小学生のころ、学校の廊下や教室に、こんな標語が貼ってありました。
「明るく元気で素直な子」
暗く病気がちでひねくれていた私は、
この標語を見るたびに、自分が否定されているような気になったものでした。
また、中学生くらいになると、
「明るく元気で素直な子」というのは、
大人からみた「いい子」の強制だと思うようになりました。
「いい子」の型にはめようとするのではなく
(そして、その型から外れた者=自分を否定するのではなく)
ありのままの自分を認めて欲しい!!
そんな心の叫びを胸に秘めながら、私は大人になったのでした・・・。
そして、塾で子供の相手をする大人になった今・・・。
「明るく元気で素直な子」
こういう子の方がかわいい!!
そして、扱いやすい(笑)!!!
大人だって人間なので、かわいい子の方に、ついつい肩入れしたくなります。
つっかかってくる子や、何を考えているのか分からない無反応な子は
面倒臭いので、なるべく接したくないと思います。
そして、残念なことに気付くのです。
暗くねじくれたまま、親にぶつかっていった私は、
疎まれて当たり前だったということ・・・。
自分が子供のころに期待していたほど、
親は器の大きな人間ではなかったのです。
(自分もそうなので、分かるのです)
ぶつかっていったのは、本当は、
ありのままの自分を愛して欲しかったからです。
でも、愛されたいなら、
相手に負担をかけるようなことを、してはいけなかったんです。
「明るく元気で素直な子」
これは、大きな美徳だと思います。
生まれながらに持つ徳性、一種の才能です。
明るく元気で素直な子を見ていると、そう感じます。
でも、そうではない子に対しても、
私が子供のころに感じていた、自分を認めてほしいという思いを、
尊重してあげられたらいいなと思っています。
「明るく元気で素直な子」
暗く病気がちでひねくれていた私は、
この標語を見るたびに、自分が否定されているような気になったものでした。
また、中学生くらいになると、
「明るく元気で素直な子」というのは、
大人からみた「いい子」の強制だと思うようになりました。
「いい子」の型にはめようとするのではなく
(そして、その型から外れた者=自分を否定するのではなく)
ありのままの自分を認めて欲しい!!
そんな心の叫びを胸に秘めながら、私は大人になったのでした・・・。
そして、塾で子供の相手をする大人になった今・・・。
「明るく元気で素直な子」
こういう子の方がかわいい!!
そして、扱いやすい(笑)!!!
大人だって人間なので、かわいい子の方に、ついつい肩入れしたくなります。
つっかかってくる子や、何を考えているのか分からない無反応な子は
面倒臭いので、なるべく接したくないと思います。
そして、残念なことに気付くのです。
暗くねじくれたまま、親にぶつかっていった私は、
疎まれて当たり前だったということ・・・。
自分が子供のころに期待していたほど、
親は器の大きな人間ではなかったのです。
(自分もそうなので、分かるのです)
ぶつかっていったのは、本当は、
ありのままの自分を愛して欲しかったからです。
でも、愛されたいなら、
相手に負担をかけるようなことを、してはいけなかったんです。
「明るく元気で素直な子」
これは、大きな美徳だと思います。
生まれながらに持つ徳性、一種の才能です。
明るく元気で素直な子を見ていると、そう感じます。
でも、そうではない子に対しても、
私が子供のころに感じていた、自分を認めてほしいという思いを、
尊重してあげられたらいいなと思っています。