観客(一般人)に考える余地を与えない
窮屈な映画。
自由なように見せかけて実はものすごい固定概念で覆われた映画。
観客が自由に考える余地もない。
喋る喋る。
めっちゃ押し付けてくる。
終盤、ある人物がおんなじことを言葉変えてずっっっと喋ってくる。
聞き馴染みのいい言葉とリズムで喋り続けるからなんか怖くなってくる。。
観客は脳を使う余地がない。
ただただ受けるだけ。
たぶん観客(一般市民)に自由に考えさせるのが怖いんでしょうね。
それを人はセミナーと呼びます〜♪
「俺の話をただ聞いてろ」っていう映画になっちゃってる。
それを人はセミナーと呼びます〜♪
西野亮廣のセミナーを聞くつもりでこの映画を見に行った人もたくさんいると思いますよ。
それはウィンウィンの関係なんだと思います。
ただ、映画を観るつもりだった人はちょっと引くでしょう。
「え?なんか押し付けられた?」と思うことでしょう。
僕はアンチではないと思ってます
ゴッドタンでの西野亮廣さんは好きですし
毎週キングコングも見たりしてます。
なので僕はアンチではないと思ってます。
頭から否定するつもりで映画観るほど
僕は映画というものを信じていないわけではないです。
予測と覚悟
ただ、観る前から
おそらくこの映画は
映画というものが生まれてからのこの120年間で死ぬほど繰り返し語られてきたメッセージを
「世界の秘密を教えてあげよう」みたいなノリで押し付けてくる映画なんだろうなぁ
とは覚悟してました。
**
さらに
そのメッセージってのはきっと主題歌の歌詞のままなんだろうな、と。
しかも
サビの終わりの大事なメロディで結構な文字数使って
「えんとつ町のものがったっり〜」と歌う。
歌うのに数秒かかる。
えんとつ町の物語の話の主題歌でえんとつ町のものがったっり〜と数秒使って歌うような、
そういう映画なんだろうなと予測していました。
ネタバレは以下に
■導入の「こういうの喜ぶんだろ感」
ハロウィンのダンスとか、ピタゴラスイッチ的でユニバーサルジャパンのアトラクション的なアクションに「こういうの喜ぶんだろ感」が満載だった。。
のちにルビッチがプペルを煙突の上まで連れていってえんとつ町を俯瞰するシーンがあって、そこでプペルは「きれい〜」的なリアクションをするし、ルビッチも同感って感じなんだけど、
まず、もうすでに観客は何度となくえんとつ町の美しさを押し付けられてきているので、しつこい。どうせならプペルと一緒に感動したかったよ。
で、えんとつ町が美しいかったらダメな話なんじゃないの?もっとどす黒く灰まみれで油がドロドロしてるようでカビ臭い町のはずでは?
なんで綺麗にしちゃったの?観客が喜ぶと思ったから?それ、話と関係ないよね。。
■友達より血縁
まさかそのままプペルが父親だったっていうラストになるのか!!と心配していたら
まさかそのままプペルは父親だった展開っっっ!!!
何にもないゴミの塊で差別も受けてるプペルと少年が友達になるから感動があったのに。。
臭いからってめっちゃくちゃ洗うのもゴミ人間であるプペルのアイデンティティを消して
同化させようとしてるようでちょっとひっかかったし
ポンチョみたいなのを着させられるのも辛かった。。
結局ゴミ人間プペルは異端のままで世間から隠されて同化されようした存在。
それでもそんなゴミ人間と少年に友情が生まれたことに感動があったのに、、
結局、血縁かよ!!!
しかも正体はあんな立派なお父さん。。。。
まさに理想のお父さんの権化。
異端者であるプペルは消されたじゃんっっ!!
理想の父となんの問題のない息子の話でした。。
とほほ。。
なんか話が小さくなって終わってしまいましたね。。。
偏ったジェンダー表現…
「男は泣くんじゃない」って何回言った???
「夫のわがままを受け入れる妻の度量の広さ」みたいな表現もあったよね。
女性キャラ、3人くらいしかいなかったね。。
ほっっとんど男だけだったよね。。
まさか意図的にやったの?
もしくは考えナシでやっちゃったの?
どっちにしてもヤバくない??
これ、世界で公開すんの??
■典型的なキャラクターの集合
荒っぽいし夢みがちだけど誰よりも家族を愛している大きな背中のお父さん。
病弱だけど優しくて心根は誰よりもつよいお母さん。
旧世界の典型キャラ。。
いじめっ子も煙突掃除の男たちも典型。
異端審問会もKKKのようで人格が見えなくてもったいない。。
異端審問会は異端審問会で世界を平穏にしたいという信念があったわけでしょ。
あんなにも記号的な悪役にしたらほんとに話がうすっぺらくなる。
キャラクターが物語を成立させるためにしか動いてくれないから、
観ていて息苦しい。。
言いたいことを言うためだけに存在するキャラクターたち。
哀れな存在ですよ。。
ゴミ人間プペルなんてついには物語に消費されて消えてしまったからね。。
あの可愛いプペルが。。。
製作者がやりたいことの前ではまったく独自の動きができない不自由なキャラたち。
これはまさにえんとつ町で行われていたこと。
それをこの映画はやっちゃってる。
■諦めずに上を見ろ!の周辺に敷かれた旧世界
でも前述の通りこの映画全てのキャラクターは旧態依然とした典型なキャラ。
上を見ろ上を見ろと繰り返す映画だけど、
足元はガッチガチに凝り固まった旧世界。。。。。
異端に優しい世界ではないよ。
「この異端はいいけど、その異端はダメ〜」って
平気で言ってきそうな世界。
これは現実世界と同じ。
現実のクソ世界とこの映画の世界は同じ。
この映画は
異端だったルビッチが命かけて飛び出したことで異端ではなくなった、
という話。
■努力しないお前が悪い映画
ルビッチの努力の話。個人の努力の話。
異端扱いを受けて隠れて生きてる人がいたらソイツ自身が弱くて悪いことになってしまう。
誰もが
「勇気を出して星を探そうよ!」ってなれないでしょ。
結局は命をかけて頑張ったことで自分の地位を確立した父子の話。
しかもその足元には旧世界。。
そのつもりはなかったはずですが、
なんかすごく息苦しい映画になってしまいました。