最近は自分自身が相撲への興味、関心が薄れていることに気づいた。
我が家は夫婦ともに野球を筆頭にスポーツ番組が好きなので以前は
相撲もよく見ていたがこの頃はダイジェストやネットで結果だけを見ることが多い。
相撲中継が終わるのは野球放送が始まる前なので観ようと思えば
いつでも・・・という状況ではあるが・・・。
大きな理由の一つとしては横綱白鵬の言動である。
白鵬は確かに強く、色々な記録も次々と塗り替えてきた稀代の横綱と言えるが
はたして強さだけで偉大な横綱といえるのだろうか。
私たちが子供時代から大人になったころの横綱にはそれらしき風貌や品位や
品格が備わっているようで親しみの中にも威厳が感じられたし、力士たち、
とくに横綱からは心身共に研ぎ澄まされた偉大な力を感じさせられるものが
あったように思う。
決してモンゴル勢を悪く言うつもりはないが、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜達は
確かに強いし、異国での生活や言葉をはじめ、稽古に関してもその努力や苦労は
並大抵のものではなかったと思うので日本の力士たちも見習うべきところも多いと
思うが、横綱の風格という意味では歴代横綱には及ばないのではないかと思う。
生活や慣習、文化の違いからくる戸惑いや不慣れなどによるものもあるかも
しれないがとかくあれこれ問題になる白鵬の場合は特に違和感を覚えてしまう。
確かに激しい稽古の中で体力や技を磨き、勝負に賭ける精神力も群を抜いて
いるのかもしれないが、礼儀作法よりも勝てばいい・・・という感じがするのは
否めない点もあるし、戦い方が綺麗とは言えない。
勝負だから勝ちにこだわるというのは違反ではないとしても立ち合いの張り手、
厚いサポータを巻いた肘でのプロレスまがいのかちあげ、勝負が決まり、土俵を
割った相手が力を抜いた途端のとどめの一撃や土俵下へ突き落とす行為など・・・。
誠に見苦しい限りである。
一方、先場所負け越して大関を陥落した栃ノ心は今場所10勝以上の勝ち星で
なければ大関へ復帰できないという状況の中でも非難されるような相撲ではなく
土俵外へ押し出し、或いは寄り切った時に相手が土俵下へ落ちないよう即座に
「まわし」を掴んで自分の方へ引き寄せるような光景もよく見られ、厳しい勝負の
中でも相手への敬意と共に人柄の違いが表われている。
ここでこの記事を読んでくださってる方々に私と同じような気持ちを新聞に
投稿された東京都の大島さんという方の記事『豊真将関の所作こそが手本』を
そのまま紹介させていただきたいと思う。(2015年に朝日新聞に投稿されたもの)
大相撲の元小結・豊真将はけがに勝てず、初場所6日目の16日に
現役引退を発表した。
さぞ無念だったろうと思う。
豊真将の取り口は、いつも真正面からぶつかる正攻法だった。
取り組み直後の所作でも、勝つと指をまっすぐ伸ばし、大きく手刀を
切って懸賞金を受け取っていた。
敗れても対戦相手への敬意と、無事にその一番を終えた感謝を
込めるように、土俵と相手に向かって深々とお辞儀をしていた。
端正な所作の力士はほかにもいる。
だが、上位になるにつれて雑になっているように感じるのは私だけか。
例えば、行司の勝ち名乗りの最中に土俵から降り始めてしまうのは
無作法ではないか。
行司がきちんと腰を落とす前に、軍配の懸賞金に手を伸ばすのは
いかにもさもしげだ。
負けると憤怒の表情もあらわに土俵上で下がりを抜く三役力士。
横綱・白鵬関は、懸賞金の束をこれ見よがしに掲げているように感じる。
いずれも、私には見苦しく映る。
大相撲は伝統の様式美を備えた国技である。
すべての力士は、豊真将関を手本に誇りと品格ある立ち居振る舞いを
してほしい。
という記事だが豊真将には古武士を思わせる風格があり、私も家族には
豊真将のことをよく話していたので何事にも通じる豊真将の所作を
機会あるごとに多くの人達にも伝えたいと思い、その心を大切に今もこうして
しっかりと保管しているのである。
我が家は夫婦ともに野球を筆頭にスポーツ番組が好きなので以前は
相撲もよく見ていたがこの頃はダイジェストやネットで結果だけを見ることが多い。
相撲中継が終わるのは野球放送が始まる前なので観ようと思えば
いつでも・・・という状況ではあるが・・・。
大きな理由の一つとしては横綱白鵬の言動である。
白鵬は確かに強く、色々な記録も次々と塗り替えてきた稀代の横綱と言えるが
はたして強さだけで偉大な横綱といえるのだろうか。
私たちが子供時代から大人になったころの横綱にはそれらしき風貌や品位や
品格が備わっているようで親しみの中にも威厳が感じられたし、力士たち、
とくに横綱からは心身共に研ぎ澄まされた偉大な力を感じさせられるものが
あったように思う。
決してモンゴル勢を悪く言うつもりはないが、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜達は
確かに強いし、異国での生活や言葉をはじめ、稽古に関してもその努力や苦労は
並大抵のものではなかったと思うので日本の力士たちも見習うべきところも多いと
思うが、横綱の風格という意味では歴代横綱には及ばないのではないかと思う。
生活や慣習、文化の違いからくる戸惑いや不慣れなどによるものもあるかも
しれないがとかくあれこれ問題になる白鵬の場合は特に違和感を覚えてしまう。
確かに激しい稽古の中で体力や技を磨き、勝負に賭ける精神力も群を抜いて
いるのかもしれないが、礼儀作法よりも勝てばいい・・・という感じがするのは
否めない点もあるし、戦い方が綺麗とは言えない。
勝負だから勝ちにこだわるというのは違反ではないとしても立ち合いの張り手、
厚いサポータを巻いた肘でのプロレスまがいのかちあげ、勝負が決まり、土俵を
割った相手が力を抜いた途端のとどめの一撃や土俵下へ突き落とす行為など・・・。
誠に見苦しい限りである。
一方、先場所負け越して大関を陥落した栃ノ心は今場所10勝以上の勝ち星で
なければ大関へ復帰できないという状況の中でも非難されるような相撲ではなく
土俵外へ押し出し、或いは寄り切った時に相手が土俵下へ落ちないよう即座に
「まわし」を掴んで自分の方へ引き寄せるような光景もよく見られ、厳しい勝負の
中でも相手への敬意と共に人柄の違いが表われている。
ここでこの記事を読んでくださってる方々に私と同じような気持ちを新聞に
投稿された東京都の大島さんという方の記事『豊真将関の所作こそが手本』を
そのまま紹介させていただきたいと思う。(2015年に朝日新聞に投稿されたもの)
大相撲の元小結・豊真将はけがに勝てず、初場所6日目の16日に
現役引退を発表した。
さぞ無念だったろうと思う。
豊真将の取り口は、いつも真正面からぶつかる正攻法だった。
取り組み直後の所作でも、勝つと指をまっすぐ伸ばし、大きく手刀を
切って懸賞金を受け取っていた。
敗れても対戦相手への敬意と、無事にその一番を終えた感謝を
込めるように、土俵と相手に向かって深々とお辞儀をしていた。
端正な所作の力士はほかにもいる。
だが、上位になるにつれて雑になっているように感じるのは私だけか。
例えば、行司の勝ち名乗りの最中に土俵から降り始めてしまうのは
無作法ではないか。
行司がきちんと腰を落とす前に、軍配の懸賞金に手を伸ばすのは
いかにもさもしげだ。
負けると憤怒の表情もあらわに土俵上で下がりを抜く三役力士。
横綱・白鵬関は、懸賞金の束をこれ見よがしに掲げているように感じる。
いずれも、私には見苦しく映る。
大相撲は伝統の様式美を備えた国技である。
すべての力士は、豊真将関を手本に誇りと品格ある立ち居振る舞いを
してほしい。
という記事だが豊真将には古武士を思わせる風格があり、私も家族には
豊真将のことをよく話していたので何事にも通じる豊真将の所作を
機会あるごとに多くの人達にも伝えたいと思い、その心を大切に今もこうして
しっかりと保管しているのである。