの恋愛模様というよりかは、「金と結婚」の話。。。
全然ロマンチックじゃないですよね。。

超絶美男美女だし、
当時からしたらオシャレで上品な衣装や文化を次から次へと見せていくし、
なんとなくロマンチックな雰囲気ある風だけど、
前述のとおり原節子はだいぶサイコパスだし、、
淡々と「金と結婚」の話を第三者みたいな空気で喋るのが面白い。

結婚話が進んでいくのに周りのテンションがどんどん下がっていく。

結婚が決まった時の祖母と母の会話が面白い。

祖母「あの子は不幸せな子ですよ」
母「これからは幸せになりますわ」
祖母「そうでしょうか…」

恋愛映画なのに
「結婚=ハッピーエンド」じゃないことを示唆しちゃってる。
もう!木下惠介ったら!


そして、すごいラスト。

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を思い出しました。。。
ラストネタバレは以下に。

※『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のラストにも触れますので、ご注意を。







ネタバレ

1949年。

戦後の焼け野原から復興した東京の街並みが眩しい。
自動車工場に勤める34歳の男やもめと
金持ちの家の26歳の美しいお嬢さん。

上流家庭だったが
戦後に父が騙されて詐欺に加担させられ逮捕されてしまう。
そこから家は没落。

自動車もピアノも売り、もう売れるものは何もない。
よく見ると家具もボロくなっている。
家も抵当に入っている。

お嬢さんには婚約者もいたが破談に。

そこで、商売が上手くいってる圭三にお嬢さんとの見合い話が生まれ、
圭三は美しく上品なお嬢さんの惹かれる。

圭三はお嬢さんの誕生日にピアノをプレゼントをする。
圭三は良いところ見せようしたのだが
お嬢さんとその家族は微妙な表情。

人に恵んでもらったことなどない一家は
そのピアノを見て
自分たちが没落したことを改めて思い知らされてしまう。


**


父「金のために結婚するなんてことはあってはならない。お前は本当にその人に愛情が持てるのか」

お嬢さん「私一人ならお金がなくても、働いてもいいですし、でも、祖母や母に貧乏をさせるわけには……」

圭三「世の中金だ!金がなければ何もできない。」


**

圭三「あなたは僕を愛していない!こんな結婚じゃあなたが不幸になる」

お嬢さん「あなたのようにお金があって親切な人と結婚できる私が不幸なわけありません。世の中お金だって言ったのはあなたです」


**


お嬢さんは元の婚約者が死んだことで自分の中に愛情(感情)が消えてしまったことを
圭三に告白する。

お嬢さん「私がお金に執着してしまうのは、家のせいであって私の心とは全く関係ないことでございます」

圭三「僕はあなたに愛されたいんだ!」

話が噛み合わないまま、圭三はお嬢さんを家まで送る。

映画のプロマイドのような形式ばった笑顔で振り向くお嬢さん。

意を決して圭三に近寄り、キスするかと思いきや、圭三の手袋にキスして、家の中に走り込み、大胆に転ぶ。

**

お嬢さん、刑務所の父に報告。

「結婚することにしました。あの方と結婚すれば家の抵当も片付きますし、私もあの方を好きになってきました。」

どういう流れかわかんないけど二人は結婚することに。

祖母「あの子は不幸せな子ですよ」

母「これからは幸せになりますわ」

祖母「そうでしょうか…」

圭三「泰子さん(お嬢さん)はそんなに寂しそうですか…」

祖母「昔は良かったですね。私は涙が出ますよ」

圭三は打ちひしがれて退室。
「もうダメだ…」

圭三は帰宅。
吾郎に自分の車をプレゼント。
圭三は吾郎の結婚を反対していたが、急に応援することにする。
吾郎「わ〜い!」
二人は抱き合う。
圭三「幸せになるんだぞ!」

**

圭三はお嬢さんに手紙を送る。

借金は肩代わりにする。
でも結婚はナシにする旨が書かれてる。

お嬢さんは圭三との思い出をフラッシュバックし、涙する。

**

圭三は10日ほど田舎(高知)に帰ることを決める。
用意していた婚約指輪を見つめて、なぜか舌舐めずり。。

圭三、駅へ向かう。

お嬢さん、圭三を探しに圭三の行きつけの飲み屋を訪れる。
しかし圭三はいない。

女将「圭三さんはあんたに振られて田舎に帰るって!」
お嬢さん「わたくし、あの方を愛していますわ」
女将「愛してますわなんてお上品な言葉じゃ惚れてることは伝わらないよ」
お嬢さん「惚れてます」


お嬢さん、吾郎の車に乗って圭三のいる駅へ向かう。

車が大通りを走る後ろ姿。


おわり


**


これが『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』だったならば
ここで
編集部のシーンに変わって

編集長「え?2人は再会してキスして終わりじゃないの?」

っつって

著者「は?要ります?そんなシーン。」

編集長「いるだろ、観客はそれを望んでるんだよ。美男美女が立ちはだかる壁を乗り越えて最終的に結ばれる。観客はそうなることを知っててもそれが観たいんだよ」

著者「そのラストにするなら私の条件を飲んでください」

編集長「わかったよ。君の条件を飲もう!」

で、さっきのシーンに戻る。

お嬢さん、駅に到着。

今まさに列車に乗り込もうとする圭三がお嬢さんに気づく。

しかし、圭三はそのまま乗り込む。

え、どゆこと?とパニックになるお嬢さん。

列車はゆっくり走り出す。

圭三の横顔。

まっすぐ前を見てお嬢さんの方を見ない。

お嬢さん、ハイヒールを脱ぎ、裸足で列車を追う。

窓を叩きながら

「あなたに惚れてます!」と叫ぶ。

圭三、ハッとして席を立ち、扉をこじ開け、ホームに飛び降りる。

抱き合う2人。

キス。

おわり

編集部のシーン。

著者「これでいいですか?」

編集長「もちろんだ」

著者「条件、聞いてもらいますからね」

編集長「まったくしたたかなヤツだ!ハハハ!」



おわり


**


『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』だったら
「男女が出会って結ばれました!あー良かったね!ってラスト、もうよくね?」
っていうのを
こんなにもわかりやすく表現してたけど、
『お嬢さん乾杯!』では
サッと終わっちゃうことでのみ表現したわけね。
ま、たぶん全然意図は伝わらなかっただろうけど、
な〜んとなく観客はモヤッとしつつも
男女がキスして終わるという閉じられたラストではない
開かれたラストに、自由さを感じたかも知れないですね。

映画『ホモ・サピエンスの涙』地球を担当することになった神様が 最初に見せられるオリエンテーションビデオみたいな

2020-12-01 | 映画感想


ホモ・サピエンスの涙(2019年製作の映画)
Om det oändliga/About Endlessness上映日:2020年11月20日 / 製作国:スウェーデンドイツノルウェー / 上映時間:76分
ジャンル:ドラマ


これは圧倒されますね。

正直に言うと眠かった。。
とくに最初の15分くらいは死ぬかと思うくらい眠かった。


初ロイ・アンダーソンだったので。。



全部で33のシーンが羅列されていくんですが
そのほとんどに脈絡がない。

突然全然知らない人が全然知らないシチュエーションにいるのを
淡々と見せられるのです。

その全てのシーンがワンシーンワンカットの緊張感。

そして、完璧な美術、構図、色彩、演技。

完っっっっ璧なシーンがほんとに淡々と並ぶ。

地獄なのか天国なのかわからない。。




なんか、
地球を担当することになった神様が
最初に見せられるオリエンテーションビデオみたいな感じ。


「この星を支配してるホモ・サピエンスってのはだいたいこう言う感じなんだなぁって掴んでもらえればいいんで」
って言いながら見せられてるビデオみたい。



究極のスライス・オブ・ライフですね。

英語で「生活の一片」「日常の何気ない一幕」といった意味で用いられる表現。物語の性質やジャンルについて「スライスオブライフ」と形容する場合、これは人生における一大事や非日常的な特殊な出来事ではなく、むしろ、毎日の平々凡々とした暮らしを描いたような作品を指す。マンガやアニメにおける、いわゆる「日常系」は、スライスオブライフとも表現し得る。(weblioより引用)


「スパークリングワインが好きな女性」のスパークリングワインが好きなだけのシーンとか、、、ほんとなんっっにもないのにただ美しいってのが、もう恐怖。。。


ほのぼのしてたり、
甘酸っぱい青春のシーンもくるんですが、、
唐突に
人間が考えられる最悪のシチュエーションに置かれた人物のシーンとかも入ってきて、、
人間ってのはこうだよな
人生ってのはこうだよな
と思わされる。


**


一人を除いて名もなき一般人だと思うんですが、
その超有名な人物ってのは近代史上最悪最狂のアイツ。





時間は短いけどサタンタンゴを観た時のような疲労。。


これは映画館じゃないと無理ですね。。
金払って閉じ込められないと、、寝ちゃう。。