障害のある人も、衣服を選べるのが自然なことだと思って、、
それを仕事にしちゃったってことなんだけども
私も衣服の選択肢が少ないっていうのは以前から感じていてね
サイズや形態の問題だとか、
大量生産できないってこととか、
コストがかかりすぎるってことなんかがあって、
なかなか難しかったりするんだけども、
最近では福祉用具も、
いろいろデザインが選べるようになってきた☆
意志の表出があまりない、言葉がでない、感情がわからないとかって、
オシャレしなくていいってことではないんだよね
それを否定しちゃうと、
その人の存在自体を否定することになる
いろんなデザインから、身近な人が代わりに選ぶってことでも、
感じのいい、オシャレだねってものを選べるってことが、
やっぱり自然なことだって思うんだよね
また、ちょっと違う視点では、
以前は障害者福祉では当事者と支援者のジャージ姿って、
結構セットでイメージされることがあって、
私はそれが嫌だったんだよね
自然でいいじゃん!って私服でやってた
障害のある人にとっては、
日常そのものであるのに、
なぜいつも動きやすく、支援しやすい(どちらにとっても)かっこでやらないといけないのかって、
疑問があってね
それは時にはトイレや食事支援で汚れることもある
でもそれも含めて日常なんだって、当たり前のことなんだって思って、、
いろんな考えはあるだろうなって思うけれど、
日常であり、自然で当たり前で普通ってことはどういうことかなって、、
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