遠足に行った。
疲れた。主に精神的に。
前に遠足に行ったときも、疲れたなと思って振り返ってみたら、
やっぱり同じことを書いていた。
(過去の記事はこちら→「内向型人間の時代」)
何に疲れたかを少し分析したい。
子供の対応は、まだ若干、戸惑いは残るにしても、
まあまあうまくできるようになってきた。
これは大きな進歩だ。
問題は、先生方との関係だ。
この学校に勤めて1年が過ぎたが、
まだ親しい先生が一人もいないのだ。
先生方は(個人差はあるにしても)、大抵、気持ちのいい人たちなのだが、
最近思うのは、ちょっとドライというか、
少なくともフレンドリーではないような気がする。
例えば、今日も、二人の女の先生が楽しそうに話していたので
私もその輪に加わろうと思って、さりげなく近付いていったけど、
いつまでも話には加わることができず、
私は自分が空気になったように感じた。
私は諦めてその場を後にしたが、
こういうことが、よくあるのだ。
では、その女の先生が意地悪かというと、そうではなくて、
一対一で話すときは、気持ちのいい笑顔で話してくれる。
ここで、つい、「自分の存在感の薄さ」について、クヨクヨしてしまいそうになるが、
実はきっとそうではなくて、
彼女たちが、少し鈍いのだと思う。
特に、疎外されることの痛みについて。
学校の先生たちは、元気で快活で、
魅力的な人が多い。
ただ、精神的には、粗削りで、
繊細さに欠けるところがあるように感じる。
逆に、そういう人でないと、やっていけないのだろう。
前の職場では、2年経って、
プライベートで食事に行けるような、親しい人ができたけど、
この職場では、難しいかもしれない。
私は、長年の経験から、
友達ができないのは、その人のせいではなく、
単に、気の合う人がその環境にいないからだと思っている。
気の合う人がいない環境で無理をしても、
結局、うまくいかないし、疲れてしまうだけだ。
なので、友達ができなくても、気にしないことにする。
ただ、寂しいのは苦痛なので、
来年度の更新については、要検討だ。
疲れた。主に精神的に。
前に遠足に行ったときも、疲れたなと思って振り返ってみたら、
やっぱり同じことを書いていた。
(過去の記事はこちら→「内向型人間の時代」)
何に疲れたかを少し分析したい。
子供の対応は、まだ若干、戸惑いは残るにしても、
まあまあうまくできるようになってきた。
これは大きな進歩だ。
問題は、先生方との関係だ。
この学校に勤めて1年が過ぎたが、
まだ親しい先生が一人もいないのだ。
先生方は(個人差はあるにしても)、大抵、気持ちのいい人たちなのだが、
最近思うのは、ちょっとドライというか、
少なくともフレンドリーではないような気がする。
例えば、今日も、二人の女の先生が楽しそうに話していたので
私もその輪に加わろうと思って、さりげなく近付いていったけど、
いつまでも話には加わることができず、
私は自分が空気になったように感じた。
私は諦めてその場を後にしたが、
こういうことが、よくあるのだ。
では、その女の先生が意地悪かというと、そうではなくて、
一対一で話すときは、気持ちのいい笑顔で話してくれる。
ここで、つい、「自分の存在感の薄さ」について、クヨクヨしてしまいそうになるが、
実はきっとそうではなくて、
彼女たちが、少し鈍いのだと思う。
特に、疎外されることの痛みについて。
学校の先生たちは、元気で快活で、
魅力的な人が多い。
ただ、精神的には、粗削りで、
繊細さに欠けるところがあるように感じる。
逆に、そういう人でないと、やっていけないのだろう。
前の職場では、2年経って、
プライベートで食事に行けるような、親しい人ができたけど、
この職場では、難しいかもしれない。
私は、長年の経験から、
友達ができないのは、その人のせいではなく、
単に、気の合う人がその環境にいないからだと思っている。
気の合う人がいない環境で無理をしても、
結局、うまくいかないし、疲れてしまうだけだ。
なので、友達ができなくても、気にしないことにする。
ただ、寂しいのは苦痛なので、
来年度の更新については、要検討だ。
