先日、同じ大学院の人達と一緒にお昼を食べる機会があった。
私は言った。
「この大学院で本当に良かった」
言いながら感じていたこと。
本当は、本当は色々と不満もある。100%満足している訳ではないけど、
そんな自分の小さな悩みを、「良かった」と公言することで覆い隠したかった。
そして、「満足している」と公言できる自分は、幸せだと、
幸せであることが強さであり、誇りであると、自覚していた。
さらに…
大学院に不満を持っている人の気持ちを、きっと踏み付けてしまっている。
私が「満足している」と言うことで、
その人は、不満であることを、少なくともこの場では、言い出しにくくなるだろう。
誰かの小さな不満を、私は押さえつけているかもしれない。
「満足している」と言いながら、私は人を踏み付ける痛みを感じた。
私はSNSをやっていないけれど、
巷にはきっと、幸せに満ちた写真やコメントが溢れているんだろう。
「私は幸せ」と公言するって、
こういう感じなのかな。
私は、本当の幸せは、公言する必要はないと思っているけど、
今回、自分でやってみて、そこに潜む密かな暴力性を我ながら感じた。

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私は言った。
「この大学院で本当に良かった」
言いながら感じていたこと。
本当は、本当は色々と不満もある。100%満足している訳ではないけど、
そんな自分の小さな悩みを、「良かった」と公言することで覆い隠したかった。
そして、「満足している」と公言できる自分は、幸せだと、
幸せであることが強さであり、誇りであると、自覚していた。
さらに…
大学院に不満を持っている人の気持ちを、きっと踏み付けてしまっている。
私が「満足している」と言うことで、
その人は、不満であることを、少なくともこの場では、言い出しにくくなるだろう。
誰かの小さな不満を、私は押さえつけているかもしれない。
「満足している」と言いながら、私は人を踏み付ける痛みを感じた。
私はSNSをやっていないけれど、
巷にはきっと、幸せに満ちた写真やコメントが溢れているんだろう。
「私は幸せ」と公言するって、
こういう感じなのかな。
私は、本当の幸せは、公言する必要はないと思っているけど、
今回、自分でやってみて、そこに潜む密かな暴力性を我ながら感じた。

