映画感想(ネタバレもあったり)

映画コラム/映画イラスト

ドキュメンタリー映画『I Am Here-私たちはともに生きている-』国際トランスジェンダー認知の日、無料配信 

2022-03-31 | 映画感想
I Am Here-私たちはともに生きている-(2020年製作の映画)
製作国:日本
監督 浅沼智也
出演者 浅沼智也

<無料配信期間>
3/30(水)0:00〜3/31(木)23:59

https://iamhere-trans.jp/(上映時間 60分)


明日の0時ギリギリまで無料配信で観ることができますね。
3月31日は国際トランスジェンダー認知の日なのですね。




****

「性同一性障害」と名付けられてテレビドラマなどで認知が広まり、
「障害なんだ、かわいそうだね」「性別間違っちゃったんだ、大変だね」
という障害=かわいそうみたいなことで一見理解も広まり、
法整備も進むかと思いきや、
やはり旧来の「女性らしら」「男らしさ」や「家族の在り方」などの社会のイメージに阻まれて
法的にも社会風土的にもトランスの方々が社会で生きる大変さはキープされたままの状態。
その性別らしい体になるための手術をしなきゃいけなかったり
と性別変更の要件はハードルが高い。
体にメスを入れないと戸籍変更が認められないのは、身体的、精神的な負荷が大きすぎる」

****


問題提起して改善を求めるために
親へのカミングアウトや就職活動、働くこと、手術、ホルモン治療、結婚などトランスジェンダーが生きづらさを感じる場面が並べられています。
それを見るのがキツいという若い当事者さんもいると思うんですが、
最後まで見ていただくと今元気に前向きに生活してる先輩たちの姿を見ることもできるし
「不安なんです」とただ自分の気持ちを吐き出せる場所もありますし
「具体的にこういうことが知りたいです」と回答を求めることができる場所にもアクセスできますので
ぜひこの機会に見てみてはいかがでしょうか。

短編コメディ映画『幸運なマーク』壊された壁の向こうの世界は 

2022-03-31 | 映画感想
幸運なマーク Good Luck MarcRonen Eldar/13:28/イギリス/コメディ/2016アパートの部屋を勝ち取ったマークは、住み始めてからしばらくして、部屋が少しずつ小さくなって追い出されそうになっていることに気づく。頑なに居座ろうとする彼だったが、やがて迫る壁の外に待ち受ける何かと向き合うことになる。

監督がvimeoにアップしてるので
観て良いと思いますよ。
字幕ないけど英語わかんなくてもまぁわかります。


最後まで観てオチがわかると
イントロのかけっこの必死さが笑っちゃうんですが、
始めてみるとぜんぜん意味わからない。。

****

徒競走に勝ったことで、幸運にもある建物の一室で暮らし始めるマーク。
そこは快適で定期的に食べ物も出てくるし部屋の向こうからは音楽や声が聞こえてきたりする。
しかしある時マーク異変に気づく。
部屋が日に日に狭くなっていく。
手が届かなかった天井が椅子に座っても頭に当たるくらい狭くなり
ついに体育座りしないとシャワー浴びられないくらいに。
狭い箱に閉じ込められたような状態にまで追い詰められたマークは。。
という話。

****

ホラーやミステリー調にしてしまいそうなところを
妙なほのぼの感があって力の抜けた感じが魅力的な短編。
そのほのぼのがテーマと合致してるし。

Ronan Elder監督。
オフビートなコメディとか撮ってくれたら楽しそう。

書籍『コーダの世界―手話の文化と声の文化』を読みました。

2022-03-29 | 映画感想


コーダとは、聞こえない親をもつ子どもたち。「ろう文化」と「聴文化」のハイブリッドである彼らの日常は、驚きに満ちている。親が振り向いてから泣く赤ちゃん? 目をじっと見すぎて誤解されてしまう若い女性?――コーダの日常を生き生きと描き“異文化交流”の核心に迫る、刮目のコミュニケーション論!

 

コーダを手話通訳士として使うのは聴者


映画『コーダ あいのうた』ではろうの両親がコーダである娘を手話通訳者として頼ることでコーダが疲弊する、というシーンが強調されていました。

この本を読んだり、YOUTUBEやSNSでのコーダを持つろうの親御さんの言葉を聞くと、
「子供を手話通訳士として育てたいわけじゃない。プレッシャーを与えたくない」と考えている方が多いよう。
それでも実際のところコーダが手話通訳士として活躍する場面は多くなってしまうと予想しますが、それは決して親が望んだ状況とは言えないということですね。

むしろ聴者の方がコーダを便利な手話通訳士として使う場面の方が多い、と。
確かに言われてみれば容易に想像できます。
聾者との会話は、筆談もできるしゆっくり噛み砕いて説明すれば通じるし、手話通訳士を呼ぶなどの制度もあるんだけど、
その場に手話ができるコーダがいるときに「ちょっと訳してよ」とコーダを使ってしまう。
聴者は「その方が早いから」「めんどくさくないから」とコーダを手話通訳士として気軽に使ってしまう。
確かにそういう場面は多そう。自分はそうしないように気をつけないとなと思いました。


CODA」という言葉は『コーダ あいのうた』で初めて知りました

東京国際ろう映画祭 に行ったこともあるし今年は配信で少しだけど見たし、国内外問わず〝ろう映画〟を見てきてるつもりだったんだけど、「CODA」という言葉は『コーダ あいのうた』で初めて知りました。

CODA = Children of Deaf Adult/s の頭文字。きこえない・きこえにくい親をもつきこえる子どものことを指す。両親ともきこえなくても、どちらか一方の親だけがきこえなくても、また親がろう者でも難聴者でも、きこえる子どもはコーダとされる。




さまざまなコーダ。コーダの共通点。

コーダと言ってもさまざまで、手話が苦手なコーダもいるし、手話が第一言語で手話が十分に使えるコーダもいるとのこと。

コーダが大人になって親と離れて暮らすようになるとろう文化から離れる人もいるし、ろう文化と共に暮らす人もいる。

本当にさまざまだけど、やはりコーダ同士が集まるとコーダには共通点があると自覚することが多いらしいです。

きこえない親との意思の疎通の難しさや、手話通訳士としての役割の重さや、親が社会から弱者扱いされることに傷ついたり、ろう文化と聴者の文化の違和から起きる摩擦に苦しんだり。

負の側面ばかりではなく、デフボイスと呼ばれるろう者独特の発声(自分の声が聞こえないろう者の発声)に懐かしい愛しさを感じたり、手話でのコミュニケーションに心を落ち着かせたり。

コーダはこうだ(ごめんなさい)と決めつけられないけど、それでも似た環境で育った人たち共通の感覚が、
この「コーダの世界 手話の文化と声の文化」で多くのろう者のインタビューや調査から紹介されています。



そもそも、ろう文化

コーダはろう文化と聴者の文化の間にいる、とのことなんだけど、そもそもろう文化というものを僕は知らない。。

この本にはもちろんその辺りにもページを割かれていますので、なるほど!そうなのか!とびっくりしながらろう文化を知ることができます。

ろうの若者がカラオケでチャゲアスを熱唱するシーンとか、「マジか!」とびっくりして一回本を閉じました。

ろう者の生活はきっとこうだろう、こういうことに困るだろう、こうして欲しいのだろう、これは楽しめないのだろう、というだろう運転みたいな勝手な推測はことごとく破壊されていきました。

自分の思い込みが壊されていくことは痛快です。

その衝撃が多すぎてなかなかページが進まないくらいでした。。
「あ…そうなんだ…」っつって本を閉じてその部分を頭の中で反芻しつつ読むので、何日もかかりました。



画『コーダ あいのうた』から

この映画がコーダやろう文化に今よりももっと光を当てる機会になることは間違いありません。

映像作品の中での手話の扱いや、ろう役を聴者の俳優が演じることの問題も残っておりますので、
マイノリティを「美味しいコンテンツ」として消費するだけでは終わらないように、今後もより誠実なコンテンツ作りがなされることを願っています。




どう考えてもコメディなのだが?しかも最良のコメディ! 映画『まともじゃないのは君も一緒』

2022-03-29 | 映画感想

まともじゃないのは君も一緒(2020年製作の映画)
上映日:2021年03月19日製作国:日本上映時間:98分
監督 前田弘二
脚本 高田亮
主題歌/挿入歌 THE CHARM PARK
出演者 成田凌 清原果耶 泉里香小泉孝太郎




おーもーしーろーいー。
良い映画。


**


割と初めの方で
「女性を攻略ゲームのように扱うことはクソなことである」とちゃんと示してくれていたので安心して見れました。

店内ナンパされた女性2人が
〝ナンパに引っかかるような程度の低い女〟っていうキャラを押し付けられてるのではなく、
ちゃんと意志を持った人物だったので、
ちゃんと複数の視点がある映画なんだなと思って、信頼して観続けました。


**


脚本は高田亮。
『さよなら渓谷』、『そこのみにて光輝く』、WOWOWの方の『グーグーだって猫である』。

さすが。
ビフォアトリロジーくらい歩いて喋りまくるし、
連ドラのように偶然出会う。

リアリティなんてものは無視しためちゃくちゃ上質なコメディですよ。

(成田凌は〝この映画はコメディじゃない〟と言ってるようですが。。なぜ??)

トム・ハンクスとメグ・ライアンがやっててもおかしくないくらい王道のラブコメ。


**


キャラクターも全員おかしいしセリフもおかしいし展開もおかしい。

それを映画として成立させる演出や演技の素晴らしさよ。

成田凌がラスト近くで演説するけど、そのときの劇伴がゴンチチみたいなほのぼのした音楽。
変に盛り上げたり感動させたりしない。
ちゃんと視点が映画の外にあるのがわかる音楽。


良いコメディ!


ドキュメンタリー映画『オーディブル: 鼓動を響かせて』ろう学校の最強アメフト部 

2022-03-29 | 映画感想

オーディブル: 鼓動を響かせて(2021年製作の映画)
Audible 製作国:アメリカ上映時間:39分
ジャンル:ドキュメンタリー スポーツショートフィルム・短編
監督 マシュー・オゲンズ



『CODA あいのうた』でDeafを「聾唖者」と字幕つけていた問題もありましたが、この映画の字幕も。。。


聞こえる人のことを「健聴者」と字幕がついてます。
聞こえることが健やかで聞こえない人は健やかじゃないというイメージが広がり続けてしまう言葉なので、
「聴者」や「聞こえる人」が良いのでは。

ネットフリックスの場合、
アカウント→ プロフィールとペアレンタルコントロール→視聴履歴→表示→作品名の右横の「問題を報告」から字幕修正依頼ができるとのこと。

でもウェブブラウザからしかできないっぽい。
テレビやスマホではなくて、パソコンからしかできないのね。。


**


「メリーランド州にアメフトの強豪校がある。
メリーランドろう学校だ。」

聴者のチームを相手に42連勝中!

「応援の声もファンの歓声も聞こえない。でも振動は感じる。」

「人工内耳を埋め込んでいるが音楽を聴くときしか使わない。歌詞は聞こえないけど、集中できるんだ。」

リアリーディングもろうの学生たち。
バスドラムのマレットが指揮のような役割になっているのかも。
「ドラムは欠かせない。振動が最高だ。」


**


ろう学校の中ではほんとみんな楽しそうにしているし
セクシャリティについてオープンにしててもはや特に語られもしないという伸びやかな空間。

しかし、一般の学校や外の世界に出るととたんにひどい差別やいじめに遭ってしまう。

そして悲劇が起こり、周囲はその痛みと共に人生を歩んでいく。


**


短編ドキュメンタリーって情報量がちょうど良い気がします。

長編ドキュメンタリーだとだいたい情報多すぎて
「覚えられない!漏れる漏れる!」って焦ることも多いので。。


映画『ロスト・ドーター』ネタバレあり また素晴らしい女性監督爆誕っ! 

2022-03-16 | 映画イラスト
ロスト・ドーター(2021年製作の映画)E STATA LA MANO DI DIO/The Lost Daughter
監督 マギー・ギレンホール
脚本 マギー・ギレンホール
出演者 オリヴィア・コールマン ジェシー・バックリー ダコタ・ジョンソン エド・ハリス ピーター・サースガード


目次

  1. 四コマ映画『ロスト・ドーター』  
  2. また素晴らしい女性監督爆誕っ!
  3. 面白いっっ!!大好きっ。
  4. 言わないことでのミステリー。だって言えないんだもん。
  5. 三人の女優たちの素晴らしい演技アンサンブル(演技バトルではない)
  6. 男性がよく出てくる映画(なのに…)
  7. ネタバレは以下に。




やっとレダは「私は…」と言えたんですね。






****

また素晴らしい女性監督爆誕っ!


『クレイジー・ハート』(2009)でアカデミー助演女優賞候補になっている女優のマギー・ギレンホール。

『ダークナイト』(2008)でのレイチェル役が一番有名でしょうか。

弟がジェイク・ギレンホールで、夫はピーター・サースガード。
女優としてもオピニオンリーダーとしても素敵な存在感を放つ彼女の初監督・初脚本作品がこの『ロスト・ドーター』!

素晴らしい女性監督がまた映画界に降臨してきましたよ。ありがとう!

**


面白いっっ!!大好きっ。

映画やドラマに出てくる子供たちって
基本的には聞き分けがいいし
大人たちの邪魔になる時は「部屋で遊んできなさい」と言われたら
スッと部屋に消えていく。

作劇的に「子育てって大変」ってのを表したいときだけ泣き喚いたりワガママ言ったりするけど
そのパートが終わると、素晴らしく聞き分けの良い子供に戻る。

僕は子育てしたこともこの先の予定もないので予想でしかないですが、
子供ってこんなんじゃないだろうなと思いながら上記のようなものを見ていました。

**

今作の子供たちは大変。。。。エンドレスに水かけてきたりする。。。
どうやって撮影したんだろ。。
母親役の女優さんたちはめっちゃくちゃ嫌がってるのに、あの子たちは絶対やめないしどんどん悲しくなっていく。

女優さんたちと良い関係が築けているからこそだろうし
撮影前後にメンタルケアが行われてるんだと思いますけど。
なかなかスリリングなシーンの連続でした。。

でもあれがきっと日常なんですよね。。


**

言わないことでのミステリー。だって言えないんだもん。

主人公レダがどういう過去を持った人物なのかが執拗に〝語られない〟。
彼女の回想シーンでじわじわと語られるんだけど、なかなか核心に近づかない。

彼女のラストのセリフでやっっっと彼女の姿が見える。

それが言えた彼女自身も傷を負いつつも(ホントの傷も…)ちょっとスッキリしたような空気。

もっと早く誰かに言えて、
分担できるような仕組みや雰囲気があったならば。

**

〝なかなか語られない〟ってのがサスペンス性に繋がっているんだけど
それは映画としての楽しみだけのためではない。

言えないんですよね。
女性は。
彼女のラストのセリフを。

女性ならば母親ならばそもそも備わっているとされている圧力が凄すぎて、表に出せない。
めちゃくちゃ非難されたり冷たい目で見られるから。

レダが自分についてさくっと語れたのならこの映画は15分で終わってる。
でも言えないから。言わせてもらえないから。2時間たっぷりやる。

映画のテーマと映画の語り方が合致している上に、サスペンス映画としても上級。
最高。


**


三人の女優たちの素晴らしい演技アンサンブル(演技バトルではない)

「正座して観るべき?」って思うくらいの
オリビア・コールマン、ジェシー・バックリー、ダコタ・ジョンソンら演技激ウマ人間たちの素晴らしいアクト。

オリビア・コールマンとジェシー・バックリーが激素晴らしいのは知っていたけど
ダコタ・ジョンソンがここまで地獄のように素晴らしい演技をする人だとは思ってませんでした。

**


男性がよく出てくる映画(なのに…)


「女性脚本、女性監督ならでは」という言葉もなかなか使うのに覚悟が必要ですが、
女性脚本、女性監督作に多く見られる良い特徴は、多様な女性キャラが出てくること。

女性キャラが母か娼婦の2パターンしかない映画も多くある中、さまざまな女性キャラクターが活躍するのが女性が作った映画に期待できる点だし、実際それが結実している映画は多い。

ただ今回は出てくる人物が少ないし、
オリヴィア・コールマンとジェシー・バックリーはレダという一人の人物だし、
ダコタ・ジョンソンもレダが過去の自分を投影して半分くらいは自分として見ている人物。(つまり女優は3人いるけど、実際は1.5人くらい)

で、
今作では男性キャラの方が人数多いし、キャラクターが豊かでしたね。
ここがほんとさすが。マギー・ギレンホール監督!

女性たちが主役の映画の場合、逆に男たちの存在感が異様になかったり男たちを薄く描くことで、
「男からの抑圧や解放」を表したりするんですが、
この映画の場合は男の方が人数が多いしキャラの描き込みが多い。

つまり男そのものが薄っぺらかったりいなくていいものなわけではない。
男は存在している。ちゃんと一人一人キャラクターがある。

なのに、それなのに、子育ての現場にはことごとく男はいない!
男は画面に何回も映ってくるのに、子育てで死ぬ思いをしているのは女性ばかり。

っていうことの表現なのでしょうね。


***


ネタバレは以下に。









断片的に入ってくる過去の映像(幼い娘と自分)が不穏でしたね。。。
結局この二人の娘はどうなってしまったのか、それがずっと気になるし怖い。。
レダが娘のどちらか(もしくは両方を)死なせてしまったのかと悪い想像をしながら見てましたが。
母親業から降りたレダは男に走って家を出てしまったんですね。
戻ったのは数年後。
その罪の話でした。
「私、母性がないの」とレダが言えていればこの映画はもっと早く終わっていた。
でも、母親が「母性がない」なんて言えないよね。
悪者や欠陥扱いされそうだし、〝逃げ〟だと思われそう。
女性ってだけで「子ども好きじゃない」って言いにくいだろうに(男はすんなり言える)、実際に出産した母親がまさか「母性がない」なんて言えないし、言ったところで誰も温かく対応なんてしてくれない。
だから言えなかった。
だから、この映画は結果的にミステリーになった。
「言えない」っていう問題自体がこの映画の仕組みになっているわけだから、こりゃもう素晴らしいミステリーでしょうよ!
***
母親なら母性が湧いて当然。女性なら子供が好きで当然。

「母親は…」「女性は…」と言われ続けていた(おそらく自分も自分に問うてきた)けど、
やっとレダは「私は…」と言えたんですね。

***

導入。
ニーナに腹を刺されたレダ。
左腹部の白い服が血で滲んでいる。波打ち際で倒れる。

そして時間が数日戻り、レダが腹から血を流し倒れるまでの流れが語られる。

ラスト。
レダはニーナに人形を返す。「私が盗んだの。」
ニーナ「どうしてこんなことを?その人形がなくてみんな苦しんだのに」
レダ「私、母性がないの」
ニーナ「最低」
レダ「謝るわ」
ニーナ「あなたは病気よ!」とレダは(帽子を髪に留める)ピンでレダの腹を刺す。
ピンと言っても10センチくらいの長さはありそうなので、腸とか胃とかに届いているとしたらなかなかの致命傷になりうるのでは。

その夜、レダは荷物をまとめて自分で車運転して空港を目指す。
しかし途中で気を失い、浜辺近くの路肩に乗り上げる。
車を降り、海に向かって浜辺を歩く。波打ち際で気を失うかのように倒れる。

そのまま朝。娘たちと幸せだった頃の思い出が蘇る。
娘(ビアンカ)に電話をかける。
ビアンカ「ママなの?マーサ、ママよ」(明るい声で)
レダ「マーサ(娘?)もいるの?」
ビアンカ「電話がないから死んだかと思った!」(明るい声で)
レダ「死んだ?まだ生きてるわ」
ビアンカとマーサがレダに向かって話を続ける。
レダの手元にはなぜかオレンジが。レダはその皮を蛇のように長く剥き始める。
レダ「話し続けて」ビアンカとマーサは元気に喋っている。レダは幸せそうにそれを聴きながら皮を剥く。
それは娘たちが幼かった頃の幸せだった3人の構造そのまま。
レダはオレンジの皮を剥く。
幼い娘「切れないように蛇にして」
切れないように長く長く。
終わり。

****

大人になった(おそらく20代半ば)ビアンカとマーサの無邪気な会話を聞く限りは、ビアンカとマーサは母親を強く憎んでいる感じはしない。
レダ自身が強くトラウマを抱えて過去に苦しんでいるのに比べて、娘二人はあっけらかんと健やかに育っている感じがする。
「母親が数年居なかった」という幼少期を過ごした娘たちだったけど、おそらくそれ以降の時間が3人の関係を修復しあたたかいものにしたのでしょう。

****

レダが腹を刺されたのは、おそらく「罰」。
自分には母性がないことを誰かに知ってもらいたかった。
誰かに話すことで、ありのままの自分になりたかった。
自分でも罪の意識があるし、
これを言ってしまったら酷い扱いを受けることはわかっているけど、
罰を受けるってことはこれを誰かに言えたってことだし、
罰を一回受ければ私は過去のトラウマから解放されるのかも知れない。
腹刺されたんだから病院行った方がいいし、普通行きますよ。
腹刺されて血出たままにするってことは、罰(痛み)を受けていたかったんでしょうね。
そして、生命の誕生の地、海にたどり着くレダ。
そこで倒れる。
この罪が許されるのかどうか、この先も生きていていいのかどうかを神に問うたのかどうか知りませんが、
レダは幸せだった時の幼い娘たちとの思い出と共に目を覚まします。
そして娘に電話をかける。
するとすごく明るく元気な声で「死んだのかと思ったー」なんてとてもリアルな若者らしい憎まれ口をたたいてくるほどに、健やかな娘たちの声が聞こえる。
母性がない私でも二人の娘たちはこんなに素晴らしい人間に育ってくれてるじゃないか、と。
私の罪は神に許されたんだろうか、自分で許せたんだろうか、娘たちは許してくれてるんだろうか、世間はどうだろうか。
そもそも母性がないこと自体、罪だったのだろうか。
誰が罪だと言ったのだろうか。

映画 リング・ワンダリング ロケ地マップ(聖地巡礼用)!!!!!!!!!!

2022-03-04 | 映画感想
リング・ワンダリング(2021年製作の映画)
上映日:2022年02月19日 製作国:日本 上映時間:103分
監督 金子雅和
脚本 金子雅和 吉村元希
出演者 笠松将 阿部純子(吉永淳) 片岡礼子 長谷川初範 田中要次 品川徹 安田顕 伊藤峻太 横山美智代 古屋隆太


映画 リング・ワンダリング の パンフレット、届きました!

中面最終ページのロケマップのイラストとデザイン担当しております。

 p32の大ボリュームで、出演者の皆さんの自然な表情やインタビューや対談などコンテンツたっぷりパンフです。

ぜひ劇場でご購入ください!






映画『ナイル殺人事件 』 全部ネタバレ 1937年の原作 

2022-03-03 | ネタバレあり


この2人(サイモンとジャクリーヌ)が全部仕組んでんじゃねえか?って最初に疑ったし、
それ以降特に「この人が犯人だったらめちゃ意外!」っていう人物も出て来ないし、
誰にも感情移入できなかったし
誰が犯人でもべつにいいし、、、
ってな感じで見てたらそのままあの2人が組んでたって言うラスト。。
**
右頬めっちゃ抉れてたけど口髭で隠せる?
てかあんなに皮膚が抉れてて髭生えるもの?


**
一回もエジプト行ってないんじゃない?っていうCGたっぷりの撮影に違和感。
「実はここはエジプトではない!」っつってグリーンバックが露わになるのかと思った。
それがミステリーなのかと思ったくらいに、CGに違和感強かったぁ。

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場所がエジプトなのは「ピラミッド≒三角関係」ってことだけ?
ポワロが好きな線対象?
人種問題もそんなにはなかったし、
ヨーロッパとエジプトの関係とか、
古代文明への畏敬の念とか感じなかったんだけど。。
ただ、三角→ピラミッド!ってだけな感じで、それってどうなの?。



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そもそも連続殺人をエンタメ化してるんだから
もっと開き直ってカラッとやって欲しいんよね。。
いちいちネチネチジメジメやって「命の重さ」を描いた既成事実を並べられても。。
ポワロが無理矢理犯人探し出そうとしなければ
死人は1人で済んだんじゃない?
殺人がこれ以上起きないことに尽力すべきでは。
ポワロが嫌な奴に見えたし、
しかも事件を悪化させたように見えた。