『面倒だから、しよう』という本を読んだ。
ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の続編だ。
良い本だった。
ただ、私も齢●0、
自分の経験に照らして
色々と考えることはある。
特に、マザー・テレサの言葉には
考えさせられた。
マザー・テレサは、私が最も尊敬する人間の一人なのだけれど
(ちなみに他はマハトマ・ガンジーとネルソン・マンデラ)
本で紹介されていた彼女の言葉に
ひっかかるものがあったのだ。
私はいつも心の中に、死んでゆく人々の最期のまなざしを忘れていません。
この世で役立たずのように見えた人たちが、
死の瞬間に「愛された」と感じながらこの世を去ることができるためなら
何でもしたいと思っているのです。
さらに、この言葉には、このような解説がついていた。
役立たずと思われて一生を過ごし、路上生活をしている瀕死の病人に、
生涯受けたことのなかった温かい手当てをして
死なせてやる・・・
この世の中で自分は生きていても生きていなくても同じだと考えている、
見捨てられたみじめな人の生涯と死を見つめ・・・
貧しく病める人に、無償で手厚い看病をして、
愛をこめて最期を看取ってあげる、
これは素晴らしいことだし、
私も、このことから、マザー・テレサを尊敬していた。
でも、路上生活をしている人たちは
「役立たず」で「見捨てられた」「みじめ」な人たち
なんだろうか。
私は、インドの路上生活者の実態を知らないから、
マザー・テレサの言葉に異議を差し挟む資格は
ないかもしれない。
でも、少なくとも
路上生活者と同じ目線に立った言葉では
ないような気がする。
ドラマ『相棒』の『アリス』という作品で
お金持ちのお嬢様が
貧しい人たちに施しをしていたけれど
自分が施しを受ける側に回ることには
耐えられなかった、というエピソードがあった。
マザー・テレサは、自分が路上生活者になったときに、
こう思われながら看取られることを望んだだろうか。
「あなたは世の中から見捨てられた役立たずで
あなたの生涯はみじめなものだった。
でも、最期だけは、私が愛を注いであげましょう。」
私だったら、最期の力を振り絞って
そこから逃げ出そうとするだろう。
ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の続編だ。
良い本だった。
ただ、私も齢●0、
自分の経験に照らして
色々と考えることはある。
特に、マザー・テレサの言葉には
考えさせられた。
マザー・テレサは、私が最も尊敬する人間の一人なのだけれど
(ちなみに他はマハトマ・ガンジーとネルソン・マンデラ)
本で紹介されていた彼女の言葉に
ひっかかるものがあったのだ。
私はいつも心の中に、死んでゆく人々の最期のまなざしを忘れていません。
この世で役立たずのように見えた人たちが、
死の瞬間に「愛された」と感じながらこの世を去ることができるためなら
何でもしたいと思っているのです。
さらに、この言葉には、このような解説がついていた。
役立たずと思われて一生を過ごし、路上生活をしている瀕死の病人に、
生涯受けたことのなかった温かい手当てをして
死なせてやる・・・
この世の中で自分は生きていても生きていなくても同じだと考えている、
見捨てられたみじめな人の生涯と死を見つめ・・・
貧しく病める人に、無償で手厚い看病をして、
愛をこめて最期を看取ってあげる、
これは素晴らしいことだし、
私も、このことから、マザー・テレサを尊敬していた。
でも、路上生活をしている人たちは
「役立たず」で「見捨てられた」「みじめ」な人たち
なんだろうか。
私は、インドの路上生活者の実態を知らないから、
マザー・テレサの言葉に異議を差し挟む資格は
ないかもしれない。
でも、少なくとも
路上生活者と同じ目線に立った言葉では
ないような気がする。
ドラマ『相棒』の『アリス』という作品で
お金持ちのお嬢様が
貧しい人たちに施しをしていたけれど
自分が施しを受ける側に回ることには
耐えられなかった、というエピソードがあった。
マザー・テレサは、自分が路上生活者になったときに、
こう思われながら看取られることを望んだだろうか。
「あなたは世の中から見捨てられた役立たずで
あなたの生涯はみじめなものだった。
でも、最期だけは、私が愛を注いであげましょう。」
私だったら、最期の力を振り絞って
そこから逃げ出そうとするだろう。
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